第21章 青豆
どれほど遠いところに行こうと試みても
青豆は区の図書館に行き、前と同じ手順を踏んで机の上に新聞の縮刷版を広げた。三年前の秋に山梨県で起こった、過激派と警官隊とのあいだの銃撃戦についてもう一度調べるためだ。老婦人が話していた「さきがけ」という教団の本部は山梨県の山の中にあった。そしてこの銃撃戦が行われたのも、やはり山梨県の山中だった。ただの偶然の一致かもしれない。しかし偶然の一致というのが、青豆にはもうひとつ気に入らなかった。その二つのあいだには繋がりがあるかもしれない。老婦人の口にした「あんな重大な事件」という表現も、何らかの関連性を示唆しているようだった。
銃撃戦の起こったのは三年前、一九八一年(青豆の仮説によれば「1Q84年の三年前の年」ということになる)の十月十九日だ。銃撃戦の詳細については、彼女は前に図書館に来たときに報道記事を読んで、既に大まかな知識を得ていた。だから今回はその部分はざっと流し読みして、後日に出た関連記事や、事件を様々な角度から分析した記事を中心に読むことにした。
最初の銃撃戦では、中国製のカラシニコフ自動小銃によって三人の警官が射殺され、二人が重軽傷を負った。その後過激派グループは武装したまま山中に逃亡し、武装警官隊によって大がかりな山狩りが行われた。それと同時に、完全武装した自衛隊の空挺部隊がヘリコプターで送り込まれた。その結果、過激派の三人が投降を拒否して射殺され、二人が重傷を負い(一人は三日後に病院で死亡した。もう一人の重傷者がどうなったのかは、新聞記事からは判明しなかった)、四人が無傷かあるいは軽傷を負って逮捕された。高性能の防弾ベストを着用していたから、自衛隊員や警官たちには被害は出なかった。警官の一人が追跡中に崖から転落して脚を折っただけだった。過激派のうちの一人だけは行方不明のままだった。その男は大がかりな捜査にもかかわらず、どこかに消えてしまったようだ。
銃撃戦の衝撃が一段落すると、新聞はこの過激派の成立過程について詳細な報道を始めた。彼らは一九七〇年前後の大学紛争の落とし子だった。メンバーの半数以上は東大安田講堂か日大の占拠に関わっていた。彼らの「砦」が機動隊の実力行使によって陥落したあと、大学を追われたり、あるいは大学キャンパスを中心とする都市部での政治活動に行き詰まりを覚えた学生たちや一部教官が、セクトを超えて合流し、山梨県に農場を作ってコミューン活動を開始した。最初は農業を中心とするコミューンの集合体である「タカシマ塾」に参加したのだが、その生活に満足できず、メンバーを再編成して独立し、山奥の廃村を破格に安く手に入れて、そこで農業を営むようになった。初めのうちは苦労があったようだが、やがて有…機農法を用いた食材が都市部で静かなブームになり、野菜の通信販売がビジネスとして成立するようになった。そのような追い風を受けて彼らの農園はまずまず順調に発展し、規模を徐々に拡大していった。何はともあれ彼らはシリアスで勤勉な人々であり、指導者のもとによく組織化されていた。「さきがけ」というのがそのコミューンの名前だった。
青豆は顔を大きくしかめ、生唾を呑み込んだ。喉の奥で大きな音がした。それから彼女は手にしたボールペンで、机の表面をこつこつと叩いた。
彼女は記事を読み続けた。
しかし経営が安定する一方で、「さきがけ」の内部では分裂が次第に明確なかたちをとっていった。マルクシズムにのっとったゲリラ的な革命運動を希求し続けようとする過激な「武闘派」と、現在の日本においては暴力革命は現実的な選択ではないという事実を受け入れ、その上で資本主義の精神を否定し、土地と共に生きる自然な生活を追求しようとする比較的穏健な「コミューン派」に、グループが大きく二分してしまったのだ。そして一九七六年に数で優勢を誇るコミューン派が武闘派を「さきがけ」から放逐する事態に到った。
