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1Q84 (1-6)
日期:2018-10-13 21:48  点击:439
第6章 天吾
      我々はかなり遠くまで行くのだろうか?
 
 
 小松から電話がかかってきたのは、金曜日の早朝、五時過ぎだった。そのときは長い石造りの橋を歩いて渡っている夢を見ていた。向こう岸に忘れてきた何か大事な書類を取りに行くところだった。橋を歩いているのは天吾一人だけだ。ところどころに砂州のある、大きな美しい川だ。ゆっくりと水が流れ、砂州には柳の木も生えている。鱒たちの優雅な姿も見える。鮮やかな緑の葉がやさしく水面に垂れ下がっている。中国の絵皿にあるような風景だった。彼はそこで目を覚まし、真っ暗な中で枕元の時計に目をやった。そんな時間に誰が電話をかけてきたのか、もちろん受話器を取る前から見当はついた。
「天吾くん、ワープロ持ってるか?」と小松は尋ねた。「おはよう」もなく、「もう起きてたか?」もない。この時刻に彼が起きているということは、きっと徹夜明けなのだろう。日の出が見たくて早起きをしたわけではない。どこかで眠りに就く前に、天吾に言っておくべきことを思い出したのだ。
「もちろん持ってませんよ」と天吾は言った。あたりはまだ暗い。そして彼はまだ長い橋の真ん中あたりにいた。天吾がそれほどくつきりとした夢を見るのは珍しいことだった。「自慢じゃないけど、そんなものを買う余裕はありません」
「使えるか?」
「使えますよ。コンピュータでもワードプロセッサーでも、あればいちおう使えます。予備校に行けばありますし、仕事ではしょっちゅう使っています」
「じゃあ、今日どこかでワープロをひとつ、見つくろって買ってきてくれ。俺は機械[#傍点]もの[#傍点終わり]のことはからっきしわからんから、メーカーだとか…機種だとかは任せるよ。代金はあとで請求してくれ。それを使って、なるたけ早く『空気さなぎ』の書き直しを始めてもらいたい」
「そう言われても、安くても二十五万円くらいはしますよ」
「かまわんよ、それくらい」
 天吾は電話口で首をひねった。「つまり、小松さんが僕にワードプロセッサーを買ってくれるんですか?」
「ああ、俺のささやかなポケットマネーをはたいてね。この仕事にはそれくらいの資本投下は必要だ。けちけちしてちゃたいしたことはできない。君も知ってのとおり『空気さなぎ』はワープロ原稿のかたちで送られてきたし、となると書き直すのもやっぱりワープロを使わないと具合が悪い。できるだけ元の原稿と似た体裁にしてくれ。今日から書き直しは始められるか?」
 天吾はそれについて考えた。「いいですよ。始めようと思えばすぐにでも始められます。でもふかえりは僕が日曜日に、彼女の指定する誰かと会うことを書き直し許可の条件にしていますし、その人物にはまだ会っていません。会ってみたら交渉決裂、お金も労力もみんな無駄に終わってしまった、という可能性もなくはありません」
「かまわない。そいつはなんとかなる。細かいことは気にせずに、今すぐにでもとりかかってくれ。こいつは時間との競争なんだよ」
「面接がうまくいくという自信があるんですか?」
「勘だよ」と小松は言った。「俺にはそういう勘が働くんだ。何によらず才能みたいなものは授かっていないみたいだが、勘だけはたっぷり持ち合わせている。はばかりながらそれひとつで今まで生き残ってきた。なあ天吾くん、才能と勘とのいちばん大きな違いは何だと思う?」
「わかりませんね」
「どんなに才能に恵まれていても腹一杯飯を食えるとは限らないが、優れた勘が具わっていれば食いっぱぐれる心配はないってことだよ」
「覚えておきましょう」と天吾は言った。
