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道で立ったまま黙っている俺に、K(「慧」でもいいんだけど、俺のなかでは、手紙の印象が強い)は、言った。
「あなたは、今日は、どうして病院にいるの? もはや彼の診察は、必要のないことでしょ。ドクターとの関係は、あなたにとって、実際、役に立っていない。彼との話し合いが実を結んだことなんてあって?」
かなり、手厳しかった。眉子叔母さんと同じくらい。
俺は、反論できなかった。ドクターが、腹の立つ、とても変なやつなのは確かだ。今日だって、相当うんざりさせられた。
ただね、ドクターは、俺が意識を回復してから初めて接触した人間だった。いまでも主治医として、一応は記憶喪失について語り合える相手ではある。
「あなたは理解できるはずよ。すでに治療の段階は終了したの。あなたのドクターは、結論として無能だった。ナースは優秀でも」
女が微笑むのを見て、俺は思い出した。
入院中のひとつ目の手紙に、すでにドクターに注意しろとか書いてあった。それから、ナースは味方だと。
すると、ひとつ目の手紙を俺の病室に運びこんで、また持ち帰ったのはナースだったのだろう。もし、そうなら、三通目の手紙は、診察を受けた日にアパートメントにもどってから見つけたのだから、これもナースなら可能なことになる。
手紙を書いてるKってやつがね、妙に俺の動きをとらえてたのも、それでわかる。俺がドクターに相談してるのを、ナースが横で聞いてたからだ。
再び目の前に現われた、K(「慧」)という女。(最初に会ったときは、女の名前を確かめもしないで、誘われるままホテルへ行っちゃった。それを変だと感じなかったんだから、女が言うように、事故の影響がまだ強かった?)
何回か耳にしたり、駅前での宣伝は見ていたけれど、ついには直接、その理事長に出会うことになってしまったらしい、MSU。
この展開は、どうなってるんだ?
「いま、私はとても忙しいの。その忙しさが何のためか、あなたが気づく日は近いでしょうけど」
女は、本を一冊、差し出した。
「もうすぐ、また、会えるわ。そのときまでに、MSUへの理解を深めておいてくれると嬉《うれ》しい。私たちの、そして、すべての人類ためのエル・サルバドールである、あなた」
そう言うと、歩み去っていった。
病院の塀に沿ってまっすぐ続く道、Kのピンクの背中が揺れて小さくなっていくのを、俺は立ったまま見ていた。
ついに、出ちゃったのよね、エル・サルバドール。