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1Q84 (2-19)
日期:2018-10-13 22:21  点击:473
 第19章 青豆
      ドウタが目覚めたときには
 
 
『空気さなぎ』は幻想的な物語のかたちをとっているものの、基本的には読みやすい小説だった。それは十歳の少女が語る口語を模した文体で書かれていた。むずかしい言葉もなく、強引なロジックもなく、くどい説明もなく、凝った表現もなかった。物語は終始、少女によって語られる。彼女の言葉は聞き取りやすく、簡潔であり、多くの場合耳に心地良いが、それでいてほとんど何も説明していなかった。彼女は自分の目で見たものを、流れのままに語っているだけだ。立ち止まって、「今いったい何が起こっているのだろう」「これは何を意味するのだろう」と考察するようなことはない。彼女はゆっくりと、しかし適度な足取りで前に進み続ける。読者はその視線を借りて、少女の歩みについていく。とても自然に。そしてふと気がつくと、彼らは別の世界に入っている。[#傍点]ここではない[#傍点終わり]世界だ。リトル・ピープルが空気さなぎを作っている世界だ。
 最初の十ページばかりを読んで、青豆はまずその文体に強い印象を受けた。もし天吾がこの文体を作りだしたのだとしたら、彼にはたしかに文章を書く才能が具わっている。青豆の知っていた天吾はまず数学の天才として知られていた。神童と呼ばれていた。大人でもなかなか解けないようなむずかしい数学の問題を苦もなく解いていた。数学ほどではないが、ほかの学科の成績も素晴らしくて、何をやらせてもほかの子供たちを寄せ付けないところがあった。身体も大きく、スポーツも万能だった。しかし文章を書くことに秀でていたという記憶はない。たぶん当時その才能は、数学の陰に隠れてあまり目立たなかったのだろう。
 あるいは天吾は彼女の語り口をただそのまま文章に移し替えただけなのかもしれない。彼自身のオリジナリティーは文体にそれほど関与していないのかもしれない。しかしそれだけではあるまいという気がした。その文章は一見したところシンプルで無防備でありながら、細かく読んでいくと、かなり周到に計算され、整えられていることがわかった。書きすぎている部分はひとつもなかったが、それと同時に、必要なことはすべて書かれていた。形容的な表現は切り詰められているものの、描写は的確で色合いが豊かだった。そして何よりもその文章には優れた音調のようなものが感じられた。声に出して読まなくても、読者はそこに深い響きを聞き取ることができた。十七歳の少女がすらすらと自然に書けるような文章ではない。
 青豆はそれだけを確かめてから、その先を注意深く読み進んでいった。
 
 主人公は十歳の少女だ。彼女は山中にある小さな「集まり」に属している。彼女の父親も母親も、その「集まり」の中で共同生活を送っている。兄弟姉妹はいない。少女は生まれてまもなくこの場所に連れられてきたので、外の世界についての知識をほとんど持たない。それぞれに日課が忙しく、家族三人が顔を合わせてゆっくり会話をするような機会はあまりないが、それでも仲はいい。日中少女は地域の小学校に通い、両親は主に農作業に携わっている。時間の余裕がある限り、子供たちも農作業を手伝う。
「集まり」の中で暮らす大人たちは、その外にある世界のあり方を嫌っている。自分たちの住んでいる世界は、シホンシュギの海の中に浮かんだ美しい孤島であり、トリデなのだ、と彼らはことあるごとに言う。少女はシホンシュギ(時にはブッシツシュギという言葉が使われる)が何であるかを知らない。ただ人々がその言葉を口にするときに聞き取れるさげすむような響きからすると、それはどうやら自然や[#傍点]正しさ[#傍点終わり]に反する、ゆがんだものごとのあり方であるらしい。自分の身体や考え方をきれいに保つために、外の世界とできるだけかかわってはならないと少女は教えられる。そうしないと心がオセンされていくことになる。
「集まり」は五十人ばかりの比較的若い男女によって構成されていたが、おおまかに二つのグループに分かれていた。ひとつはカクメイを目指すグループであり、ひとつはピースを目指すグループだった。彼女の両親はどちらかといえば後者に属していた。父親はそこにいる人々の中ではもっとも年長者であり、「集まり」が生まれたときから中心的な役割をつとめていた。
 十歳の少女にはもちろん、そのような両者の対立の構造を論理立てて説明することはできない。カクメイとピースの違いもよくわからない。カクメイはいくぶん尖ったかたちをした考え方であり、ピースはいくぶん丸いかたちをした考え方だという印象しかない。考え方というのはそれぞれにかたちを持ち、色合いを持っている。そして月と同じように満ちたり欠けたりする。彼女にわかるのはその程度のことだ。
「集まり」がどのようにしてできあがったかという事情も、少女にはよくわかっていない。ただ十年近く前、彼女が生まれてまもなく社会に大きな動きがあり、人々は都会での暮らしを捨てて、孤立した山中のムラに移ってきたと聞かされている。都会についても、彼女は多くを知らない。電車に乗ったこともないし、エレベーターに乗ったこともない。三階建て以上の高い建物を見たこともない。わからないことがあまりに多い。彼女に理解できるのは、目で見て手で触れることのできる身の回りの事物だけだ。
 しかしそれでも、少女の低い視線と飾り気のない語り口は、その「集まり」という小さなコミュニティーの成り立ちや風景を、そしてそこで暮らす人々のあり方や考え方を、自然に生き生きと描き出していった。