「だから案ずることはない。今日からさっそく作業を始めてかまわない」
「小松さんがそう言うのなら、僕はかまいません。見込み発車でものごとを始めて、あとで『あれは無駄骨だったね』みたいなことになりたくなかっただけです」
「そのへんは俺がすべての責任をとるよ」
「わかりました。午後に人に会う約束があるけれど、あとは暇です。朝のうちに街に出てワードプロセッサーをみつくろってきます」
「そうしてくれ、天吾くん。あてにしている。二人で力をあわせて世間をひっくり返そう」
 九時過ぎに人妻のガールフレンドから電話があった。夫と子供たちを車で駅まで送り届けたあとの時間だ。その日の午後に彼女は天吾のアパートを訪れることになっていた。金曜日は二人がいつも会う日だ。
「身体の具合が[#傍点]思わしくないの[#傍点終わり]」と彼女は言った。「残念だけど今日は行けそうにない。また来週にね」
 身体の具合が[#傍点]思わしくない[#傍点終わり]というのは、生理期間に入ったということの娩曲な表現だった。彼女はそういう上品で娩曲な表現をする育ち方をしたのだ。ベッドの中の彼女は、とくに上品でも娩曲でもなかったけれど、それはまたべつの問題だ。会えなくて僕もとても残念だ、と天吾は言った。でもまあ、そういうことなら仕方ない。
 しかし今週に限って言えば、彼女と会えないことがそれほど残念というわけでもなかった。彼女とのセックスは楽しかったが、天吾の気持ちは既に『空気さなぎ』の書き直しの方に向かっていた。いろんな書き直しのアイデアが、太古の海における生命萌芽のざわめきのように、彼の頭の中に浮かんだり消えたりしていた。これじゃ小松さんと変わりないな、と天吾は思った。正式にものごとが決定する前に、既に気持ちがそちらに向かって勝手に動き出している。
 十時に新宿に出て、クレジット・カードを使って富士通のワードプロセッサーを買った。最新式のもので、同じラインの以前の製品に比べるとずいぶん軽量化されていた。予備のインクリボンと、用紙も買った。それを提げてアパートに戻り、机の上に置いてコードを接続した。仕事場でも富士通の大型ワードプロセッサーを使っていたし、小型機とはいえ基本的な…機能にはそれほど変わりはない。機械の操作性を確かめながら、天吾は『空気さなぎ』の書き直しにかかった。
 その小説をどのように書き直していくか、明確なプランと呼べるようなものはなかった。個々の細部についてのアイデアがいくつかあるだけだ。書き直しのための一貫した方法や原則が用意されているわけではない。そもそも『空気さなぎ』のような幻想的で感覚的な小説を、論理的に書き直すことが可能なのか、天吾には確信がない。小松が言うように、文章に大幅に手を入れざるを得ないことは明らかだが、そうやってなおかつ、作品本来の雰囲気や資質を損なわずにおけるものだろうか。それは蝶に骨格を与えるのに等しいのではないのか。そんなことを考え出すと迷いが生じ、不安が高まった。しかしものごとは既に動き始めている。そして時間は限られている。腕組みをして考え込んでいる余裕はない。とにかく細かいところからひとつひとつ具体的に片づけていくしかあるまい。手作業で細部を処理しているうちに、全体像が自ずと浮かび上がってくるかもしれない。
 天吾くん、君にならできる。俺にはそれがわかるんだ、と小松は自信を持って断言した。そしてどうしてかはわからないが、天吾にはそんな小松の言葉をとりあえず丸ごと受け入れることができた。言動にかなり問題のある人物だし、基本的には自分のことしか考えていない。もしそうする必要が生じれば、天吾のことなどあっさり見捨てるに違いない。そして振り返りもしないだろう。しかし本人も言うように、彼の編集者としての勘には何か特別なものがあった。小松には常に迷いというものがない。何ごとであれ即座に判断し決定し、実行に移す。まわりの人間がなんと言おうと気にもかけない。優れた前線指揮官に必要とされる資質だ。そしてそれはどう見ても天吾には具わっていない資質だった。