とはいえ「さきがけ」は力ずくで武闘派を追い出したわけではない。新聞によれば、彼らは武闘派に新しい替わりの土地と、ある程度の資金を提供し、円満に「お引き取り願った」らしい。武闘派はその取り引きに応じ、新しい代替地に彼ら自身のコミューン「あけぼの」をたちあげた。そしてどこかの時点で彼らは高性能の武器を入手したようだ。そのルートと資金の内容については今後の捜査による解明が待たれている。
一方の農業コミューン「さきがけ」がいつの時点で、どのようにして宗教団体へと方向転換していったのか、そのきっかけは何だったのか、警察にも新聞社にもよくつかめていないようだった。しかし「武闘派」をトラブルなしで切り捨てたそのコミューンは、その前後から急速に宗教的な傾向を深めたようで、一九七九年には宗教法人として認証を受けるに至った。そして周辺の土地を次々に購入し、農地と施設を拡張していった。教団施設のまわりには高い塀が築かれ、外部の人々はそこに出入りすることができなくなった。「修行の妨げになるから」というのが理由だった。そのような資金がどこから入ってくるのか、どうしてそれほど早い時期に宗教法人の認証を受けることができたのか、それも明らかにされていない部分だった。
新しい土地に移った過激派グループは、農作業と並行して敷地内での秘密武闘訓練に力を入れ、近隣の農民とのあいだにいくつかのトラブルを引き起こした。そのうちのひとつは、「あけぼの」の敷地内を流れる小さな河川の水利権をめぐる争いだった。その河川は昔から、地域の共同農業用水として使用されてきたのだが、「あけぼの」は近隣住民の敷地内への立ち入りを拒んだ。紛争は数年にわたって続き、彼らのめぐらした鉄条網の塀に対して苦情を申し出た住民が、「あけぼの」の数人のメンバーに激しく殴打されるという事件が起こるに至った。山梨県警が傷害事件として捜査令状を取り、事情聴取のために「あけぼの」に向かった。そしてそこで思いもよらず銃撃戦が持ち上がったわけだ。
山中での激しい銃撃戦の末に、「あけぼの」が事実上壊滅したあと、教団「さきがけ」は間を置かず公式な声明を発表した。ビジネス・スーツを着た、若いハンサムな教団のスポークスマンが、記者会見を開いて声明を読み上げた。論旨は明確だった。「あけぼの」と「さきがけ」とのあいだには、過去においてはともかく、現在の時点では関係は一切ない。分離したあとは、業務連絡のほかには行き来はほとんどなかった。「さきがけ」は農作業に励み、法律を遵守し、平和な精神世界を希求する共同体であり、過激な革命思想を追求する「あけぼの」派の構成員とは、これ以上行動を共にできないという結論に至り、円満に訣を分かった。その後「さきがけ」は宗教団体として、宗教法人認証も受けている。このような流血事件が引き起こされたのはまことに不幸なことではあり、殉職された警察官のみなさんとそのご家族に、深く哀悼の意を表したい。どのようなかたちにおいても、教団「さきがけ」は今回の出来事には関与していない。とはいえ「あけぼの」の出身母胎が「さきがけ」であることは打ち消しがたい事実であり、もし今回の事件に関連して、何らかのかたちで当局の調査が必要とされるのであれば、無用の誤解を招かぬためにも、教団「さきがけ」は進んでそれを受け入れる用意がある。当教団は社会に向けて開かれた合法的な団体であり、隠すべきものは何ひとつない。開示の必要な情報があれば、可能な限り要望に応じたい。