 考え方の違いこそあれ、そこに住んでいる人々の連帯感は強く保たれていた。シホンシュギから離れて生きるのが善きことであるという思いを人々は共有していたし、考え方のかたちや色合いが多少あわなくても、肩を寄せ合わなくては自分たちは生き残っていけないのだということをよく理解していた。生活はぎりぎりのものだった。人々は日々休みなく労働をし、野菜を作り、近隣の人々と物々交換をし、余った産物を売り、可能な限りマスプロダクトの製品を使用することを避け、自然の中で生活を営んだ。彼らがやむを得ず用いる電化器具は、どこかの廃品置き場から拾われてきて修理されたものであり、彼らが着る服のほとんどはどこかから送られてきた古着だった。
 そのような純粋ではあるが、厳しい日々の暮らしに順応することができず、「集まり」を離れていくものもいたし、あるいはまた話を聞いてやってきて、そこに加わるものもいた。離れていくものよりは、新たに加わるものの数の方が多かった。だから「集まり」の人口は徐々に増加していた。それは好ましい流れだった。彼らが居住している廃村には、少し手を入れればまだ人の住める廃屋がたくさんあったし、耕すべき畑も多く残っていた。働き手が増えるのは大歓迎だった。
 そこには八人から十人の子供たちがいた。多くは「集まり」の中で生まれた子供たちで、いちばん年齢が上なのが、その主人公の少女である。子供たちは地元の小学校に通った。みんなで一緒に歩いて登校し、下校した。子供たちは地域の学校に通わなくてはならない。それは法律で定められたことだった。また地域の人々と友好的な関係を保つことが、コミュニティーの生存のためには不可欠だと「集まり」の創始者たちは考えていた。しかしその一方で地元の子供たちは「集まり」の子供たちを気味悪がって敬遠し、あるいはいじめたので、「集まり」の子供たちはおおむねひとつにまとまって行動した。子供たちは身を寄せ合うことによって自分たちを護った。物理的な危害から、そして心のオセンから。
 それとはべつに「集まり」の中で独自の学校が作られ、人々が交代で子供たちに勉強を教えた。彼らの多くは高い教育を受けていたし、教師の資格を持つものも少なくなかったから、それはむずかしいことではなかった。独自の教科書が作られ、基本的な読み書きと、算数が教えられた。化学、物理学、生理学、生物学の基本が教えられた。世界の成り立ちが教えられた。世界にはシホンシュギとコミュニズムという二つのシステムがあり、お互いを憎み合っていた。しかしどちらも深い問題を抱えており、おおむねのところ世界は良くない方向に向かっていた。コミュニズムはもともとは高い理想を持った優れた思想であったが、それはリコ的な政治家によって途中でまちがったかたちに歪められてしまった。少女はその「リコ的な政治家」の一人の写真を見せられた。鼻が大きく、黒々とした大きな髭を持ったその男は、彼女に悪魔の王様を連想させた。
「集まり」の中にはテレビはなく、ラジオも特別な場合を別にして許可されてはいなかった。新聞や雑誌も制限されていた。必要だと思われるニュースは、「集会所」での夕食の席で口頭で伝えられた。そのニュースのひとつひとつに対して、集まった人々は歓声や不賛成のうめきで反応した。歓声よりはうめきの方が数としてはずっと多かった。それが少女にとっての唯一のメディア体験だった。少女は生まれてから映画を見たこともない。漫画を読んだこともない。ただ古典音楽を聴くことだけは許可されていた。「集会所」にはステレオ装置があり、誰かがまとめて持ち込んだのだろう、たくさんのレコードがあった。自由時間にはそこでブラームスの交響曲や、シューマンのピアノ曲や、バッハの鍵盤音楽、宗教音楽を聴くことができた。それが少女にとっての貴重な、そしてほとんど唯一の娯楽になった。
 
 そんなある日、少女は罰を受けることになった。彼女はその週、朝と夜に数匹の山羊の世話をすることを命じられていたのだが、学校の宿題やほかの日課をこなすことに追われて、うっかりそれを忘れてしまった。その翌朝、いちばん年老いた目の見えない山羊が冷たくなって死んでいるのが発見された。その罰として彼女は十日間、「集まり」から隔離されることになった。
 その山羊は人々のあいだで特別な意味を持つ山羊と考えられていたが、じゅうぶん年老いていたし、病気は——それがどんな病気だったかはわからないが——その痩せた身体をしっかりと爪でとらえていた。誰が面倒をみてもみなくても、その山羊が持ち直す見込みはなかった。死んでいくのは時間の問題だった。しかしだからといって少女の犯した罪が軽減されるわけではない。山羊の死そのもののみならず、与えられた職務を彼女が怠ったことが問題にされていた。隔離は「集まり」の中ではもっとも重大な罰則のひとつだった。
 少女は死んだ目の見えない山羊と共に、小さな古い土蔵の中に閉じこめられた。その土蔵は「反省のための部屋」と呼ばれていた。「集まり」の決まりを破ったものが、そこで自らの犯した罪科を反省する機会を与えられた。隔離罰を受けているあいだ、誰ひとり彼女に口をきいてくれなかった。少女は完全な沈黙に十日間耐えなくてはならなかった。最低限の水と食事は運ばれたが、土蔵の中は暗く冷たく、じめじめしていた。そして死んだ山羊のにおいがした。扉には外から鍵がかけられ、部屋の隅には用便のためのバケツが置かれていた。壁の高いところに小さな窓がついており、そこから太陽の光や月の光が入ってきた。雲がかかっていなければ、いくつかの星を見ることもできた。それ以外には明かりはなかった。彼女は板張りの床に敷かれた固いマットレスに身を横たえ、二枚の古い毛布にくるまって、震えながら夜を過ごした。四月になっていたが、それでも山中の夜は冷えた。あたりが暗くなると、死んだ山羊の目が星明かりを受けてきらりと光った。それが怖くて、少女はなかなか眠ることができなかった。
