縞馬《しまうま》
トットは、口笛《くちぶえ》を吹《ふ》きたい気分で、バスに乗っていた。なにしろ、NHKのカラーテレビの実験のための、モデルになってほしい、という、輝《かがや》かしい仕事が、もう来たのだから。観光ホテルの畳《たたみ》の教室から、一人、抜《ぬ》け出せたのも、笑いがこみ上げるほどの、うれしさだった。トットは、この前、生まれて初めて見た、総天然色の「赤い靴《くつ》」を思い出していた。バレリーナのモイラ・シャラーのピンク色の肌《はだ》の美しさが、いまでも、はっきり目に浮《う》かんだ。トットは、モイラ・シャラーには、かなわないけど、ピンクと白の格子《こうし》の、よそゆきの洋服を着ていた。バスは、世田谷・砧《きぬた》の、NHK技術研究所前という停留所に止まった。
カラーの研究なんていうから、どんな近代建築なのかと思ったら、畠《はたけ》のまん中みたいなとこに、灰色で四角いものがあって、それが、そうだった。トットが、カラーのモデルで来たというと、係りのおじさんが、お化粧《けしよう》さんの部屋にトットを連れていった。トットは、小走りに後をついていった。お化粧をしてくれるお姉さんは、トットの顔をコールドクリームでふくと、いきなり、濃《こ》い紫色《むらさきいろ》のものを、トットの顔の右半分に塗《ぬ》った。びっくりしたけど、(きっと、これは、下地かなにかで、そのうち、ピンクを塗るんだわ)と思っていると、今度は左半分に、真白を塗った。お化粧さんは、鏡の中のトットを見ると、
「じゃ、スタジオに行きましょうか?」といった。トットが、あわてて、
「あのお、これだけで?」
というと、お化粧さんは、特別に変ったことをしてる、という気はないらしく、
「そうですよ。今日は、紫と白の日なんですから」といった。トットは、狼狽《ろうばい》して、半泣きになり、「せめて、ピンクと、白じゃ、ダメなんでしょうか」と頼《たの》んでみた。でも、お化粧さんは、「今日は、この色のテストだから」といって、トットをスタジオに連れていこうとした。仕方なく、部屋を出ようとして、トットは、鏡を、チラリと見た。モイラ・シャラーとは、似ても似つかない、紫色の縞馬みたいなものが、そこに写っていた。それから、どうしてスタジオに行き、どうやって椅子《いす》にすわったか、おぼえていないくらい、トットは悲しかった。そして、その顔で、半日、だまってカメラの前に、ただすわらされていたのだった。あんまり悲しそうにしているので、お化粧さんが、慰《なぐ》さめてくれるため、トットにいった。
「でも、肌のいい人って、お願いしたんですよ。色のテストのとき、もともとの肌が白くて良くないと、テストになりませんのでね。あなたで、よかったわ」だけど、悲しくて、鼻をかんだら、鼻のまわりの色がとれて、鏡の中には、狸《たぬき》が、いた。
帰りのバスは、来たときより、ずっと、のろのろしてるように、トットには、思えた。