数日後、その声明にこたえるかのように、山梨県警が捜査令状を手に教団内に入り、一日かけて広い敷地をまわり、施設内部や各種書類を入念に調査した。何人かの幹部が事情聴取された。表面的に決別したとはいえ、分離後も両者のあいだには交流が続いており、「さきがけ」が「あけぼの」の活動に水面下で関与していたのではないかというのが、捜査当局の疑念だった。しかしそれらしき証拠はひとつとして見つからなかった。美しい雑木林の中の小径を縫うように木造の修行施設が点在し、そこで多くの人々が質素な修行衣を着て、瞑想や厳しい修行に励んでいるだけだ。そのかたわらで信者たちによる農耕作業がおこなわれていた。よく手入れされた農機具や重機が揃っているだけで、武器らしきものは発見できず、暴力を示唆するものも目につかなかった。すべては清潔で、整然としていた。小綺麗な食堂があり、宿泊所があり、簡単な(しかし要を得た)医療施設もあった。二階建ての図書館には数多くの仏典や仏教書が収められており、専門家による研究や翻訳が進められていた。宗教施設というよりはむしろ、こぢんまりした私立大学のキャンパスみたいに見えた。警官たちは拍子抜けして、ほとんど手ぶらで引き上げた。
その数日後、今度は新聞やテレビの取材記者が教団に招かれたが、彼らがそこで目にしたのも、警官たちが見たのとだいたい同じ風景だった。よくあるお仕着せのツアーではなく、記者たちは付き添いなしに敷地内の好きな場所を訪れて、誰とでも自由に話をし、それを記事にすることができた。ただし信者のプライバシー保護のために、教団の許可を得た映像と写真だけを使用するという取り決めが、メディアとのあいだに結ばれた。修行衣を身にまとった数人の教団幹部が、集会用の広い部屋で記者たちの質問に答え、教団の成り立ちや教義や運営方針について説明した。言葉遣いは丁寧、かつ率直だった。宗教団体によくあるプロパガンダ臭は一切排除されていた。彼らは宗教団体の幹部というよりは、プレゼンテーションに習熟した広告代理店の上級社員のように見えた。着ている服が違っているだけだ。
我々は明確な教義を持っているわけではない、と彼らは説明した。成文化されたマニュアルのようなものを、我々は必要とはしていない。我々がおこなっているのは初期仏教の原理的な研究であり、そこでおこなわれていた様々な修行の実践である。そのような具体的な実践をとおして、字義的ではない、より流動的な宗教的覚醒を得ることが、我々の目指すところである。個人個人のそのような自発的覚醒が、集合的に我々の教理を作り上げていると考えていただければいい。教義があって覚醒があるのではなく、まず個々の覚醒があり、その中から結果的に、我々の則《のり》を決定するための教義が自然発生的に生まれてくる。それが我々の基本的な方針である。そのような意味では、我々は既成宗教とは成り立ちを大きく異にしている。
資金については現在のところ、多くの宗教団体と同じように、その一部を信者の自発的な寄付に頼っている。しかし最終的には、寄付に安易に頼ることなく、農業を中心とした、自給自足の質素な生活を確立することを目標に置いている。そのような「足るを知る」生活の中で、肉体を清浄にし、精神を錬磨することによって、魂の平穏を得ることを目指している。競争社会の物質主義にむなしさを覚えた人々が、より深みのある別の座標軸を求めて、次々に教団の門をくぐっている。高い教育を受け、専門職に就き、社会的地位を得ていた人々も少なくない。我々は世間のいわゆる「新興宗教」とは一線を画している。人々の現世的な悩みを安易に引き受け、一括して人助けをするような「ファーストフード」宗教団体ではないし、そういう方向を目指しているわけでもない。弱者の救済はもちろん大事なことだが、自らを救済しようとする意識の高い人々にふさわしい場所と適切な助力を与える、いわば宗教の「大学院」に相当する施設だと考えていただければ近いかもしれない。