 三日目の夜に、山羊が大きく口を開けた。その口は内側から押し開けられたのだ。そしてそこから小さな人々がぞろぞろと出てきた。全部で六人。出てきた時は高さが十センチほどしかなかったが、地面に立つと、まるで雨のあとにキノコが伸びるように、彼らは急速に大きくなった。といっても、せいぜい六十センチくらいのものだ。そして自分たちは「リトル・ピープル」だと言った。
『白雪姫と七人のコビトたち』みたいだ、と少女は思った。小さい頃に父親からその話を読んでもらったことがある。でもそれには一人足りない。
「もし七人がいいのなら、七人にすることもできる」と低い声のリトル・ピープルが言った。どうやら彼らには少女の心が読めるらしい。そして数え直してみると、彼らは六人ではなく七人になっていた。でも少女はそのことをとくに不思議だとは思わなかった。リトル・ピープルが山羊の口から出てきたときに、世界のルールは既に変更されてしまったのだ。それからあとは何が起こっても不思議ではない。
「あなたたちはどうしてしんだヤギのくちからでてきた」と少女は尋ねた。自分の声が奇妙な響き方をしていることに彼女は気づいた。しゃべり方もいつもとは違う。たぶん三日も誰とも口をきいていなかったせいだろう。
「山羊の口が通路になっておったから」としゃがれた声のリトル・ピープルが言った。「われらも、ここに出てくるまでは、それが死んだ山羊だとは気がつかなんだ」
 甲高い声のリトル・ピープルが言った。「われらはちっともかまわん。山羊だろうが、鯨だろうが、えんどう豆だろうが。それが通路でさえあれば」
「キミが通路を造った。だからわれらはそれを試してみたんだ。どこに通じているのだろうと思ってな」と低い声のリトル・ピープルが言った。
「わたしがツウロをつくった」と少女は言った。やはり自分の声には聞こえない。
「われらによいことをしてくれた」と小さな声のリトル・ピープルが言った。
 何人かが同意の声を上げた。
「空気さなぎを作って遊ばないか」とテノールのリトル・ピープルが言った。
「せっかくここまで出てきたんだから」とバリトンが言った。
「くうきさなぎ」と少女は尋ねた。
「空気の中から糸を取りだして、それで[#傍点]すみか[#傍点終わり]を作っていく。それをどんどん大きくしていくそ」と低音が言った。
「それはだれのためのすみか」と少女は尋ねた。
「そのうちにわかるぞ」とバリトンが言った。
「出てくればわかるぞ」と低音が言った。
「ほうほう」と別のリトル・ピープルがはやした。
「わたしもそれをてつだっていい」と少女は尋ねた。
「言うまでもなく」としゃがれ声が言った。
「キミはわれらのためによいことをしてくれた。一緒にやってみよう」とテノールのリトル・ピープルが言った。
 空気の中から糸を取り出すのは、いったん慣れてしまえばそんなにむずかしいことではなかった。少女は手先が器用な方だったから、すぐにその作業を素早くこなせるようになった。よく見ると、空気の中にはいろんな糸が浮かんでいた。見ようとすれば、それは見える。
「そう、その調子だ。それでいいそ」と小さな声のリトル・ピープルは言った。
「キミはずいぶん賢い女の子だ。覚えがよろしい」と甲高い声が言った。彼らはみんな同じような服を着て、同じような顔をしていたが、声だけはそれぞれにはっきり違った。
 リトル・ピープルの着ている服は、どこにでもある普通の服だった。奇妙な言い方だが、それ以外に形容のしようがない。いったん目をそらせたら、彼らがどんな服を着ていたかもうまったく思い出せなくなってしまう。それは彼らの顔立ちについても言えることだった。その顔立ちは良くも悪くもない。どこにでもある普通の顔立ちだった。そしていったん目をそらせたら、彼らがどんな顔をしていたか、まったく思い出せなくなってしまう。髪も同じだ。長くもなく、短くもない。それはただの髪だ。そして彼らには匂いというものがない。
 夜明けがやってきて、ニワトリが鳴き、東の空が明るくなると、七人のリトル・ピープルは仕事をやめて、それぞれにのびをした。そしてそれまでにできた白い空気さなぎを——その大きさはまだ子ウサギ程度のものだったが——部屋の隅に隠した。食事を持ってくる人にそれが見つからないようにしたのだろう。
「朝になる」と小さな声のリトル・ピープルが言った。
「夜は終わった」と低音が言った。
 こんなにいろんな声のひとがそろっているんだから、合唱隊をつくればいいのに、と少女は思った。
「われらに歌はない」とテノールのリトル・ピープルが言った。
「ほうほう」とはやし役のリトル・ピープルが言った。
 リトル・ピープルはもと来たときと同じように、背丈十センチほどに小さくなり、隊列を組んで死んだ山羊の口の中に入っていった。
「今夜また来るぞ」と小さな声のリトル・ピープルが、山羊の口を内側から閉める前に少女に小さな声で言った。「われらのことは誰にも言ってはいけない」
「われらのことを誰かに言うと、ずいぶんよくないことが起きるぞ」としゃがれ声が念のために言い添えた。
「ほうほう」とはやし役が言った。
「だれにもいわない」と少女は言った。
 それにもしそんなことを言ったところで、誰もきつと信じてはくれないだろう。少女は頭に浮かんだ考えを口にすることで、よくまわりの大人たちから叱責を受けた。現実と想像の区別がついていない、と人々は言った。彼女の考え方のかたちや色合いは、ほかの人々のそれとはずいぶん違っているみたいだった。自分のどこがいけないのか、少女にはうまく理解できなかった。しかしとにかくリトル・ピープルの話は誰にもしない方がいい。
 
 リトル・ピープルが消え、山羊の口が再び閉じられたあと、少女は彼らが空気さなぎを隠していったあたりをずいぶん探してみたのだが、どうしても見つけだすことができなかった。隠し方がとてもうまい。こんな狭い空間なのに、いくら探しても見つからない。いったいどこに隠したのだろう?
