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トットチャンネル39
日期:2018-10-14 19:10  点击:303
 狐《きつね》のお面
 
 どういう風の吹《ふ》きまわしか、トットのところに、ガヤガヤじゃない、単独のテレビの仕事が来た。それまで、ラジオにしても、テレビにしても、仕事、といったら、必ず、同期生と一緒《いつしよ》に指名されるのに、この日は、トット一人だった。(でも、行っても、どうせ、おろされるかも知れないし……)と、割に呑気《のんき》に出かけたトットは、台本を渡《わた》されて、とび上った。(大変!)それは、司会のようなもので、カメラにむかって、NHKの近くの小学校の生徒のやる、歌とか踊《おど》りとか、コーラスとかを、紹介《しようかい》する、という難かしそうな仕事だった。担当のディレクターは、顔の色が黒く、肥《ふと》っていて、まゆ毛が濃《こ》くて、ちょっと、ダルマのようだ、と、トットは思った。バンカラで有名な人だった。その人は、トットを、スタジオの床《ゆか》に、絆創膏《ばんそうこう》で×じるしをした上に立たせると、大声で説明した。
「いいかい、この×が、君の立位置《たちいち》! そしてその、第一カメラが、ふつうは、一《いち》カメというが、これが君の前に来る。カメラの上の赤いランプが、パッ! とつく。ついたら、君が写ってることだよ。だから、しゃべる。いいね? で、この赤いライトが消えるまで、君は写ってる。セリフは、台本通り。じゃ、リハーサル、やってみよう!」カメラは、二台だった。トットは、台本に書いてあることを、大急ぎで、暗記した。カメラが来た。赤いランプがつく。
「みなさん、今晩は! きょうは、小学校の生徒さんの、楽しい歌とか、踊りとかを、御紹介しましょう。まず、麹町《こうじまち》小学校三年生の○□△×君の、歌です」赤いランプが、消える。○□△×君が歌いだす。二カメが○□△×君を写し始めた。一カメも大急行で○□△×君のところに行く。
 その間に、トットは、いそいで足許《あしもと》に置いた台本を開く。
(えーと、次は、四谷《よつや》小学校四年生の、×▽○□ちゃんの踊り……)歌が終る。カメラが、トットの前に、すっとんで来る。赤ランプがつく。トットがいう。
「次は、四谷小学校四年生の×▽○□ちゃんの踊りです」
 ……こんな風に、六人くらい紹介すると、ちょうど予定の時間で、「では、さようなら」で番組は終ることになっていた。
 思いがけないほど、万事スムースにいった。ダルマ・ディレクターは、満足気に、
「うん! 大丈夫《だいじようぶ》! その調子! いいぞ!」
 と、大声で叫《さけ》び、リハーサルは終った。
 スタジオの中の、少し高い台の上に置いたテレビジョンは�モニター�といって、リハーサルも本番も、カメラで撮《と》ったものが写る、しかけになっていた。トットの顔も、そこにクローズ・アップに写っているようだったけど、写っているとき、そっちを見ると、横目に写っちゃって、叱《しか》られるといけないから、トットは見ないように我慢《がまん》した。カメラ・リハーサルが、もう一度あり、とうとう本番になった。夕方、五時半からの、子供も見る番組だった。ナマ本番というのは、時間キッチリに始まるので、どんなことがあっても、待ってはくれない。メーキャップさんが、茶色っぽいスティックを、スポンジで顔に塗《ぬ》ってくれ、トットが普段《ふだん》は、つけてない、口紅も、つけさせられた。ちょっと紫色《むらさきいろ》っぽい口紅だったけど、写ると、これが自然に見える、という話だった。
 ところで、その日は、偶然《ぐうぜん》、パパとママが一緒に銀座に行く用があった。そこで、
「じゃ、銀座のあと、どうせなら、トットのテレビをパパとママが喫茶店《きつさてん》で見て、そのあと、トットと、そこで逢《あ》って、三人で食事でもしよう……」という約束《やくそく》になっていた。まだ、個人でテレビを持ってる人は、ほとんどなくて、トットの家も、勿論《もちろん》、なかった。求人広告に「求む家政婦。当方テレビジョン有り」という、今では、嘘《うそ》のような時代だった。喫茶店は、NHKと道路をへだてた、むかいの、フロリダ、と決まった。