 天吾が実際に書き直し作業を始めたのは、昼の十二時半だった。『空気さなぎ』の原稿の最初の数ページを切りの良いところまで、原文のままワードプロセッサーの画面にタイプした。ひとまずこのブロックを納得いくまで書き直してみょう。内容そのものには手を加えず、文章だけを徹底的に整えていく。マンションの部屋の改装と同じだ。基本的なストラクチャーはそのままにする。構造自体に問題はないのだから。水まわりの位置も変更しない。それ以外の交換可能なもの——床板や天井や壁や仕切り——を引きはがし、新しいものに置き替えていく。俺はすべてを一任された腕のいい大工なのだ、と天吾は自分に言い聞かせた。決まった設計図みたいなものはない。その場その場で、直感と経験を駆使して工夫していくしかない。
 一読して理解しにくい部分に説明を加え、文章の流れを見えやすくした。余計な部分や重複した表現は削り、言い足りないところを補った。ところどころで文章や文節の順番を入れ替える。形容詞や副詞はもともと極端に少ないから、少ないという特徴を尊重するとしても、それにしても何らかの形容的表現が必要だと感じれば、適切な言葉を選んで書き足す。ふかえりの文章は全体的には稚拙であったものの、良いところと悪いところがはっきりしていたから、取捨選択に思ったほど手間はかからなかった。稚拙だからわかりにくく、読みにくい部分があり、その一方で稚拙ではあるけれど、それ故にはっとさせられる新鮮な表現があった。前者は思い切りよく取り払って別のものに替え、後者はそのまま残せばいい。
 書き直し作業を進めながら天吾があらためて思ったのは、ふかえりは何も文学作品を残そうという気持ちでこの作品を書いたのではない、ということだった。彼女はただ自分の中にある物語を——彼女の言葉を借りれば彼女が実際に目にしたものを——[#傍点]とりあえず[#傍点終わり]言葉を使って記録しているだけだ。べつに言葉でなくてもよかったのだが、言葉以外に、それを表すための適切な表現手段が見つからなかった。それだけのことだ。だから文学的野心みたいなものは最初からない。できあがったものを商品にするつもりもないから、文章表現に細かく気を配る必要がない。部屋にたとえれば、壁があって屋根がついていて、雨風さえしのげればそれで十分という考え方だ。だから天吾が彼女の文章にどれだけ手を入れようが、ふかえりとしては気にならない。彼女の目的は既に達せられているわけだから。「すきになおしていい」と言ったのは、おそらくまったくの本心なのだ。
 にもかかわらず『空気さなぎ』を構成している文章は決して、自分一人がわかればいいというタイプの文章ではなかった。もし自分が目にしたものや、頭に浮かんだものを情報として記録するだけがふかえりの目的であれば、箇条書きのようなメモで用は足りたはずだ。面倒な手順を踏んでわざわざ読み物に仕立てる必要はない。それはどう見ても、[#傍点]ほかの誰か[#傍点終わり]が手にとって読むことを前提として書かれた文章だった。だからこそ『空気さなぎ』は文学作品とすることを目的として書かれていないにもかかわらず、そして文章が稚拙であるにもかかわらず、人の心に訴える力を身につけることができた。しかしその[#傍点]ほかの誰か[#傍点終わり]とはどうやら、近代文学が原則として念頭に置いている「不特定多数の読者」とは異なったものであるらしい。読んでいて、天吾にはそういう気がしてならなかった。
 じゃあ、いったいどのような種類の読者が想定されているのだろう?
