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豆腐とコンニャクは切るだけでいい。ダイコンとニンジンは、皮をむく。
ネギは、なぜか斜めに刻む。水菜は洗って砂を落とすのに手間がかかるけれど、どんどんきれいになっていくのが面白い。
「私はアボガダになるつもりで、もちろん、いまもそのつもりだけど、このごろ日本研究にも興味を持ってきたの」
と宣言した眉子叔母さんは、本を買ってきて和食に挑戦しだした。
「私の両親は、あなたの祖父母にもあたるんだけど、もともと、コスモポリタンだった。外国暮らしが長くて、その土地での食事になじむから、日本食はほとんどなかったの、家では。だから、私にはとっても奇妙で刺激的」
俺も手伝ってはいる。でもね、知識の量は、全然変わらないし、手際は明らかに俺のほうが悪い。事故にあう前、俺は料理ってやつをしたことがなかったんだろうか。
涼しさを感じだした今日は、初めての鍋料理にチャレンジ。
テーブルにガスコンロをセットして振り返ると、眉子叔母さんは鍋から昆布を引き上げていた。大きなフォークを使って、結構、苦戦してる。
そう言っていいと思うんだけど、おだやかな日々が続いてた。
朝夕の散歩に社会見学を兼ねた買い物の外出。この前は、スポーツ観戦までした。(Jリーグの試合を見た叔母さんの感想は「まあまあね」だった)
食後のテレビや読書。
眉子叔母さんは日本での生活に慣れてきたし、俺は、結局のところ、「生活」そのものというか、生きていくことに、ともかくは慣れてきたの。
その後、ドクターが言ってたような、そんな変なことは起こってない。
俺は鍋つかみを使って、注意して土鍋を運ぶ。
これで準備はできた。
眉子叔母さんと俺は、食卓に向かう。いただきます、と日本風の挨拶。
まずは、野菜とスープをとる。ちょっと塩味がきついような気がする。
何が起きているのか、俺は、最初は気づかなかった。座ってる方向が、逆だったからね。どこかで音がしてるのは、感じたんだけれど。
叔母さんは、箸《はし》を(フォークではない。現在、食事中は箸を使う練習をしている)宙に浮かせたまま、呆然《ぼうぜん》となっていた。
眉子叔母さんの視線の方向を振り返ってみてわかった。バルコニーで窓をたたいている男がいたのだ。
ガラスをたたきながら、しきりに俺に合図を送ろうとしている。
やっぱり、変なことが起こっちゃった。
「だれ?」
叔母さんは、ぼそっと言った。
「店長」
「やっぱり。エル・チノね」
まあ、そんなところから登場するのは、マフィアの関係者ぐらいだろう。
でもねえ、この前の病院のときは、五階だった。ここは十六階なんだけど。
「入れてあげて。ノー・プロブレム」
眉子叔母さんは、俺をうながす。
「まったく、問題はない」
叔母さんは断言した。
「今夜の鍋は、たっぷり、三人分はあるから」