 本番というのは、恐《おそ》ろしく、ドキドキするもので、F・D(フロアー・ディレクター)が、
「二十秒前! 十五秒前! 十秒前!」
 と、始まりの、秒よみ[#「秒よみ」に傍点]を叫び出すと、途端《とたん》に手先が冷たくなり、頭がボーッとして、心臓が音をたて始め、いくら唾《つば》を飲みこんで、のどを下に押《お》しても、心臓が押し上げるのか、のどが、口の外に、出ようとする。ましてや「……九、八、七、六……」と近づいてくると、もう、目の前が暗くなる。「五……四……」……もう、絶対に、時計は止ってくれない。
「三……二……キュー!!(合図)」
 始まった。
 トットは、それでも、目をしっかりと見開いて、目の前の赤ランプがつくと、すぐ、いった。
「みなさん、今晩は! きょうは、小学校の生徒さんの、楽しい歌とか、踊りとかを、御紹介しましょう。まず麹町小学校三年生の○□△×君の、歌です」
 赤ランプが消えた。(ああ、よかった。少なくとも、はじまりは、うまくいった……)深呼吸してから、いそいで、しゃがんで台本を見る。(えーと、次の学校は、四谷小学校、四年生の……)
 口の中で何度かくり返しているうちに、カメラが来る、赤ランプがつく。しゃべりだす……。
 こんな風に、まん中くらいまで、うまくいった。ところが、思いがけないことが起った。
 それは、小学校の男の子が二人で、一枚の羽織《はおり》を着て、二人《ににん》羽織というのをやっている時だった。羽織を着た子の背中に、もう一人の子が入っていて、前の子の口の中に、羽織から出ている後《うしろ》の子の手が、おまんじゅうを入れようとするんだけど、なかなか、うまく、口の所にいかなくて、喰《た》べるほうの子は、指にかみついたり、おまんじゅうがコロコロ、ころがっちゃったり……。始めは、わざとして笑わせてたんだけど、本当に、うまくいかなくなって、しまいには、顔の出てる子が、「ちがうよ! もっと、右!!」とか、後の子にいい始め、後の子はあせるもので、ますます、おまんじゅう持った手が頭にぶつかったり、鼻を押したりして、もう、いつ終るか、わからなくなって来た。トットは、(どうなることか!)と、ハラハラして、見ていた。突然《とつぜん》、トットの目の前に、赤ランプが、パッ!! と、ついた。
「ウッ!」
 ……トットは、びっくりした顔でカメラを見た。生徒が、やっている間に、ちゃんと台本を見て、次の子の学校名と名前などを、暗記しておかなくては、いけないのだった。それなのに、おまんじゅうに気を取られていて、見るのを忘れていたのだった。何を次に言えばいいのか、思い出せなかった。台本は、足許にあるけど、もし、取ってみようとすれば、体を、沈《しず》ませなければならない。そうしたら、カメラから、姿が消える……。(ああ、どうしよう……)馴《な》れてる人なら、こんなときに、
「さあ、次は、なんでしょう? 楽しみね、じゃ、どうぞ!!」
 なんて、胡麻化《ごまか》すことも出来るけど、何しろ、カメラと真正面に相対したのは、今日が生まれて初めてのトットだもの、どうしようもなかった。(誰《だれ》かが助けてくれるか?)と、思ったけど、F・Dの人は、もう、次の子供のほうに合図しに行ってしまって、あるのは、目の前のカメラだけ。カメラさんの姿は、カメラにかくれて見えなかった。(ああ! 神様……!)それでも、赤ランプは、消えない。
「赤いランプがついてるうちは、写ってるんだからな!!」
 ダルマ・ディレクターの声が耳に残っている。
(どうしよう……)
 トットは、この間じゅう、ずーっと、困った顔のまま、だまって、カメラのほうを見ていた。
(もう、消えてくだされば、いいのに……)
 でも、赤ランプは、ついている。
(こんなに孤独《こどく》な、ものなの?)
 トットは、悲しくなった。それと、自分が悪いんだけど、このまま、こうやって、カメラと、にらめっこしてて、どうなるのかしら……?