 天吾にはもちろんわからない。
 天吾にわかるのは、『空気さなぎ』が大きな美質と大きな欠陥を背中合わせに具えた、きわめてユニークなフィクションであり、そこにはまた何かしら特殊な目的があるらしいということくらいだった。
 
 書き直しの結果、原稿量はおおよそ二倍半に膨らんだ。書きすぎているところよりは、書き足りないところの方が遥かに多いから、筋道立てて書き直せば、全体量はどうしても増える。なにしろ最初が[#傍点]すかすか[#傍点終わり]なのだ。文章が筋の通ったまともなものになり、視点が安定し、そのぶん読みやすくはなった。しかし全体の流れがどことなくもったりとしている。論理が表に出すぎて、最初の原稿の持っていた鋭い切れ味が弱められている。
 次におこなうのは、その膨らんだ原稿から「なくてもいいところ」を省く作業だ。余分な贅肉を片端からふるい落としていく。削る作業は付け加える作業よりはずっと簡単だ。その作業で文章量はおおよそ七割まで減った。一種の頭脳ゲームだ。増やせるだけ増やすための時間帯が設定され、その次に削れるだけ削るための時間帯が設定される。そのような作業を交互に執拗に続けているうちに、振幅はだんだん小さくなり、文章量は自然に落ち着くべきところに落ち着く。これ以上は増やせないし、これ以上は削れないという地点に到達する。エゴが削り取られ、余分な修飾が振い落とされ、見え透いた論理が奥の部屋に引き下がる。天吾はそういう作業が生来得意だった。生まれながらの技術者なのだ。餌を求めて空を舞う鳥の鋭い集中力を持ち、水を運搬するロバのごとく忍耐強く、どこまでもゲームのルールに忠実だった。
 
 息を詰めて、そのような作業を夢中になって続け、一息ついて壁の時計を見ると、もう三時前になっていた。そういえばまだ昼食をとっていない。天吾は台所に行って、やかんに湯を沸かし、そのあいだにコーヒー豆を挽いた。チーズを載せたビスケットを何枚か食べ、リンゴを噛り、湯が沸くとコーヒーを作った。それを大きなマグカップで飲みながら、気分転換のために、年上のガールフレンドとのセックスのことをひとしきり考えた。本来であれば、今頃は彼女と[#傍点]それ[#傍点終わり]をしているはずだった。そこで彼が何をするか、彼女が何をするか。彼は目を閉じ、天井に向かって、暗示と可能性を重く含んだ深いため息をついた。
 それから天吾は机の前に戻り、もう一度頭の回路を切り替え、ワードプロセッサーの画面の上で、書き直された『空気さなぎ』の冒頭のブロックを読み返した。スタンリー・キューブリックの映画『突撃』の冒頭のシーンで、将軍が塹壕《ざんごう》陣地を視察して回るように。彼は自分が目にしたものに肯く。悪くない。文章は改良されている。ものごとは前進している。しかし十分とはいえない。やらなくてはならないことはまだ数多くある。あちこちで土嚢《どのう》が崩れている。機関銃の弾丸が不足している。鉄条網が手薄になっている箇所も見受けられる。
 彼はその文章を紙にいったんプリントアウトした。それから文書を保存し、ワードプロセッサーの電源を切り、機械を机の脇にどかせた。そしてプリントアウトを前に置き、鉛筆を片手にもう一度念入りに読み返した。余計だと思える部分を更に削り、言い足りないと感じるところを更に書き足し、まわりに馴染まない部分を納得がいくまで書き直した。浴室の細かい隙間に合ったタイルを選ぶように、その場所に必要な言葉を慎重に選択し、いろんな角度からはまり具合を検証する。はまり具合が悪ければ、かたちを調整する。ほんのわずかなニュアンスの相違が、文章を生かしもし、損ないもする。
 ワードプロセッサーの画面と、用紙に印刷されたものとでは、まったく同じ文章でも見た目の印象が微妙に違ってくる。鉛筆で紙に書くのと、ワードプロセッサーのキーボードに打ち込むのとでは、取り上げる言葉の感触が変化する。両方の角度からチェックしてみることが必要だ。機械の電源を入れ、プリントアウトに鉛筆で書き込んだ訂正箇所を、ひとつひとつ画面にフィードバックしていく。そして新しくなった原稿を今度は画面で読み直す。悪くない、と天吾は思う。それぞれの文章がしかるべき重さを持ち、そこに自然なリズムが生まれている。