 そのあと少女は毛布にくるまって眠った。久方ぶりの安らかな眠りだった。夢もなく、中断もなかった。彼女はその深い眠りを楽しんだ。
 昼のあいだずっと山羊は死に続けていた。身体は硬くこわばり、濁った目はガラス玉のようだった。しかし日が暮れて、土蔵に闇がやってくると、目は星明かりを受けてきらりと光った。そしてその光に導かれるように山羊の口がぱっくりと開き、そこからリトル・ピープルが出てきた。今度は最初から七人だった。
「ゆうべの続きにかかろう」としゃがれ声のリトル・ピープルは言った。
 残りの六人はそれぞれに同意の声を上げた。
 七人のリトル・ピープルと少女はさなぎのまわりに輪を描いて座り、その作業を続けた。空気の中から白い糸を取りだし、それでさなぎをこしらえていった。彼らはほとんど口もきかず、ただ黙々と作業に励んだ。熱中して手を動かしていると、夜の寒さも気にならなかった。時間は知らないあいだに過ぎていった。退屈もしなかったし、眠気を感じることもなかった。さなぎは少しずつ、しかし目に見えて大きくなっていった。
「どれくらい大きくする」、少女は明け方近くになってそう尋ねた。この土蔵に自分が閉じこめられている十日間のあいだに、その作業が終わるのかどうか知りたかったのだ。
「できるかぎり大きくするぞ」と甲高い声のリトル・ピープルが答えた。
「あるところまでくると、自然にはじける」とテノールが楽しそうに言った。
「そして何かが出てくる」とバリトンが張りのある声で言った。
「どんなもの」と少女は尋ねた。
「何が出るか」と小さな声が言った。
「出てきてのお楽しみ」と低音のリトル・ピープルが言った。
「ほうほう」とはやし役のリトル・ピープルがはやした。
「ほうほう」と残りの六人が声を合わせた。
 
 小説の文体には不思議な独特の暗さが漂っていた。青豆はそれに気づいてわずかに顔をしかめた。幻想的な童話のような物語だった。しかしその足下には目に見えぬ暗い底流が太く流れていた。飾りのない簡潔な言葉遣いの中に、青豆はその不吉な響きを聞き取ることができた。そこにあるのはある種の病の到来を暗示するような暗諺さだ。それは人の精神を芯から静かに蝕んでいく致死的な病だ。そしてその病を運んでくるものは、合唱隊のような七人のリトル・ピープルだった。ここには間違いなく何かしら健全ではないものが含まれている、と青豆は思った。それでも宿命的なまでに自分に近しいものを、彼らのヴォイスの中に青豆はなぜか聞き取ることができた。
 青豆は本から顔を上げ、リーダーが死ぬ前にリトル・ピープルについて語っていたことを思い出した。
「我々は大昔から[#傍点]彼ら[#傍点終わり]と共に生きてきた。まだ善悪なんてものがろくに存在しなかった頃から。人々の意識がまだ未明のものであったころから」
 青豆は物語の続きを読んだ。
 
 リトル・ピープルと少女は働き続け、数日後には空気さなぎはおおよそ大型犬ほどの大きさにまでなった。
「あすでバツがおわりわたしはここをでていく」、夜が明けかけてきたとき、少女はリトル・ピープルに向かってそう言った。
 七人のリトル・ピープルは黙って彼女の発言に耳を澄ませていた。
「だからもう、くうきさなぎをいっしょにつくることはできなくなる」
「それはずいぶん残念だ」、テノールのリトル・ピープルが実際に残念そうな声でそう言った。
「キミがいて、われらはとても助かったんだがな」とバリトンのリトル・ピープルが言った。
 甲高い声のリトル・ピープルが言った。「でもさなぎはおおかたのところできあがっている。あともう少し足せば用は足りる」
 リトル・ピープルたちは横に並んで、サイズを測るような目で、そこまでできあがった空気さなぎを眺めた。
「あともうちっとだ」としゃがれ声のリトル・ピープルが、単調な船頭歌の音頭を取るように言った。
「ほうほう」とはやし役がはやした。
「ほうほう」と残りの六人が声を合わせた。
 
 十日間の隔離罰が終了し、少女は「集まり」の中に戻っていった。多くのルールに従う団体生活が再び始まり、一人になる時間はなくなった。リトル・ピープルと一緒に空気さなぎをつくることももちろんできない。彼女は毎晩眠りにつく前に、空気さなぎを取り囲んで座り、それを大きくし続けている七人のリトル・ピープルの姿を想像する。それ以外のことは考えられなくなってしまう。彼女の頭の中に、その空気さなぎが実際にすっぽりと入っているようにさえ感じられる。
 空気さなぎの内部にはいったいなにが収められているのだろう、時期がきてさなぎがぽんと割れたときに、なにがそこから姿を見せるのだろう、少女はそれが知りたくてたまらなかった。その場面を自分の目で見ることができないのはなんとしても残念だった。あれだけさなぎ作りに手を貸したのだもの、わたしにだってそこに立ちあう資格はあるはずだ。もう一度何か罪を犯して隔離罰を受け、土蔵に戻してもらえないだろうかと真剣に考えたくらいだ。しかし苦労してそんなことをしても、もうリトル・ピープルはあの土蔵には現れないかもしれない。死んだ山羊だって運び去られ、どこかに埋められてしまった。その目が星明かりを受けてきらりと光ることもない。
 コミュニティーの中での少女の日常生活が語られる。規律正しい日課、定められた労働。彼女は最年長の子供として、年下の子供たちの指導をし、面倒を見る。質素な食事。眠る前のひとときに両親が読んでくれる物語。暇を見つけて聴く古典音楽。オセンのない生活。
 リトル・ピープルが彼女の夢を訪れる。彼らは好きなときに人の夢の中に入ってくることができる。そろそろ空気さなぎが割れるころだから見に来ないか、と彼らは少女を誘う。日が暮れたら人に見られないように、ろうそくを持って土蔵においで。
