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「警察の方だったのですか。あっ、それは、どうも、どうもです。最初から、そう言ってくださればよかったのに」
と、店長。いつにもまして丁寧な言葉づかい。
「秘密警察は、秘密にしているから秘密警察なのよ。自分で私は秘密警察ですって名乗るわけにはいかない」
と、サリナ。
と、いうことで、この世の中では、どんなことだって起こる。彼女は日本の秘密警察《JCIA》の一員だったのだ。
「マフィアの潜入捜査が私の任務だったんだけど、最近はMSUにかかりっきりで。でも、テレビに映っちゃうなんてマヌケねえ、私」
そんなことはないと思う。画面のごく片隅で、捜査員の脇にいるサリナに気づくなんていうのは、店長と眉子叔母さんぐらいだろう。
たとえ目に映ったとしても、MSUは圧倒的に女性信者が多いから、そのひとりだと考えて記憶に残らないのがふつうだ。
「で、MSUの罪状は、どうなりそうなの?」
コーヒーを運んできた眉子叔母さんが聞く。若いアボガダとしての興味なのか、母を気づかっているのか。
「うーん、それがねえ、そんなに悪いことしてないのよ。MSUはネズミ講だとも言えるし、そうでないとも言える。権力の都合次第ね」
「それって、どういうこと?」
俺にとっては、予想外のサリナの答だ。あんなに、はなばなしい逮捕劇だったのに。
「MSUがサプリメントや健康食品の販売の形をとって、多額の上納金を吸い上げて分配していたのは事実。でも、犯罪かどうかは、グレーゾーンなんじゃないかしら」
「それは、そうなのです。たいがいのことは、グレーゾーンなのです、この国では」
店長は納得している。
「私たちの商売なんて、グレーもいいところです。本当はまっ黒でも、遠くから見ればまっ白なグレーです」
難しいことを。
「えーと、霊感商法って呼ぶんだっけ? 買わないと不幸になる、みたいなのは?」
うちのMSUウォッチャーは、その点を前から気にしていた。
「それも、ねえ。別に、MSUって、特にひどくは脅してないみたい。昔からの占いだとか民間の拝み屋さんたち、厄年だとか水子供養だとか、ほら、あの高額の戒名だとかのほうが、MSUよりよっぽど悪質でしょ。MSUは、百万円の壺《つぼ》を買えとか、浄財を寄付しないと災いがある、娘がいつまでも嫁にいけないって持ちかけたりはしない」
俺、よく知らないけど、そんなもんにだまされたりするやつなんているのか、って考えると、いるんだろうな。人間、たぶん、弱い。何かを信じたいんだと思う。
だって、MSUが、短期間にこんなに信者を獲得したんだって、同じはずだ。
「ね、世間にいっぱいある詐欺みたいなのに比べたら、MSUは、結局は、ちょっと高めの健康食品を売るだけだし。飲めば病気が治る、っていうのが問題になったとしても、せいぜい薬事法レベルよね」
サリナは、まじめに説明してくれる。
「あとは、最初に言った、その販売組織がネズミ講かってこと。支部の作り方や勧誘のやり方、上納金のシステム。似たようなことしてる会社は、腐るほどある」
「だったら、なんで逮捕されたの?」
俺の単純な疑問。
「それは、もう、決まってる。いまの権力を握る側にとって、プラスにならないからよ。MSUが選挙でどのくらい支持が得られるかは、未知数だけど。いまのうちに派手に弾圧して、つぶしたかったの」
サリナの話に、叔母さんがうなずいて、
「そうね。MSU本来の教義からしたら、野党勢力になるのは明らかね。世界的に見ても、宗教政党が政権の不安定要因になってる国は多いわ」
と言った。
「やっぱり、ポイントとなるのは桝本との提携でしょうか?」
店長が、サリナの方に身を乗り出した。
「マフィアは、あなたが専門。私は、秘密警察」
サリナがあけたカップに、叔母さんがポットからコーヒーを注ぐ。
「MSUが高原組についてたら、うまくいってたのでしょうか」
店長が天井を見上げながら言った。
「可能性はね。それで与党に資金提供するとか、選挙協力するとか。でも、そういう計算は、慧にはできなかったでしょうね。純粋なひとだから」
意外だった。
サリナは、Kを、MSUの理事長であり、一応は俺の母親である女を「純粋」と呼んだ。
「そうですか。私が、MSUの事務長とか宗務局長とか、そんなのになっていればよかったのですね。それで、お金の問題を、中国四千年の知恵でコントロールする。惜しいです。大出世のチャンスをのがしましたです」
「ダメよ。今回の逮捕がなくても、MSUは、そのうち自分で崩壊してたわ。あの理論のままじゃ」
叔母さんは、一貫してMSUに厳しい。
「結構、いい主張もしてたんだけどねえ」
サリナの言葉で、みんな黙った。
話題としては、出尽くした感じ。
これで、一件落着?
MSUに関しては、それでいいだろう。
俺は、そういうわけには、いかなかった。あとひとつだけ、しなければならないことが残っている。