 天吾は椅子に座ったまま背筋を伸ばし、天井を仰ぎ、大きく息を吐いた。もちろんこれですっかり完成したわけではない。何日か置いて読み返してみれば、また手を入れるべきところが見えてくるはずだ。しかし今のところはこれでいい。このあたりが集中力の限度だ。冷却期間も必要だ。時計の針は五時に近づき、あたりはうす暗くなり始めている。明日は次のブロックを書き直そう。冒頭の数枚を書き直すだけで、ほとんど丸一日かかってしまった。思ったより手間取った。しかしいったんレールが敷かれ、リズムが生まれれば、作業はもっと迅速に運ぶはずだ。それに何によらず、いちばんむずかしくて手間がかかるのは、冒頭の部分なのだ。それさえ乗り越えてしまえば、あとは——。
 
 それから天吾はふかえりの顔を思い浮かべ、彼女がこの書き直された原稿を読んで、いったいどのように感じるだろうと考えた。しかし彼女が何をどのように感じるか、天吾には見当もつかない。ふかえりという人間について、彼はまったく知らないも同然なのだ。彼女が十七歳で、高校三年生だが大学受験にはまったく興味を持たず、一風変わったしゃべり方をして、白ワインを好み、人の心をかき乱すような種類の美しい顔立ちをしている、という以外には何ひとつ。
 しかしふかえりがこの『空気さなぎ』の中で描こうとしている(あるいは記録しようとしている)世界のあり方を、自分がおおむね正確に把握しつつあるという手応えが、あるいは手応えに近いものが、天吾の中に生まれた。ふかえりがその独特の限定された言語を用いて描こうとした光景は、天吾が丁寧に、注意深く手を入れて書き直したことによって、以前にも増して鮮やかに、明確にそこに浮かび上がっていた。そこにはひとつの流れが生まれていた。天吾にはそれがわかった。彼はあくまで技術的な側面から手を加え補強しただけなのだが、まるでもともと自分が書いたもののように、その仕上がりは自然でしつくりとしていた。そして『空気さなぎ』というひとつの物語が、そこから力強く立ち上がろうとしていた。
 天吾にはそれが何より嬉しかった。書き直しの作業に長い時間意識を集中させていたせいで、体は疲弊していたが、それと裏腹に気持ちは昂揚していた。ワードプロセッサーの電源を切り、机の前を離れたあとも、このままもっと書き直しを続けていたいという思いがしばらく収まらなかった。彼はこの物語の書き直し作業を心から楽しんでいた。このぶんで行けば、ふかえりをがっかりさせないで済むかもしれない。とはいえ、ふかえりが喜んだりがっかりしたりする姿が、天吾にはうまく想像できない。それどころか、口元をほころばせたり、微かに顔を曇らせたりするところだって思い描けなかった。彼女の顔には表情というものがない。もともと感情がないから表情がないのか、それとも感情はあるがそれが表情と結びついていないのか、天吾にはわからない。とにかく不思議な少女だ、と天吾はあらためて思った。
 
『空気さなぎ』の主人公はおそらくは過去のふかえり自身だった。
 彼女は十歳の少女で、山中にある特殊なコミューンで(あるいはコミューンに類する場所で)一匹の盲目の山羊の世話をしている。それが彼女に与えられた仕事だ。すべての子供たちはそれぞれの仕事を与えられている。その山羊は年老いてはいるがそのコミュニティーにとってとくべつな意味を持つ山羊であり、何かに損なわれないように見張っている必要がある。いっときも目を離してはならない。彼女はそう言いつけられる。しかしついうっかりして目を離し、そのあいだに山羊は死んでしまう。彼女はそのことで懲罰を受ける。古い土蔵に死んだ山羊と一緒に入れられる。その十日間、少女は完全に隔離され、外に出ることは許されない。誰かと口をきくことも許されていない。
 山羊はリトル・ピープルとこの世界の通路の役をつとめている。リトル・ピープルが良き人々なのか悪しき人々なのか、彼女にはわからない(天吾にももちろんわからない)。夜になるとリトル・ピープルはこの山羊の死体を通ってこちら側の世界にやってくる。そして夜が明けるとまた向こう側に帰って行く。少女はリトル・ピープルと話をすることができる。彼らは少女に、空気さなぎの作り方を教える。
 