 少女は好奇心を抑えることができない。寝床を抜け出し、用意しておいたろうそくを持って、足音を忍ばせて土蔵に行く。そこには誰もいない。空気さなぎが床にひっそりと置かれているだけだ。空気さなぎは最後に見たときよりも一回り大きくなっている。一メートル三〇センチか四〇センチ、全長はそれくらいある。そして全体から淡い光を放っている。輪郭は美しい曲線を描き、真ん中あたりにきれいなくびれができている。それは小さいときにはなかったものだ。リトル・ピープルはあれからずいぶん熱心に働いたようだった。そしてさなぎは既に割れ始めている。縦にきれいに割れ目が入っている。少女はかがみ込んでその隙間から中をのぞき込む。
 さなぎの中にいるのが少女自身であることを、少女は発見する。彼女はさなぎの中に裸で横たわっている自分の姿を眺める。そこにいる彼女の分身は仰向けになって目を閉じている。意識はないようだ。呼吸もしていない。まるで人形のように。
「そこにいるのはキミのドウタだ」としゃがれた声のリトル・ピープルが言った。そしてひとつ咳払いをした。
 後ろを振りかえると、いつの間にか七人のリトル・ピープルが、そこに扇形に並んで立っていた。
「ドウタ」と少女は自動的に言葉を繰り返す。
「そしてキミはマザと呼ばれる」と低音が言った。
「マザとドウタ」と少女は繰り返す。
「ドウタはマザの代理をつとめる」と甲高い声のリトル・ピープルが言う。
「わたしはふたりにわかれる」と少女は尋ねる。
「そうじゃない」とテノールのリトル・ピープルが言う。「キミは何も二つに分かれるわけじゃないそ。キミは隅から隅までもとのままのキミだ。心配はいらない。ドウタはあくまでマザの心の影に過ぎない。それがかたちになったものだ」
「[#傍点]この人[#傍点終わり]はいつめをさます」
「もうすぐ。時間が来たら」とバリトンのリトル・ピープルが言う。
「このドウタはわたしのこころのかげとしてなにをする」と少女は尋ねる。
「パシヴァの役目をする」と小さな声がこっそりと言う。
「パシヴァ」と少女は言う。
「知覚するもの」としゃがれ声が言う。
「知覚したことをレシヴァに伝える」と甲高い声が言う。
「つまりドウタはわれらの通路になるぞ」とテノールのリトル・ピープルが言う。
「ヤギのかわり」と少女は尋ねる。
「死んだ山羊はあくまで仮の通路に過ぎない」と低音のリトル・ピープルが言う。「われらの住んでいる場所とここを結ぶには、生きているドウタが必要だ。パシヴァとして」
「マザはなにをする」と少女は尋ねる。
「マザはドウタの近くにいる」と甲高い声が言う。
「ドウタはいつめをさます」と少女は尋ねる。
「二日後、あるいは三日後」とテノールが言う。
「そのどちらか」と小さな声のリトル・ピープルが言う。
「ドウタの面倒をよくみるように」とバリトンが言う。「キミのドウタなのだから」
「マザの世話なしにドウタは完全ではない。長く生きることはむずかしくなる」と甲高い声が言う。
「ドウタを失えばマザは心の影をなくすことになる」とテノールが言う。
「こころのかげをなくしたマザはどうなる」と少女は尋ねる。
 彼らは互いに顔を見合わせる。誰もその問いには答えない。
「ドウタが目覚めたときには、空の月が二つになる」としゃがれ声が言う。
「二つの月が心の影を映す」とバリトンが言う。
「つきがふたつになる」と少女は自動的に言葉を繰り返す。
「それがしるしだぞ。空をよく注意して見てるがいい」と小さな声がこっそりと言う。
「注意して空を見る」と小さな声が念を押す。「月の数をかぞえる」
「ほうほう」とはやし役がはやす。
「ほうほう」と残りの六人が声を合わせる。
 
 少女は逃げる。
 そこには間違ったもの、正しくないものがある。大きく歪んだものがある。それは自然に反したことだ。少女にはそれがわかる。リトル・ピープルが何を求めているのかはわからない。しかし空気さなぎの中に収まった自らの姿は、少女を戦標させる。生きて動いている自分の分身と一緒に暮らすなんて、そんなことはできない。ここから逃げ出さなくては。それもできるだけ早く。ドウタが目を覚まさないうちに。空に浮かぶ月が二つになってしまわないうちに。
「集まり」では個人が現金を持つことは禁じられている。しかし父親は彼女にこっそりと一万円札といくらかの小銭を渡していた。「見つからないように隠しておくんだ」と父親は少女に言った。そして住所と名前と電話番号を書いた紙を渡した。「ここを逃げ出さなくてはならなくなったら、このお金で切符を買って電車に乗り、ここを訪ねて行きなさい」
 父親はゆくゆく何かよからぬことが「集まり」の中で持ち上がる可能性を念頭に置いていたのかもしれない。少女は迷わなかった。そして行動は迅速だった。両親に別れを告げるだけの時間はなかった。
 少女は地中に埋めておいた瓶の中から、一万円札と小銭と紙片を取り出す。小学校の授業中に、気分が悪いから医務室に行かせてほしいと言って教室を抜け出し、そのまま学校の外に出る。やってきたバスに乗って駅まで行く。窓口で一万円札を出し、高尾駅までの切符を買う。お釣りをもらう。切符を買うのも、お釣りをもらうのも、電車に乗るのも生まれて初めてだ。しかしその方法は父親から細かく聞かされていたし、どのように行動すればいいかは頭の中に入っている。
 彼女は紙片に書かれた指示通り、中央線の高尾駅で電車を降り、公衆電話から教えられた番号に電話をかけた。電話をかけた相手は、父親の古くからの友人である日本画家だ。父親よりは十歳ばかり年上だが、娘と二人で高尾山近くの山の中に住んでいた。奥さんはしばらく前に亡くなっており、クルミという名の、少女よりひとつ年下の娘がいた。彼は連絡を受けるとすぐに駅までやってきて、「集まり」を逃げ出してきた少女を温かく迎えてくれた。
