39
アパートメントのドアを開けたときのことだった。
頭が、一瞬ズキッとした。
でも、俺は、たいしたことではないと思った。気のせいかもしれない。ドクターと会って相当に疲れていたのだ。そのくらいのことはあっても。
リビングにはいったとたん、もう一度、そして、もっと強く痛みが走る。
動きを止め、うずくまりそうになった俺に、
「この北島三郎って、あなたの好きな歌手なの?」
いきなり、眉子叔母さんが言った。
リビングルームには、音楽が流れていた。朗々と張り上げる声、そして一転しての柔らかい低音部。耳を澄ますと、また頭痛がした。
そうか。これが例のキタジマサブロウだったのか。
俺は、首を振った。好きなのか嫌いなのか、よくわからない。
それより、頭が痛い。
「でも、これ、あなたのコレクションなのよ。CDが入れっぱなしになってたの。ケースはコンポの隙間にあった」
退院してから、オーディオのチェックは忘れていた。
しかし、となると、事故の直前に俺はこれを聴いていたのか?
「日本の歌って、こんな感じのが多いのかしら。私が知っていたのは、森進一だけだったから」
眉子叔母さんは、ボリュームを下げた。
頭痛が、やっとひいていった。
「バルセローナにいたときに、姉の部屋で、あなたのお母さんのところで聴いて。森進一はヒターノみたいでいいって思った」
「ヒターノ?」
「そう。正しくは、ロマって言うべきなんだけど。日本ではジプシーって呼んでる? フラメンコを歌ったり踊ったりするひとたち」
俺は、うなずいた。
たぶん、そうだろう。よくは知らない。
「そのひとたちの歌、カンテにね、森進一は通じるところがある。そうね、なかでも『カンテ・ホンド』の仲間みたいだった。『深い歌』って意味よ。北島三郎っていうのは、似てないわけではないんでしょうけど、ちょっとタイプが違うわねえ」
俺には、意見がなかった。モリシンイチというのもわからない。
ただ、リビングで北島三郎を聴いていると、まだ頭の芯《しん》のあたりがズキズキする気がしたので、自分の部屋に行くことにした。
バッグを置くと、外側のポケットに、見慣れない白い色の三角が。
封筒がはさみ込まれていた。
高橋進 様
危ないところでしたね。
眉子叔母さんの機敏な行動があったから良かったものの、あなたがおかしな事件に巻き込まれるのは心配だわ。
自重してください。あなたは大切な存在なのですから、くれぐれもそのことを忘れないように。
私たちの研究所、MSUは、まもなく行動を開始します。現在、その準備が整いつつあるのです。
いよいよ、世界の各地にMSUの旗がひるがえる。それは、宇宙の理《ことわり》なのですから、避けようにも避けられないことです。
そのときには、あなたはシンボルとして、地球全土からの尊敬を集める立場にいるのです。神によって選ばれたエル・サルバドール、すなわちメシアなのだと前に書いたのは、そういうことなのですよ。
あなたも相当に回復したようです。
MSUが、世界があなたを待っています。
あせる必要はありません。あなたの過去は、私があなたに教えてあげるって言ったでしょう?
我慢して、私からの次の連絡を待ってください。
お会いできるのを、とても楽しみにしています。
それは、もうすぐ、もうすぐ、なのよ。
Kより
俺は、四回、手紙を読んだ。
病院に行く時もね、マフィアの手が伸びるのを気にしてたのよ。あの、時田とかいうやつが現われないかとか。
そうじゃなきゃ、公然|猥褻《わいせつ》罪とかで逮捕しようとして、警察が俺の様子をうかがってないか。
そしたら、こっちが来ちゃったの。エル・サルバドール。
私たちの研究所?
MSU?
何を言っているのか、まったく理解できなかった。
わかったのは、この前の手紙のときと同じ。俺の行動が、このKとかいうおかしなやつのグループによって、かなり綿密に監視されているってことだけだ。