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アパートメントのドアを開ける。
廊下の明りはついてなかった。リビングから、かすかな光がもれてくるのが感じられる。
俺は、ゆっくりと、眉子叔母さんを驚かさないように、ゆっくりと歩いて、室内ドアのノブに手をかける。窓際のスタンドライトだけがついているのがうかがえる。
リビングルームにはいると、すぐに、タバコの強い香りに気づいた。
ふだんは、そんなにいっぱいは吸わないはずなのに。
眉子叔母さんは動かない。
窓の外には、十六階からの夜景が広がっていた。
「ただいま」
と、俺は言った。
「心配しないで」
挨拶を無視した叔母さんの返事。小さい声だった。
「MSUでしょ、あなたが気にしているのは」
そうだった。
何に対してであれ、単刀直入というのが眉子叔母さんの流儀だった。
「ノー・プロブレム。私はMSUとの関係は断つわ。というか、あなたはそう思ってるのかもしれないけど、もともと私はMSUの活動家ではないのよ、お兄さん」
眉子叔母さんのいるソファに向かって歩いていた俺は、立ち止まってしまった。とっさには反応ができない。
お兄さん、だって?
眉子叔母さんは、俺の叔母だ。彼女から見たら、俺は甥になる。
これまでの会話から判断すれば、眉子叔母さんの日本語の能力は、たいしたものだった。兄と甥を間違えたりはしないだろう。
叔母さんの言う「お兄さん」が、さっきの店での「社長」みたいなのと同じ用法だったりするはずは……、まあ、ないわな。
叔母さんは、左右に軽く首を振った。あきれた、というように。
「私も驚いたわ。あなたが私の兄だったなんて。完全に私はだまされていた」
「だまされるって、だれに?」
ようやく、俺が発言するチャンスができたじゃない。
眉子叔母さんは、いま聞いたばかりの説が本当なら、俺の妹の眉子は、新しいタバコに火をつけた。
「母よ。もちろん、両親だと思ってて、実は祖父母だったふたりも加担してたわけだけど。私は、ずっとね、母のことを姉だって言われて育てられたの」
視線を窓のほうにそらす。悔しそうだ。
「あなたも、それがだれなのか、もうわかってるでしょ。私たちは兄妹なんだから、ふたりの共通の母にあたるひとのこと」
俺は、首を振った。
知らない。まったく、わからない。
叔母さんは、アゴをつきだすようにして、煙を口から吐いた。
「慧って女よ」
叔母さん、こんなときぐらいは、単刀直入をやめるべきだよ。心の準備ってやつができないじゃないの。
だって、俺は、その母親だって女と寝てるんだぜ。