蹴落《けおと》さねえ奴《やつ》は!
三ヶ月間の第一次養成期間が夜だったのと違《ちが》って、今度の一年間の養成は、終ったときにNHKの専属になることが約束《やくそく》されていたから、仕事を持ってる人も、学生も、決心したら、それをやめて、この昼間の養成に出席しなくては、ならなかった。
有難《ありがた》いことに、トットは、目出たく、音楽学校を卒業した。
それにしても、今度の養成は、かなりのものだった。月曜から土曜までの毎日。朝十時から夕方五時まで。昼休みの一時間を除いて、ぎっちりの授業だった。観光ホテルというのは、田村町のNHKのむかいのホテルだけど、タップやバレエをやるホールだの、日本|舞踊《ぶよう》のためのお座敷《ざしき》、そして、セリフの勉強や、演技の訓練、それから講義という、毎日の勉強には、六|畳《じよう》の部屋を三つ、襖《ふすま》をはずして、ぶちぬいた、寺子屋風になる日本間などがあるので、おあつらえむきだった。おかしかったのは、あるとき、セリフの稽古《けいこ》の脚本《きやくほん》が、
「おねえさん、おねえさん!」で始まるんだけど、誰《だれ》かがこれをいうと、ホテルの女中《おねえ》さんが、
「はーい」
といって、襖を開けて入って来ることだった。
「セリフですよ」というと、
「あーら、すいませんねえ」といって出て行くけど、また、
「おねえさん、おねえさん!」というと、
「はーい」といって、違う女中《おねえ》さんが、襖を開ける、なんてことが、あった。
先生は一流だった。
日本舞踊が、西崎緑先生。
演劇が、新劇界の長老、青山|杉作《すぎさく》先生。
芸術論が、池田|弥三郎《やさぶろう》先生。
芸術史が、富永|惣一《そういち》先生。
この他《ほか》、音声生理と発声、颯田琴次《さつたことじ》先生。邦楽史が、吉川《きつかわ》英士先生。高橋|邦太郎《くにたろう》先生や、吉川義雄先生も、風俗や芸能全般を、受けもって下さった。タップとバレエは、引き続き荻野幸久先生、声楽も栗本正先生。ラジオ・ドラマが中川忠彦先生、動きの基礎《きそ》を、佐久間茂高先生。そして、テレビジョンのスタジオでのことは、現場からディレクターや、技術の方達《かたたち》が、かわるがわる来てくれた。また、講義の内容によって、多彩な顔ぶれが揃《そろ》った。勿論《もちろん》、朗読、物語は、大岡龍男先生には、かわりなかった。
そんなある日、放送研究という時間に、NHKの放送劇団の一期生であり、当時、ラジオの「向う三|軒両隣《げんりようどな》り」などで、大スターの巌《いわお》金四郎さんが、講師として、お見えになった。いってみれば、来年から、トット達の大先輩《だいせんぱい》になる人だった。放送をよく聞いてる仲間は、緊張《きんちよう》して、お出迎《でむか》えした。筆記試験のとき、巌さんのことを知らなくて、「歌舞伎《かぶき》の菊五郎劇団の人」と決めちゃって、筆記試験に残った五百人中、この答え(正解は、東京放送劇団員)が出来なかった人の、二人のうちの一人のトットも、緊張した。もう一人の出来なかった人は、落ちたらしいので、この教室で、巌さんを知らなかったのは、トット一人、ということになったわけで、そのことを、巌さんが知ってるかも知れない、と思うと、トットは、こわかった。
みんなは、他の先生方と違って、現職の俳優さん、ということで、楽しみにしているようだった。
巌さんは、誰かが手早く開けた襖から、部屋に入ると、すぐ、先生の席のところに、あぐらをかいて、すわった。そして、煙草《たばこ》を出して火をつけて一服すうと、みんなを見廻《みまわ》して、こういった。
「蹴落さねえ奴は、蹴落されるんだ!」
そして、そのあと、だまって、煙草を吸っているだけだった。
みんなも、だまっていた。トットは、誰か大きい男の人の後ろにかくれて、なるべく、巌さんから見えないようにすわって、いまの言葉を考えていた。
(蹴落す、っていうのは、どういうことだろうか……)
(実力を持つ、ということだろうか)
(実際に、自分に近寄って来る人を、意地悪してでも、遠ざけることだろうか)
(要するに、あらゆる手段を使って、自分より強くなろう、とする人を排撃《はいげき》することらしい……)と、トットは考えた。
そして、
(とても、私には、出来ない)と悲しく思った。
トットの小学校、トモエ学園の小林校長先生は、いつも、みんなにいった。くり返して。
「みんなで一緒《いつしよ》にやるんだよ。何をするのも一緒だよ。助け合ってね」
そして、トットは、その通りに、やって来た。助けてもらうことが多かったけど、それでも、みんなと、仲良くして、楽しくやるのが好きだった。それなのに……。
(蹴落すのも、いやだけど、蹴落されるのも、イヤだ。この世界は、そうしなければ、やっていけないのだろうか……)
巌さんは、きっと、プロの心意気を、みんなに教えて下さろう、と思って、こういったのだろうけど、トットは、とてもショックを受けてしまった。
(いま、この教室にいる誰のことも、私は、蹴っとばすことなんて、出来ない)
そして、このときのトットの気持は、終生、変らなかった。だから、最初のときから、トットは、プロへの道を放棄《ほうき》した、といえるのかも、しれなかった。