 画家の家に引き取られた翌日、部屋の窓から空を見上げ、月が二個に増えていることを少女は発見する。いつもの月の近くに、より小さな二つめの月が、ひからびかけた豆のように浮かんでいた。ドウタが目を覚ましたのだ、と少女は思う。二つの月が心の影を映し出している。少女の心は震える。世界は変化を遂げたのだ。そして何かが起ころうとしている。
 
 両親からの連絡はない。「集まり」の中では、少女が脱走したことに人々は気づいてないのかもしれない。なぜなら少女の分身であるドウタがあとに残されているからだ。見た目はそっくりだから、普通の人にはまず見分けはつかない。しかし彼女の両親にはドウタが少女本人ではなく、その分身に過ぎないということがもちろんわかるはずだ。それを身代わりとして残し、実体は「集まり」というコミュニティーから逃げ出したのだということも。行く先だってひとつしかない。それでも両親は一度として連絡してこなかった。それは逃げたままでいるようにという両親からの無言のメッセージなのかもしれない。
 彼女は学校に行ったり行かなかったりする。新しい外の世界は、少女が育ってきた「集まり」の世界とはあまりにも違っている。ルールも違うし、目的も違うし、使われている言葉も違う。だからなかなかそこで友だちをつくることはできない。学校での生活に馴染むことができない。
 しかし中学校のときに、一人の男の子と仲良くなる。トオル、というのが彼の名前だ。トオルは小さく、痩せている。顔には猿のような深いしわが何本かよっている。小さいときに何か重い病気をしたことがあるらしく、激しい運動には参加しない。背骨もいくらか曲がっている。休み時間にはみんなから離れて、いつも一人で本を読んでいる。彼にも友だちはいない。小さすぎるし、醜すぎる。少女は昼休みに彼のとなりに座り、話しかける。読んでいる本について尋ねる。彼は読んでいる本を、声を出して読み上げてくれる。少女は彼の声が好きだ。小さなしゃがれた声だが、彼女にははっきりと聴き取れる。その声で語られる物語は少女をうっとりとさせる。トオルはまるで詩を読むように散文を美しく朗読する。彼女は昼休みの時間を、いつも彼と一緒に過ごすようになる。彼の読む物語にじっと深く耳を澄ませる。
 しかしほどなくトオルは失われる。リトル・ピープルが彼を少女からもぎとっていく。
 ある夜トオルの部屋に空気さなぎが現れる。トオルが眠っているあいだに、リトル・ピープルたちがそのさなぎを日々大きくしていく。リトル・ピープルは夢を通して夜ごとその情景を少女に見せる。しかし少女にはその作業を止《と》めることができない。さなぎはやがて十分な大きさになり、縦に割れる。少女の場合と同じように。しかしそのさなぎの中にいるのは三匹の大きな黒い蛇だ。三匹の蛇はお互いにしっかりと絡み合っていて、誰にも——あるいは彼ら自身にも——それを解きほぐすことはできそうにない。彼らは頭が三つあるぬめぬめとした永遠の[#傍点]もつれ[#傍点終わり]のように見える。蛇たちは自分たちが自由になれないことにひどく苛立っている。そして彼らはお互いから身をふりほどこうと必死に蠢《うごめ》くのだが、蚕けば蚕くほど事態はますます悪化していく。リトル・ピープルはその生き物を少女に見せる。トオルという少年はそのとなりで、何も知らずに眠り続けている。それは少女の目にしか見えないものなのだ。
 数日後、少年は突然発症し、遠くの療養所に送られる。それがどのような病気なのか、公にはされない。いずれにせよ、トオルが学校に戻ることはもうないだろう。彼は失われてしまったのだ。
 それはリトル・ピープルからのメッセージなのだと少女は悟る。彼らはマザである少女には直接手を出すことができないらしい。そのかわりまわりにいる人間に害を及ぼし、滅ぼすことができる。誰に対してでもそれができるというわけではない。その証拠に彼らは保護者である日本画家や、その娘のクルミには手を出すことができない。彼らはもっとも弱い部分を餌食に選ぶ。彼らは少年の意識の奥底から三匹の黒い蛇を引きずり出し、眠りから覚まさせたのだ。少年を滅ぼすことによって、彼らは少女に警告を出し、彼女をなんとかドウタのそばに連れ戻そうとしている。[#傍点]こうなったのも[#傍点終わり]、[#傍点]もとはといえばキミのせいなのだぞ[#傍点終わり]、と彼らは告げているのだ。
 少女は再び孤独になる。もう学校にも行かなくなる。誰かと仲良くなるのは、相手に危険をもたらすことなのだ。それが二つの月の下で生きていることの意味だ。彼女はそれを知る。
 
 少女はやがて決心して自分の空気さなぎを作り始める。彼女にはそれができる。リトル・ピープルたちは通路をたどって、彼らの場所からやってきたのだと言った。だとすれば自分だって通路を逆方向にたどって、その場所に行くことはできるはずだ。そこに行けばなぜ自分がここにいるのか、マザとドウタが何を意味するのか、秘密が解き明かされるはずだ。あるいは失われてしまったトオルを救い出すこともできるかもしれない。少女は通路を作り始める。空気の中から糸をとりだし、さなぎを紡げばいいのだ。時間はかかる。しかし時間さえかければそれはできる。
 それでもときどき彼女にはわからなくなる。混乱が彼女をとらえる。私は本当にマザなのだろうか。私はどこかでドウタと入れ替わってしまったのではあるまいか。考えれば考えるほど彼女には確信が持てなくなる。私が私の実体であることをどのように証明すればいいのだろう?