「あけぼの」の人々と我々とのあいだには、運営方針についてある時点から大きな意見の相違が生じ、一時期は対立することもあった。しかし話し合いの末に穏やかな合意に達し、分離してそれぞれ別の道を歩むようになった。彼らも彼らなりに、純粋に禁欲的に理想を追い求めていたのだが、それが結果的にあのような惨事に至ったことは、悲劇としか言いようがない。彼らが教条的になりすぎ、現実の生きた社会との接点を失っていったことがその最大の原因であろう。我々もこれを機会に、より厳しく自らを律しつつ、同時に外に向けて窓を開いた団体であり続けなくてはならないと肝に銘じている。暴力は何ひとつ問題を解決しない。ご理解願いたいのは、我々は宗教を押しつける団体ではないということだ。信者の勧誘をすることもないし、他の宗教を攻撃することもない。我々がおこなっているのは、覚醒や精神的追求を求める人々に、適切かつ効果的な共同体的環境を提供することだ。
報道関係者はおおむね、この教団について好意的な印象を抱いて帰路に就いた。信者たちは男女ともみんなすらりと痩せていて、年齢も比較的若く(ときどき高齢者の姿も見受けられたが)、美しい澄んだ目をしていた。言葉遣いは丁寧で、礼儀正しかった。信者たちは概して、過去について多くを語りたがらなかったが、その多くはたしかに高い教育を受けているようだった。出された昼食は(信者がふだん口にしているのとほぼ同じものだということだった)質素ではあったものの、食材は教団の農地でとれたばかりの新鮮なもので、それなりに美味だった。
そんなわけで多くのメディアは「あけぼの」に移った一部革命グループを、精神的な価値を希求する方向に向かっていた「さきがけ」から、必然的にふるい落とされた「鬼っ子」のような存在として定義した。八〇年代の日本においては、マルクシズムに基づいた革命思想など、もはや時代遅れな代物と化していた。一九七〇年前後にラディカルに政治を志向した青年たちは、今では様々な企業に就職し、経済という戦場の最先端で激しく切り結んでいた。あるいは現実社会の喧喋や競争から距離を置き、それぞれの居場所で個人的な価値の追求に励んでいた。いずれにしても世の中の流れは一変し、政治の季節は遠い過去のものになっていた。「あけぼの」事件はきわめて血なまぐさい、不幸な出来事ではあったけれど、長い目で見ればそれは、過去の亡霊がたまたま顔を見せた、季節はずれの突発的な挿話《エピソード》に過ぎない。そこにはひとつの時代の幕引きとしての意味しか見いだせない。それが新聞の一般的な論調だった。「さきがけ」は新しい世界のひとつの有望な選択肢だった。その一方「あけぼの」には未来はなかった。
青豆はボールペンを下に置いて、深呼吸をした。そしてつばさのどこまでも無表情な、奥行きを欠いた一対の瞳を思い浮かべた。その瞳は私を見ていた。しかしそれは同時に、何も見ていなかった。そこには何か大事なものが欠落していた。
そんなに簡単なことじゃない、と青豆は思った。「さきがけ」の実態は新聞に書かれているほどクリーンなものではない。そこには奥に隠された闇の部分がある。老婦人の話によれば「リーダー」と称する人物は十代に達するか達しないかの少女たちをレイプし、それを宗教的な行為だと主張している。メディア関係者はそんなことは知らない。彼らは半日そこにいただけだ。整然とした修行施設を案内され、新鮮な食材を使った昼食を出され、魂の覚醒についての美しい説明を聞いて、それで満足して帰ってきたのだ。その奥で実際におこなわれていることが彼らの目に触れることはない。
青豆は図書館を出ると、喫茶店に入りコーヒーを注文した。店の電話であゆみの仕事場に電話をかけた。ここにならいつでもかけてくれていいと言われた番号だ。同僚が出て、彼女は勤務中だがあと二時間ほどで署に戻る予定になっていると言った。青豆は名前を告げず、「また電話をかけます」とだけ言った。
部屋に戻り、二時間後に青豆はもう一度その番号を回した。あゆみが電話に出た。
「こんにちは、青豆さん。元気にしてる?」
「元気よ。あなたは?」
「私も元気。ただ良い男がいないだけ。青豆さんは?」
「同じようなところ」と青豆は言った。
「それはいけないわね」とあゆみは言った。「私たちみたいな魅力的な若い女性たちが、豊かで健全な性欲をもてあまして愚痴りあってるなんて、世の中なんか間違っているよ。なんとかしなくちゃいけない」