 天吾が感心したのは、目の見えない山羊の習性やその行動が、細かいところまで具体的に描かれているところだった。そのようなディテールが、この作品全体をとても生き生きとしたものにしている。彼女は実際に目の見えない山羊を飼ったことがあるのだろうか? そして彼女はそこに描かれているような、山中のコミューンで実際に生活していたことがあるのだろうか? たぶんあるのだろうと天吾は推測した。もしそんな経験がまったくないのだとしたら、ふかえりは物語の語り手として、それこそ希有な天性の才能を持っていることになる。
 この次ふかえりに会ったとき(それは日曜日になるはずだ)、山羊とコミューンのことを尋ねてみようと天吾は思った。もちろんふかえりがそんな質問に答えてくれるかどうかはわからない。前回交わした会話を思い出すと、彼女は答えてもいいと思う質問にしか答えないように見える。答えたくない質問は、あるいは答えるつもりのない質問は、あっさり無視してしまう。まるで聞こえなかったみたいに。小松と同じだ。彼らはそういう面では似たもの同士なのだ。天吾はそうではない。何か質問されれば、それがたとえどんな質問であれ、律儀に何かしらの答えは返す。そういうのはきっと生まれつきのものなのだろう。
 
 五時半に年上のガールフレンドから電話がかかってきた。
「今日は何をしていたの?」と彼女は尋ねた。
「一日中、ずっと小説を書いていたよ」と天吾は言った。半分は真実で、半分は嘘だ。自分の小説を書いていたわけではないのだから。でもそこまで詳しい説明をするわけにはいかない。
「仕事は捗《はかど》った?」
「まずまず」
「今日は急にごめんなさいね。来週は会えると思う」
「楽しみにしてる」と天吾は言った。
「私も」と彼女は言った。
 それから彼女は子供の話をした。彼女はよく天吾を相手に子供の話をした。二人の小さな娘。天吾には兄弟もいないし、もちろん子供もいない。だから小さな子供というのがどんなものなのかよくわからない。しかし彼女はそんなことにはおかまいなく自分の子供たちの話をした。天吾は自分から多くをしゃべる方ではない。何によらずひとの話を聞くのが好きだ。だから彼女の話に興味を持って耳を傾けた。小学校二年生の長女が、学校でいじめにあっているらしいと彼女は言った。子供自身は何も言わないのだが、同級生の母親がそういうことがあるみたいだと教えてくれた。天吾はもちろんその女の子に会ったことはない。一度写真を見せてもらったことがある。母親にはあまり似ていない。
「どんなことが原因でいじめられるの?」と天吾は尋ねた。
「喘息《ぜんそく》の発作がときどき起きるから、みんなと一緒にいろんな行動ができないの。そのせいかもしれない。素直な性格の子だし、勉強の成績も悪くないんだけど」
「よくわからないな」と天吾は言った。「喘息の発作がある子供はかばわれるべきで、いじめられるべきじゃない」
「子供の世界では、そう簡単にはいかないの」と彼女は言ってため息をついた。「みんなと違うというだけでつまはじきにあうこともある。大人の世界でも似たようなものだけど、子供の世界ではそれがもっと直接的なかたちで出てくるわけ」
「具体的にどんなかたちで?」
 彼女は具体的な例を並べた。ひとつひとつをとればたいしたことではないけれど、それが日常になれば子供には[#傍点]こたえる[#傍点終わり]ことだった。何かを隠す。口をきかない。意地の悪い物まねをする。
「あなたは子供のころ、いじめにあったことはある?」
 天吾は子供の頃を思い出した。「ないと思う。ひょっとしたらあったのかもしれないけど、気がつかなかった」
「もし気がつかなかったのなら、それは一度もいじめにあっていないということよ。だっていじめというのは、相手に自分がいじめられていると気づかせるのがそもそもの目的なんだもの。いじめられている本人が気がつかないいじめなんて、そんなものありえない」
 天吾は子供の頃から大柄だったし、力も強かった。みんなが彼に一目置いていた。いじめられなかったのはたぶんそのせいだろう。しかし当時の天吾は、いじめなんか以上に深刻な問題を抱えていた。