 
 物語は彼女がその通路の扉を開けようとするところで象徴的に終わっている。その扉の奥で何が起こるのか、そこまでは書かれていない。たぶんそれはまだ起こっていないことなのだろう。
 ドウタ、と青豆は思った。リーダーは死ぬ前にその言葉を口にした。娘は反リトル・ピープルの作用を打ち立てるために、自らのドウタをあとに残して逃亡したと彼は言った。それはおそらく実際に起こったことだった。そして二つの月を目にしているのは自分ひとりだけではない。
 でもそれはそれとして、青豆にはこの小説が人々に受け入れられ、広く読まれた理由がわかるような気がした。もちろん著者が美しい十七歳の少女であることも、あるレベルでは作用しただろう。でもそれだけでベストセラーが生まれるわけはない。生き生きとした的確な描写が、疑いの余地なくこの小説の魅力になっていた。読者は少女を取り巻く世界を、少女の視線を通して鮮やかに見てとることができた。それは特殊な環境に置かれた少女の、非現実的な体験についての物語ではあったが、そこには人々の自然な共感を呼ぶものがあった。たぶん意識下にある何かが喚起されるのだろう。だから読者は引きずり込まれてページを繰ってしまう。
 そのような文学的美質には、おそらく天吾の貢献するところが大きいのだろうが、いつまでもそこに感心しているわけにはいかない。彼女はリトル・ピープルの登場する部分に焦点をあてて、その物語を読み込まなくてはならない。それは青豆にとっては、人の生死が賭かったきわめて[#傍点]実際的な[#傍点終わり]物語なのだ。マニュアル・ブックのようなものだ。彼女はそこから必要な知識とノゥハウを得なくてはならない。彼女が紛れ込んでしまった世界の意味を少しでも詳しく、具体的に読み取らなくてはならない。
『空気さなぎ』は世間の人々が考えているように、十七歳の少女が頭の中でこしらえた奔放なファンタジーじゃない。いろんな名称こそ変えられているものの、そこに描写されているものごとの大半は、その少女が身をもってくぐり抜けてきた紛れもない現実なのだ——青豆はそう確信した。ふかえりは彼女が体験した出来事をできるだけ正確に、記録として書き残したのだ。その隠された秘密を世界に向けて広く開示するために。リトル・ピープルの存在を、彼らの為していることを多くの人々に知らせるために。
 少女があとに残してきたドウタは、おそらくリトル・ピープルのための通路となって、彼らをリーダーである少女の父親へと導き、その男をレシヴァ圃受け入れるものに変えてしまった。そして不必要な存在となった「あけぼの」を血なまぐさい自滅へと追い込み、そのあとに残された「さきがけ」をスマートで先鋭的な、そして排他的な宗教団体へと変貌させていった。それがリトル・ピープルにとってもっとも快適で都合の良い環境だったのだろう。
 ふかえりのドウタは、マザなしで無事に長く生き延びることができたのだろうか。マザなしでドウタが長く生き延びるのはむずかしいとリトル・ピープルは言った。そしてマザにしたところで、心の影を失ったまま生きるというのはどのようなことなのだろう。
 少女が脱出したあとも、リトル・ピープルの手によって同じような手順で、何人かの新しいドウタが「さきがけ」の中で作り出されたのだろう。リトル・ピープルが行き来する通路をより広く安定したものにすることが、その目的であったはずだ。道路の車線を増やしていくのと同じことだ。そのようにして複数のドウタたちがリトル・ピープルのためのパシヴァ=知覚するものとなり、巫女の役割を果たすことになった。つばさもそのうちの一人だ。リーダーが性的な関係を結んだのは少女たちの実体《マザ》ではなく、彼女たちの分身《ドウタ》であると考えれば、「多義的に交わった」というリーダーの表現も臆に落ちる。つばさの目がいかにも平板で奥行きがなかったことも、ほとんど口がきけなかったことも、それで説明がつく。何故どのようにしてドウタのつばさが教団から抜け出したのか、その事情まではわからない。しかしいずれにせよ彼女は、おそらくは空気さなぎに入れられてマザのもとに[#傍点]回収された[#傍点終わり]のだ。犬が血なまぐさく殺されたのはリトル・ピープルからの警告だった。トオルの場合と同じように。
 ドウタたちはリーダーの子供を受胎することを求めていたが、実体ではない彼女たちに生理はない。それでもリーダーの言によれば、彼女たちは受胎することを切に求めていた。なぜだろう?