「そうだけど……、ねえ、そんな大きな声で話をして大丈夫なの。勤務中でしょう。近くに人はいないの?」
「大丈夫だよ。何でも話してくれていい」とあゆみは言った。
「もしできればということなんだけど、あなたにひとつお願いしたいことがあるの。ほかに頼める人が思いつかなかったから」
「いいよ。役に立てるかどうかはわからないけど、とにかく言ってみて」
「『さきがけ』っていう宗教団体は知っている? 山梨県の山の中に本部がある」
「『さきがけ』ねえ」とあゆみは言った。そして十秒ばかり記憶を探った。「うん、知ってると思う。たしか山梨の銃撃事件を起こした『あけぼの』っていう過激派グループが、以前に属していた宗教コミューンみたいなところだったよね。撃ち合いになって、県警の警官が三人殺された。気の毒に。でも『さきがけ』はその事件には関与してなかった。事件のあとで教団の中に捜査は入ったけど、きれいにクリーンだった。それで?」
「『さきがけ』がその銃撃事件のあと、何か事件みたいなことを起こしていないか、それを知りたいの。刑事事件でも民事事件でも。でも一般市民としては調べ方がわからない。新聞の縮刷版を残らず読むわけにもいかないし。でも警察なら、何らかの手段でそのあたりのことが調べられるんじゃないかと思って」
「そんなの簡単だよ。コンピュータでささっと検索すればすぐにわかるよ……と言いたいところだけど、残念ながら日本の警察のコンピュータ化はまだそこまで進んでないんだ。実用化まであと数年はかかると思う。だから今のところそういうことについて知りたいと思えば、たぶん山梨県警に頼んで、関係資料のコピーを郵便で送ってもらわなくちゃならない。それにはまずこっちで資料請求の申請書類を書いて、上司の認可を受ける必要がある。もちろんその理由なんかもきちんと書かなくちゃならない。なにしろここはお役所だからね、みんなものごとを必要以上にややこしくすることでお給料をもらっているわけ」
「そうか」と青豆は言った。そしてため息をついた。「じゃあアウトね」
「でもどうしてそんなことを知りたいの? 知り合いが何か『さきがけ』がらみの事件に巻き込まれているとか?」
青豆はどうしようかと迷ったが、正直に話すことにした。「それに近いこと。レイプが関連している。今の段階では詳しいことはまだ言えないんだけど、少女のレイプ。宗教を隠れ蓑にして、そういうのが組織的に内部で行われているという情報があるの」
あゆみが軽く眉をしかめる様子が電話口でわかった。「ふうん、少女レイプか。そいつはちょっと許せないな」
「もちろん許せない」と青豆は言った。
「少女って、いくつくらい?」
「十歳か、それ以下。少なくとも初潮を迎えていない女の子たち」
あゆみは電話口でしばらく黙り込んでいた。それから平板な声で言った。「わかったよ。そういうことなら、何か手を考えてみる。二三日時間をくれる?」
「いいよ。そちらから連絡をちょうだい」
そのあとしばらく他愛のないおしゃべりをしてから、「さあ、またお仕事に行かなくっちゃ」とあゆみが言った。
電話を切ったあと、青豆は窓際の読書用の椅子に座ってしばらく自分の右手を眺めた。ほっそりとした長い指と、短く切られた爪。爪はよく手入れされているが、マニキュアは塗られていない。爪を見ていると、自分という存在がほんの束の間の、危ういものでしかないという思いが強くなった。爪のかたちひとつとっても、自分で決めたものではない。誰かが勝手に決めて、私はそれを黙って受領したに過ぎない。好むと好まざるとにかかわらず。いったい誰が私の爪のかたちをこんな風にしようと決めたのだろう。