 恐ろしい沈黙《ちんもく》。こういうときの時間が、どのくらいのものか、見当もつかなかった。まるで、五分も経《た》ったか、と、トットは思った。とうとう、トットは、どうしていいか、わからなくて、顔は、カメラにむけたまま、少し、うつむいて、小声で、いった。
「いやんなっちゃう……」
 次の瞬間《しゆんかん》、赤ランプが、パッ!! と消えた。トットは、凄《すご》い、いきおいで、しゃがんで、台本を、めくった。そのあと、トットが、どんなに挽回《ばんかい》しようと頑張《がんば》ったか、それは、誰の目にも、はっきりした。
 それでも、とにかく時間が来れば、番組は終る。(ああ、終った……)と思った時だった。頭の上のガラス箱《ばこ》のドアを蹴《け》とばすように出て来たダルマ・ディレクターの、世にも恐ろしい声が! 本当に、雷《かみなり》とは、このことか、と思えるような大きな声が、上から落ちてきた。
「お前!! 社会人なんだぞ! なんだ? �いやんなっちゃう�とは!! もう女学生じゃねえんだから。社会人だってこと、忘れるんじゃ、ねーぞ!!」
 トットが、どんな絶望的な、暗い気持で、パパとママの待つ喫茶店にむかったかは、いつまでも、ふるえちゃって、止まらない手と、目に一杯《いつぱい》たまった涙《なみだ》が、証明しているようだった。トットが入っていくと、いつものように、ママは、美しい顔で、笑いかけた。ママの黒いベレー帽《ぼう》が、黒いレインコートと、よくマッチしていた。パパが、ママのことを自慢《じまん》するのも、もっともだ、と、トットは、しょげながらも思った。トットは、うつむいたまま、聞いた。
「見た?」
「見たわよ」ママがいった。
 パパも、いった。「見たよ」
 パパとママにとっては、娘《むすめ》の顔を、初めて、はっきり[#「はっきり」に傍点]、ブラウン管で見たことになるのだった。トットは、恥《はず》かしいのと、がっかりとで、
(どんな顔に写ってた?)
 とは、聞けなかった。だから、思い切って、こう、聞いた。
「間違《まちが》ったとこ……わかったでしょ?」
 ママは、ちょっと考えてから、いった。
「間違ったとこ? 気がつかなかったけど……」
「本当?」
 トットは、少し元気になった。
 ママは、うなずいた。
「ええ、気がつかなかったけど……」
 トットは、自分に良いほうに解釈した。
(そうか! もしかすると、あれは、NHKのスタジオの中だけのことで、放送には、あそこが写らなかったのかも、知れない……)
 さっきまでの心配が、どんどん消えていくようだった。トットは、うれしくなった。
(わかんなかったのなら、他《ほか》は、うまくいったんだもの、わあー!!)
 トットは、顔を、あげかけた。そのとき、不意に、ママが、いった。
「それは、いいけど、どうして、あなた、狐のお面、かぶって出たの?」
「え?!」
 トットは、ママの言ってる意味が、わからなかった。ママは、気がねしてるような風に、いった。
「そうなの。どうして、狐のお面かぶって、ああいう司会みたいの、やるのかなあ、ってパパとも話したんだけど……」
「狐の、お面?!……」
 トットは、何が驚《おどろ》いた、といって、こんなに驚いたことは、なかった。だって、メーキャップだってして、顔は、ちゃんと出して、やったんだもの。トットは、強くいった。
「お面なんて、かぶってないわ!!」
 でも、ママは、はっきりした口調で、いった。
「あら、やだ……。かぶってたじゃない……」
 トットの、初めての、クローズ・アップは、狐のお面の顔としか、見えなかった。こんな、ショックなことは、なかった。
 つまり、その頃の、白黒のテレビの画像は、そんなだった。白と黒のコントラストが強かったし、ブラウン管には、横線が沢山《たくさん》、走ってる。そんなわけで、口は、横に、どんどん長くなって、切れ長の口[#「切れ長の口」に傍点]になり、鼻の先は白いので前に飛び出し、目は、顔の白にくらべて、黒目が強調されちゃって、つり上り……(どっちにしても、緊張《きんちよう》で、つり上っては、いたけれど……)おまけに、肌《はだ》の感触《かんしよく》が出ないから、顔は、固い。その上、髪《かみ》の毛は、真黒[#「真黒」に傍点]で、柔《やわ》らか味は、全くなくて、ギザギザだ。……そんなわけで、家族には、いつも120点をつけるママですら、「狐のお面」と信じて疑わない風に、写っていたのだ、とわかった。
 将来、テレビが、カラーになり、例えば、赤ちゃんの顔が、ピンク色で、生き生きと輝《かがや》き、ポチャポチャと柔らかそうで、よだれまで、はっきり見えて、もう、手を出して、さわってみたくなるまでに技術が進むだろう、なんてことを、このときのトットは、想像することも出来なかった。
 ただ、今度、また大写しで出ることがあったら、狐のお面をかぶっているようにだけは写らないと、いい! トットには、それだけだった。

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