「君はいじめられたことはある?」と天吾は尋ねた。
「ない」と彼女ははっきり言った。そのあとに躊躇のようなものがあった。「いじめたことならあるけど」
「みんなと一緒に?」
「そう。小学校の五年生のときに。示し合わせて、男の子の一人にみんなで口をきかないようにした。なんでそんなことをしたのか、どうしても思い出せないの。何か直接の原因があったはずなんだけど、思い出せないくらいだから、そんなにたいしたことじゃなかったんじゃないかな。でもいずれにしても、そんなことをして悪かったと今では思っている。恥ずかしいことだったと思っている。どうしてそんなことしちゃったのかしら。自分でもよくわからない」
 天吾はそれに関連して、ある出来事をふと思い出した。ずっと以前に起こったことだが、今でも折に触れて記憶がよみがえる。忘れることはできない。しかしその話は持ち出さなかった。話し出すと長くなる。またそれは、いったん言葉にしてしまうと、いちばん重要なニュアンスが失われてしまうという種類の出来事だった。彼はこれまでそのことを誰にも話したことがなかったし、これから先もおそらく話すことはないだろう。
「結局のところ」と年上のガールフレンドは言った、「自分が排斥されている少数の側じゃなくて、排斥している多数の側に属していることで、みんな安心できるわけ。ああ、あっちにいるのが自分じゃなくてよかったって。どんな時代でもどんな社会でも、基本的に同じことだけど、たくさんの人の側についていると、面倒なことをあまり考えずにすむ」
「少数の人の側に入ってしまうと、面倒なことばかり考えなくちゃならなくなる」
「そういうことね」と憂諺そうな声で彼女は言った。「でもそういう環境にいれば少なくとも、自分の頭が使えるようになるかもしれない」
「自分の頭を使って面倒なことばかり考えるようになるかもしれない」
「それはひとつの問題よね」
「あまり深刻に考えない方がいい」と天吾は言った。「最終的にはそれほどひどいことにはならないよ。クラスにもきっと数人は、自分の頭がまっとうに使える子供がいるはずだから」
「そうね」と彼女は言った。それからしばらく一人で何かを考えていた。天吾は受話器を耳にあてたまま、彼女の考えがまとまるのを辛抱強く待っていた。
「ありがとう。あなたと話せてちょっと楽になった」と彼女は少しあとで言った。何か思い当たるところがあったようだった。
「僕も少し楽になった」と天吾は言った。
「どうして?」
「君と話せたから」
「来週の金曜日に」と彼女は言った。
 
 電話を切ったあとで、天吾は外に出て近所のスーパーマーケットに行き、食料品の買い物をした。紙袋を抱えて部屋に戻り、野菜と魚をひとつひとつラップにくるんで冷蔵庫にしまった。そのあとFM放送の音楽番組を聞きながら夕食の用意をしているときに、電話のベルが鳴った。一日に四度も電話がかかってくるのは、天吾にとってはずいぶん珍しいことだった。そんなことは年に数えるほどしかない。かけてきたのは今度はふかえりだった。
「こんどのニチヨウのこと」と彼女は前置きもなしに言った。
 電話の向こうで車のクラクションが続けざまに鳴るのが聞こえた。運転手は何かに対してかなり腹を立てているようだった。おそらく大きな通りに面した公衆電話から電話をかけているのだろう。
「今度の日曜日、つまりあさってに僕は君と会って、それからほかの誰かに会うことになっている」と天吾は彼女の発言に肉付けをした。
「あさの九じ・シンジュクえき・タチカワいきのいちばんまえ」と彼女は言った。三つの事実がそこには並べられている。
「つまり中央線下りホーム、いちばん前の車両で待ち合わせる、ということだね?」
「そう」
「切符はどこまで買えばいい?」
「どこでも」
「適当に切符を買っておいて、着いたところで料金を精算する」と天吾は推測し、補足した。『空気さなぎ』の書き直し作業に似ている。「それで、我々はかなり遠くまで行くのだろうか?」
「いまなにをしてた」とふかえりは天吾の質問を無視して尋ねた。
「夕ご飯を作ってた」