老婦人はこのあいだ青豆に「あなたのご両親は熱心な『証人会』の信者だったし、今でもそうです」と言った。とすれば、あの人たちは今でも同じように布教活動に励んでいるのだろう。青豆には四歳年上の兄がいた。おとなしい兄だった。彼女が決意して家を出たとき、彼は両親の言いつけに従い、信仰をまもって生活していた。今どうしているのだろう? しかし青豆は家族の消息をとくに知りたいとも思わなかった。彼らは青豆にとって、もう終わってしまった人生の部分だった。絆は断ち切られてしまったのだ。
十歳より前に起こったことを残らず忘れてしまおうと、彼女は長いあいだ努力を続けてきた。私の人生は実際には十歳から開始したのだ。それより前のことはすべて惨めな夢のようなものに過ぎない。そんな記憶はどこかに捨て去ってしまおう。しかしどれだけ努力しても、ことあるごとに彼女の心はその惨めな夢の世界に引き戻された。自分が手にしているもののほとんどは、その暗い土壌に根を下ろし、そこから養分を得ているみたいに思えた。どれほど遠いところに行こうと試みても、結局はここに戻ってこなくてはならないのだ、と青豆は思った。
私はその「リーダー」をあちらの世界に移さなくてはならない、と青豆は心を決めた。私自身のためにも。
三日後の夜にあゆみから電話がかかってきた。
「いくつかの事実がわかった」と彼女は言った。
「『さきがけ』のことね?」
「そう。いろいろ考えているうちに、同期で入ったやつの叔父さんが山梨県警にいるってことをはっと思い出したの。それもわりに上の方の人みたいなんだ。で、そいつに頼み込んでみたわけ。うちの親戚の若い子がその教団に入信しかけていて、それで面倒なことになって困っているんだ、みたいなことを言ってね。だから『さきがけ』について情報を集めている。悪いんだけど、お願い、ね、みたいに。私って、そういうこともわりにうまくできちゃうわけ」
「ありがとう。感謝する」と青豆は言った。
「それでそいつは山梨の叔父さんに電話をかけて事情を話し、叔父さんがそれならということで、『さきがけ』の調査にあたった担当者を紹介してくれた。そういう経緯で、私はその人と電話で直接話をすることができたわけ」
「素晴らしい」
「うん、まあそのときけっこう長く話をして、『さきがけ』についていろんなことを聞いたんだけど、既に新聞なんかに出たことは、青豆さんだってもう知っているだろうから、今はそうじゃない部分、あまり一般には知られていない部分の話をするわね。それでいいかしら?」
「それでいい」
「まずだいいちに『さきがけ』は今までに何度か法的な問題を起こしている。民事の訴訟をいくつか起こされている。ほとんどが土地売買に関するトラブルね。この教団はよほどたっぷり資金を持っているらしくて、近隣の土地を片っ端から買いあさっている。まあ田舎だから、土地が安いっていえば安いんだけど、それにしてもね。そしてそのやり方はいささか強引である場合が多い。ダミー会社を作って隠れ蓑にして、教団がからんでいるとわからないかたちで、不動産を買いまくっている。それでしばしば地主や自治体とトラブルになる。まるで地上げ屋の手口みたいだ。しかし現時点では、どれも民事訴訟で、警察が関与するには至ってない。かなりすれすれのところではあるけれど、まだ表沙汰にはなっていないわけ。ことによってはやばい筋、政治家筋がからんでいるかもしれない。政治の方から手を回されると、警察は適当にさじ加減をすることがあるから。話がもっと膨らんで、検察が出ばってくれば話は違ってくるけど」
「『さきがけ』はこと経済活動に関しては、見かけほどクリーンではない」
「一般信者のことまでは知らないけど、不動産売買の記録をたどる限りでは、資金の運用にあたっている幹部連中はそれほどクリーンとは言えないかもね。純粋な精神性を希求することを目的としてお金を使っているとは、どう好意的に見ても考えにくい。それにこいつらは山梨県内だけじゃなくて、東京や大阪の中心部にも土地や建物を確保している。どれも一等地だよ。渋谷、南青山、松濤《しょうとう》……この教団はどうやら、全国的な規模での展開を視野に入れているみたいね。もし不動産業に商売替えしようとしているのでなければ、ということだけど」