 青豆は首を振る。わからないことがまだたくさんある。
 
 青豆はそのことをすぐにでも老婦人に伝えたかった。あの男がレイプしたのは、あるいは少女たちの影に過ぎなかったのかもしれません、と。私たちにはあえてあの男を殺害する必要もなかったのかもしれません。
 しかしそんな説明をしても、もちろん簡単には信じてもらえないだろう。その気持ちは青豆にもわかる。老婦人は、いやまともな頭を持つ人間なら誰だって、リトル・ピープルだのマザだのドウタだの空気さなぎだの、そんなことを事実として持ち出されても、すぐには受け入れられないはずだ。まともな頭を持つ人々にとってはそんなものはみんな、小説の中に出てくるただの作り事でしかないのだから。『不思議の国のアリス』のトランプの女王や、時計を持ったウサギの実在を信じられないのと同じことだ。
 しかし青豆は空に浮かぶ二つの新旧の月を[#傍点]現実に[#傍点終わり]目にしてきた。彼女はそれらの月の光の下で実際に生活を送ってきた。そのいびつな引力を肌に感じてもきた。そしてリーダーと呼ばれる人物を、ホテルの暗い一室で、この自分の手で殺害した。その首の裏側のポイントに鋭く研ぎすまされた針を打ち込んだときの不吉な手応えは、まだ手のひらにありありと残っている。その感触は彼女の肌を今でも激しく粟立たせる。そしてその少し前に彼女は、リーダーが重い置き時計を宙に五センチばかり浮かびあがらせるのを目にした。それは錯覚でもないし、手品でもない。それはただそのまま受け入れるしかない冷徹な事実なのだ。
 そのようにしてリトル・ピープルが「さきがけ」というコミュニティーを実質的に支配することになった。彼らがその支配を通してどんなものごとを最終的に求めていたのか、青豆にはわからない。それはあるいは善悪を超えたものごとなのかもしれない。しかし『空気さなぎ』の主人公である少女はそれを[#傍点]正しくないこと[#傍点終わり]として直感的に認識し、彼女なりに反撃を試みる。自らのドウタを捨ててそのコミュニティーから逃亡し、「リーダー」の表現を借りるなら、世界の均衡を保つために「反リトル・ピープル的モーメント」を立ち上げようとする。彼女はリトル・ピープルの通ってきた通路をさかのぼり、彼らのやってきた場所に入り込もうとする。物語が彼女の乗り物となる。そして天吾がパートナーとなってその物語の立ち上げを助ける。天吾本人はそのときおそらく自分のやっていることの意味を理解していなかったはずだ。あるいは今でもまだ理解していないかもしれない。
 いずれにせよ、『空気さなぎ』という物語が大きなキーになっている。
 [#傍点]すべてはこの物語から始まっているのだ[#傍点終わり]。
 しかし私はいったいこの物語のどこにあてはまるのだろう?
 あの渋滞した首都高速道路の非常階段を、ヤナーチェックの『シンフォニエッタ』を聴きながら降りた時点から、大小ふたつの月が空に浮かぶこの世界に、この謎に満ちた「1Q84年」に私は引きずり込まれてしまった。それは何を意味するのだろう?
 
 彼女は目を閉じ、考えを巡らせる。
 私はたぶん、ふかえりと天吾がこしらえた「反リトル・ピープル的モーメント」の通路に引き込まれてしまったのだ。そのモーメントが私を[#傍点]こちら側[#傍点終わり]に運んできた。青豆はそう思う。ほかに考えようがないではないか。そして私はこの物語の中で決して小さくはない役割を担うことになった。いや、主要人物の一人と言っていいかもしれない。
 青豆はまわりを見回した。つまり、私は天吾の立ち上げた物語の中にいることになる、と青豆は思う。ある意味では私は彼の体内にいる。彼女はそのことに気づく。いわば私はその神殿の中にいるのだ。
 昔、テレビで古いSF映画を見たことがあった。タイトルは忘れた。科学者たちが自らの身体を顕微鏡でしか見えないところまで縮小し、潜水艇のような乗り物(それも同じく縮小されている)に乗り込んで患者の血管の中に入り、血管を通って脳の中に入り、通常では不可能な複雑な外科手術をおこなおうとする話だ。状況はそれに似ているかもしれない。私は天吾の血液の中にいて、その身体を巡っている。侵入した異物(つまり私だ)を排除するべく襲いかかってくる白血球たちと激しく闘いながら、目標の病根へと向かう。そして私はホテル・オークラの一室で「リーダー」を殺害することによって、おそらくその病根を「削除」することに成功したのだ。
 そう考えると、青豆はいくらか温かい気持ちになることができた。私は与えられた使命を果たした。それは疑問の余地なく困難な使命だった。ずいぶん怖い思いもした。でも私は雷鳴の轟く中でクールに、そして遺漏《いろう》なく仕事を成し遂げたのだ。おそらくは天吾の見ている前で。彼女はそのことを誇らしく思った。
 そして血液のアナロジーを更にたどっていくなら、私は役目を終えた老廃物として、間もなく静脈に取り込まれ、遠からず体外に排出されていくことになるはずだ。それが身体のシステムのルールだ。その運命を逃れることはできない。しかしそれでかまわないじゃないか、と青豆は思う。私は今、天吾くんの中にいる。彼の体温に包まれ、彼の鼓動に導かれている。彼の論理と彼のルールに導かれている。そしておそらくは彼の文体に。なんと素晴らしいことだろう。彼の中にこうして[#傍点]含まれている[#傍点終わり]ということは。
 青豆は床に座ったまま目を閉じる。本のページに鼻をつけ、そこにある匂いを吸い込む。紙の匂い、インクの匂い。そこにある流れに静かに身を委ねる。天吾の心臓の鼓動に耳を澄ませる。
 [#傍点]これが王国なのだ[#傍点終わり]、と彼女は思う。
 私には死ぬ用意ができている。いつでも。

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11/24 22:08