「どんなもの」
「一人だから、たいしたものは作らない。かますの干物を焼いて、大根おろしをする。ねぎとアサリの味噌汁を作って、豆腐と一緒に食べる。きゅうりとわかめの酢の物も作る。あとはご飯と白菜の漬け物。それだけだよ」
「おいしそう」
「そうかな。とりたてておいしいというほどのものじゃない。いつもだいたい似たようなものばかり食べている」と天吾は言った。
 ふかえりは無言だった。彼女の場合、長いあいだ無言のままでいることがとくに気にならないようだった。しかし天吾はそうではない。
「そうだ、今日から君の『空気さなぎ』の書き直しを始めたんだ」と天吾は言った。「君からまだ最終的な許可はもらっていないけど、日にちがあまりなくて、もう始めないと間に合わないということだから」
「コマツさんがそうするようにいった」
「そうだよ。小松さんが書き直しを始めるようにと僕に言ったんだ」
「コマツさんとなかがいい」
「そうだね。仲がいいのかもしれない」、小松と仲良くなれる人間なんてたぶんこの世界のどこにもいない。しかしそんなことを言い出すと話が長くなる。
「かきなおしはうまくすすんでいる」
「今のところは。おおむね」
「よかった」とふかえりは言った。どうやらそれは口先だけの表現でもないようだった。書き直し作業が順調に進んでいることを、彼女なりに喜んでいるみたいに聞こえた。ただ限定された感情表現は、その程度まで示唆してはくれなかった。
「気に入ってもらえるといいんだけど」と天吾は言った。
「しんぱいない」とふかえりは間を置かず言った。
「どうしてそう思うの?」と天吾は訊ねた。
 ふかえりはそれに対しては返事をしなかった。電話口でただ黙っていた。意図的な種類の沈黙だった。おそらく天吾に何かを考えさせるための沈黙だ。しかしどれだけ知恵を振り絞っても、どうして彼女がそんな強い確信を持てるのか天吾にはさっぱりわからなかった。
 天吾は沈黙を破るために言った。「ねえ、ひとつ聞きたいことがあるんだ。君は本当にコミューンみたいなところに住んで、山羊を飼ったことがあるの? そういうものごとの描写がとても真に迫っていた。だからそれが実際に起こったことかどうか、ちょっと知りたかった」
 ふかえりは小さく咳払いをした。「ヤギのはなしはしない」
「いいよ」と天吾は言った。「話したくなければ、話さなくてかまわない。ただちょっと訊いてみただけだ。気にしなくていい。作家にとっては作品がすべてだ。余計な説明を加える必要はない。日曜日に会おう。それで、その人に会うにあたって、何か気をつけた方がいいことはあるのかな?」
「よくわからない」
「つまり……、わりにきちんとした格好をしていった方がいいとか、何か手みやげみたいなものを持っていった方がいいとか、そういうこと。相手がいったいどういう人なのか、何もヒントがないから」
 ふかえりはまた沈黙した。しかし今度のは意図を持った沈黙ではなかった。天吾の質問の目的が、またそんな発想そのものが、彼女にはただ単純に呑み込めないのだ。その質問は彼女の意識の領域のどこにも着地しなかった。それは意味性の縁を越えて、虚無の中に永遠に吸い込まれてしまったようだった。冥王星のわきをそのまま素通りしていった孤独な惑星探査ロケットみたいに。
「いいよ、べつにたいしたことじゃないから」と天吾はあきらめて言った。ふかえりにそんな質問をすること自体が見当違いだった。まあ、どこかで果物でも買っていけばいい。
「じゃあ、日曜日の九時に」と天吾は言った。
 ふかえりは数秒の間を置いてから、何も言わずに電話を切った。「さよなら」もなく「じゃあ、日曜日に」もなかった。ただ電話がぷつんと切れただけだ。
 あるいは彼女は天吾に向かってこっくりと肯いてから受話器を置いたのかもしれない。しかし残念ながら大方の場合、ボディーランゲージは電話では本来の効果を発揮しない。天吾は受話器をもとに戻し、二度深呼吸をして頭の回路をより現実的なものに切り替え、それからつつましい夕食の支度を続けた。

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