「自然の中に生きて、清く厳しい修行を究極の目的としている宗教団体が、どうしてまた都心に進出してこなくてはならないのかしら?」
「そしてそんなまとまった額のお金は、いったいどこから出てくるんだろうね?」とあゆみは疑問を呈した。「大根や人参を作って売るだけでは、そんな資金が調達できるわけはないもの」
「信者たちから寄進としてしぼりとっている」
「それはあるだろうけど、それでもまだ足りないと思う。きつとどっかにまとまった資金ルートがあるんだよ。それからほかにも、ちっとばかり気になる情報が見つかったよ。青豆さんが興味を持つかもしれないようなやつ。教団の中には信者の子供たちがけっこういて、基本的には地元の小学校に通っているんだけど、その子供たちの多くが、しばらくすると登校するのをやめてしまう。小学校としては、義務教育だから是非出席するように強く求めているんだけど、教団側は『子供たちの中に、学校にどうしても行きたがらないものがいる』と言うだけで取り合わないの。そういう子供たちには、自分たちの手で教育を施しているから、勉学の点では心配ないと主張している」
青豆は自分の小学校時代を思い出した。教団の子供たちが学校に行きたくない気持ちは彼女にも理解できた。学校に行っても異分子としていじめられたり無視されたりするだけなのだから。
「地元の学校だと居心地が悪いんじゃないかしら」と青豆は言った。「それに学校に行かないというのはとくに珍しいことでもないし」
「しかし子供たちを担当していた教師たちによれば、教団の子供たちの多くは、男女の別なく精神的なトラブルを抱えているように見受けられた。その子たちは始めのうちはごく普通の明るい子供なんだけど、上の学年に行くに従ってだんだん口数が少なくなり、表情がなくなり、そのうちに極端に無感動になり、やがて学校に来るのをやめてしまう。『さきがけ』から通ってくる多くの子供たちが、同じような段階を経て同じ症状を見せるわけ。それで先生たちは首をひねり、心配をしているわけ。学校に姿を見せず、教団の中にこもってしまった子供たちが、その後いったいどんな状態に置かれているのか。元気に暮らしているのかどうか。でも子供たちに会うことはできない。一般人の施設への立ち入りが拒否されているから」
つばさと同じような症状だ、と青豆は思う。極端な無感動、無表情、ほとんど口をきかない。
「青豆さんは、『さきがけ』の内部で子供の虐待みたいなことがおこなわれているんじゃないかと想像している。組織的に。そしてそこにはおそらくレイプも含まれていると」
「でも一般市民の根拠のない想像だけでは、警察は動けないんでしょう」
「うん。なにしろ警察というところはこちこちのお役所だからね、トップの連中は自分のキャリアしか頭にない。そうじゃない人たちも中にはいるけど、おおかたは無事安全に出世して、退職後に外郭団体だか民間企業に天下りすることだけが人生の目的なわけ。だからやばいもの、ホットなものにははなから手を出さない。ひょっとしてあいつら、ピザだって冷めてからしか食べないんじゃないかな。現実の被害者が名乗り出て、裁判ではきはき証言ができるというのであれば、話はまた違ってくるんだけど、そういうのってきつとむずかしそうだよね」
「うん。むずかしいかもしれない」と青豆は言った。「でもとにかくありがとう。あなたの情報はずいぶん役に立った。何かお礼をしなくっちゃね」
「それはいいから、近いうちに、二人でまた六本木あたりに繰り出そうよ。お互いに面倒なことはぱっと忘れて」
「いいよ」と青豆は言った。
「そうこなくっちゃ」とあゆみは言った。「ところで青豆さんは手錠プレイとか興味ある?」
「たぶんないと思う」と青豆は言った。手錠プレイ?
「そうか、それは残念」とあゆみは残念そうに言った。