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「親なんて、どうでもいいんじゃないのですか? 私たち任侠道《にんきようどう》に生きるものは、みんな、一度、血縁関係は、ご破算にしてます」
焼鳥の串《くし》をテーブルの上の竹の筒にほうりこみながら、店長は言う。
「父もなし母もなし、兄弟もなし。そうやって血縁をすべて捨ててから盃《さかずき》をもらいます。あなたの好きな北島三郎の歌が、それです。親の血をひく兄弟よりも、堅い契りの義兄弟」
店長は、口ずさんだ。
そうだ、これを最初に聴いたのは、深夜の病室だ。侵入してきた中国人だって言う男の日本語がうまいんで、印象に残っていた。
「だれだって、家族なんてうんざりです。ポイ捨てしたらいいのです」
「そうよ。大賛成。生まれつき与えられた家族にしばられず、新たに選び直すのって、日本のヤクザの何より素晴らしいところよね。でも、店長、その血縁を否定する説って、店長の中国人のキャラクターと矛盾しない?」
横からサリナが口をはさんだ。
店長は、一瞬、ギクッとしたみたい。
ちょっと、ためらってから、
「私、ユダヤ人あるね。中国のこと、あまり知りません」
と、言った。
いいかげんなやつ。
サリナは、俺に向かって、
「店長がユダヤ人でもパレスチナ人でもかまわないけど、言ってることは正しい。家族なんて、関係ないわ。せっかく記憶喪失になって嫌なこと忘れられたんだから、そのままでいなさいよ」
店長とサリナにはさまれて、俺は焼鳥屋のカウンターにいる。
この組合せって初めてなんだけど、なんか、妙に落ち着く。
「ズリいませんか、ズリの方。お客さん、ズリ上がりました」
店員が大きな声を張り上げた。目が店内をさまよっているけれど、応じる客がいない。
「いいです。それ、私がもらいますです」
店長が手を挙げて合図した。
「すみませんね、いつも」
店長とサリナと俺の前に、ズリの串が置かれる。
「生《なま》、みっつ、ちょうだい」
サリナが注文。
「喜んで。へい、生中《なまちゆう》、三万杯。カウンターさん、でーす」
すごいデカイ声で、耳が死にそうになる。
「それより、叔母さん、連れてきたらよかったでしょう。叔母さんではなくて、妹の眉子さんですか。どちらでもいいですね」
店長は酔っている気がする。案外、酒は弱い。
「そうよ。日本研究するって言ってて、焼鳥屋に来ないなんて」
サリナがズリの串を手にとる。
眉子叔母さんは、ちょっと、そんな気になれない、と言っていた。元気がない。俺にしたって、それはそうなんだけど。
「でもねえ、俺の場合、ふつうの親じゃなくて、クローンだったわけだぜ」
俺、話、もどした。
叔母さんの話題は避けたい。
「関係ありませんよ。クローンでもウーロンでも。あ、くだりませんですか、ユダヤ式ジョーク」
店長は、ひとりで笑った。
「ペーロンというのは、船です、たしか」
まだ、そんなことを。だれも聞いてないぜえ。
「そうねえ。クローン胚《はい》。ウーロン・ハイ。似てないこともないわね。あの、ウーロン・ハイって、だれが考えたのかしら。お茶で割るなんて。ねえ、店長」
サリナまでが、だじゃれに参加する。
店長は返事しなかった。
俺が見ると、店長は固まっていた。一点を見ている。
俺の視線に気づいた店長は、右手に持ったキャベツで指した。
その先にはテレビがあった。さっきから、俺が見ると、コマーシャルばかりやってるみたいだったんだけど。
画面にはKが映っていた。
頭を下げる。ピンクのスーツが妙に目立つ。
「MSUの慧さんに、今日は、わざわざお出でいただきました。慧さんは、いま、ドキュメンタリーの撮影中だそうです」
テレビの割れた音声。
「そうですね。これまでのMSUの歴史をたどるドキュメントなんです」
案外に低い声。これが、俺の母親なのだろうか。DNAは受け継がないものの。
「言われてみると……、眉子叔母さんに似てますですか?」
店長はキャベツを、ニンニクのタレにつけた。
「そうねえ。高橋が父親のクローンってことなら、高橋とは似てないのよね。でも、どっちとも言える。目はふたつだし、鼻と口はひとつ。そんなのわかんないわよねえ」
サリナの論評。
「細胞のミトコンドリアにも少量のDNAがあって、それは母親の卵に由来するから、高橋はやっぱり、その分だけ近親|相姦《そうかん》だって知ってた? どうでもいいんだけど」
Kと寝たって話、ふたりにしなきゃよかった。
「サリナさん、すごいですね。どこでそんな知識を得ましたですか」
「あら、現代人の常識よ」
サリナは手を伸ばし、店長の前にある銀色のボウルからキャベツを取った。
「ふふ。本当はね、MSUの本で読んで知ったの」
画面が録画されたものに切り替わった。ドキュメンタリーの撮影風景。
たぶん病院の廊下を歩いているK。
「医師を目指されていたあー学生のころにいー、宇宙に興味を持ったんだってえー、お聞きしましたがあー」
舌ったらずの、独特な発声。
聞いたことがある。
紺色のジャケット姿でKにマイクを差し出したのは、間違いない、ユウカだ。
カメラが引いて、撮影の様子が映される。
懐かしい、と言っても、そんな前のことではないのだけれど、大きなレフ板をかかえたハルさん。サングラスでキャメラをのぞく監督。
映ってないけれど、当然、助監督もいるのだろう。
「ふー」
店長がため息。
「たいへん、よかったです」
ぼそり、と、つぶやく。
「よかったわねえ」
サリナが応じた。
「はい、渡辺組に仕事があって、万歳です」
「本当に、よかったわ」
それで、三人で乾杯した。監督たちの新しい仕事の成功を願って。
ユウカのリクルート風の紺のスーツは、貸衣装のように合っていなかった。
すぐにも、ブラウスのボタンをはずし、大きな胸を出しそうな気がした。