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「その説明が正しいのなら、あなたが公然|猥褻《わいせつ》罪で逮捕される可能性は、かなり少ないんじゃない?」
アパートメントのリビングは、明るい。光にあふれてる感じ。昨日の夜の六畳と比べちゃってるのかな。
ひと晩いなかっただけなのに、久し振りの気がする。
「裸で海岸にいたっていうのは、現行犯逮捕が基本でしょ。それに撮影済みの映像にあなたが映ってないとくれば」
眉子叔母さんがアボガダ志望だったのは、まあ、頼りになることではある。
「そもそも、あなたは自分の意思で参加したわけではない。だけど、その辺の立証は難しいかもしれないわね。だって、あなたは暴力的に拘束されてはいなかった。コンビニエンス・ストアでだって、どこでだって十分逃げられたはずでしょ? 店員に頼んで警察に連絡してもらうとかはできた」
叔母さんは、考えている。
「どこの国でも、警察はやる気になれば何でもするから。いまごろ、あなたを追跡してたりして。私は日本の事情に詳しくないんで、これ以上はね。かなり野蛮な体制だとは聞いているけれど」
相変わらず手厳しい。
それより、俺が、まず知りたかったのは、眉子叔母さんがAVの撮影現場にどうして現われたのかってこと。
しかも、あんなバイクにまたがって。
「サリナよ、もちろん。店長とあなたがマフィアに連れていかれたことを連絡してくれたの。彼女の情報網だったら、渡辺組っていったかしら? 撮影チームまでは、すぐに、たどりつく。あとは現場を確認して警察に電話するだけ」
「バイクは?」
「私が、バルセローナではモトクロスのジュニアのチャンピオンだって話は、していなかった? 私は岩陰で待機していたのよ、警察が来るのを待って。サリナはマフィアの関係があるから顔を出せないでしょ?」
そういう構造になってるんだろうか。
彼らマフィアの論理ってのか、考え方は、俺にはよくわからない。あの、高原組長とかの家に連れてかれたときも、あれよあれよという間だったし。
「あんなにうまくいくとはねえ。すぐにあなたを乗せて逃げるつもりだったんだけど、あなたが走るのが速いから」
眉子叔母さんは、楽しそうに笑う。
「それにしてもサリナは、いいひとだわ。私、日本に来て初めて友達ができた」
「店長はどうなるんだろう?」
助けられてから、ずっと、気になっていたことなのだ。店長が俺の「友達」かどうかは、わからないけど。
「さあ。あの現場で逮捕されたのかしら。その場合、彼は、チノでしょ? チャイニーズ。非合法に入国した中国人なら、たぶん強制送還。逮捕されずに逃げられたとしても、彼の場合はマフィアのメンバーであるわけだから、あなたとは別の展開になるんじゃない?」
眉子叔母さんは、それまで組んでいた脚をほどいた。
「それより、問題はあなたよ。今回は、拉致《らち》されたみたいだから、しかたない面もある。でも、なんだかフラフラしてて。もう少し、慎重に行動してもらいたいわ。私には後見人としての責任がある。そうじゃなくて、ただのふつうの叔母としてだって、心配でしょうがないわ」
俺は、うなずいた。十五歳の叔母さんに説教されて。
まあねえ、実際のところ、助けられちゃったんだもん。眉子叔母さんに迷惑をかけたのは、確かだったし。
怒られながら考えてたんだけど、俺って、なんか、確固たる判断基準みたいなものが、どうしてもないのよねえ。それがないから、「慎重な行動」にならない。
仮にね、基準っていうのが過去からの連続性がないと成立しないっていうのなら、記憶喪失っていうのは、やっぱ、やっかい。
でも、俺の場合、もともと慎重じゃなかったような気もするんだけど。