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トットチャンネル47
日期:2018-10-14 19:19  点击:248
 三好《みよし》十郎先生
 
 
「ヤン坊《ぼう》ニン坊トン坊」は、毎週、日曜日の午後五時半から、三十分間、NHKラジオの第一放送の、電波に、のった。ところが、トット達《たち》、五期生の三人|娘《むすめ》の名前は、始めの一年間、伏《ふ》せられた。これは、NHKの希望で、そうなったんだけど、これについてNHKの人は、こう説明した。
「これまで、子役は、子供が、やって来ました。それが、この番組で、初めて、大人《おとな》が子供の声を出すことになりました。これは聞いている人を、だますことになるわけです。ヤン坊ニン坊トン坊の声をやる三人は、すでに、テレビに出始めていて、名前が知られ、顔も見られているので、大人、ってことが、わかります。当分は、三人の名前は、発表しないことにいたします」
 飯沢先生は、「子供の偽善《ぎぜん》的なセリフ廻《まわ》しが、なんとも、いやなので、大人にやってもらったわけだけど、このほうが、どんなに自然で、生き生きしてるか、わからない。別に、だますことには、ならないんじゃないんですか?」とか、「子供が子供の声をやるのが、リアリズムである、というのは、単純すぎるんじゃないかな」と抗議《こうぎ》をした、という話だったけど、結局、「ヤン坊」の放送のあとの配役をいうとき、NHKのアナウンサーは、こんな風に、マイクの前で読んだ。
「ただいまの出演
 ヤン坊
 ニン坊
 トン坊
 カラスのトマトさん    新村礼子
 学者猿《がくしやざる》         芥川比呂志《あくたがわひろし》
 オセンチ猿        益田喜頓《ますだきいとん》
 蛇《へび》            北林谷栄《きたばやしたにえ》
 ドロ亀《がめ》          大森義夫
 語り手は         長岡輝子
 以上のみなさんでした」
 でも、トットは、(切角《せつかく》、出ているのに、名前、いってもらえないのかあ)というくらいの気持だった。まだ、名前だとか、タイトルだとか、そんなことが、重要という風な自覚は、なかった。だから、あるとき、「ヤン坊ニン坊トン坊」のスタジオに、誰《だれ》かが雑誌を持って来て、飯沢先生や、作曲の服部先生や、長岡先生が、順々に廻《まわ》して読んでらっしゃる中味を、あとで、ちらりと見せて頂いたときだって、特別な感激《かんげき》は、なかった。それは、芸術新潮に、のった、「ヤン坊ニン坊トン坊」の批評だった。
 内容は、�三|匹《びき》の白猿王子の冒険《ぼうけん》物語は、愉《たの》しい。近来の収穫《しゆうかく》�と、いうような風に始まって、�テーマ音楽の明快なリズムを、三匹は元気に歌っているし、次々と登場する動物たちの歌が、それぞれ違《ちが》う性格を持ち、その、どれ一つだって、決して低俗でも、蒸《む》し返しでもない。その音楽にも増して、耳をよろこばせるのは、名優たちである。三匹の中では、末っ子のトン坊が、食べちまいたいくらい、可愛《かわい》い声(子役ぶった声ではない)を出す�と、あった。トットは�食べちまいたいくらい、可愛い�って表現のところで、(食べられるにしては、私は大きすぎる)と、少し、おかしかった。きっと、批評を書いた人は、とても小さな猿を想像したに違いなかった。そして、その批評は、更《さら》に、�カラスのトマトさんは、凄《すご》い珍優《ちんゆう》であり、長岡輝子の話しぶりが、ゆったりとして、子供に媚《こ》びる声なんか出さないのに、大変なつかしい感じ。全体に爽《さわ》やかなドラマで、これは演出|飯沢匡《いいざわただす》の非凡《ひぼん》さによるものだろう。もう一つ賞《ほ》めたいのは、この愉快《ゆかい》な冒険小説に、一本|貫《つらぬ》いている高い精神である�とあり、最後に、�念のため、他《ほか》の連続児童ドラマを、二、三|聴《き》いてみたが、流れる歌は、流行歌的、少女歌手的、せりふは、相変らずメソメソ声や怒鳴《どな》り声の低調さだった�と結んであった。
 トットは、自分の声が、(子役ぶった声ではない)というところで、少し安心した。でも、別に、「わあー、ほめられて、うれしい!」ということも、なかった。トットには、まだ、ラジオでやったものが、印刷になって批評される、という意味が、よく、のみこめて、いなかった。それから、また、芸術新潮というのが、どういう雑誌かも、わかっていなかった。ただ、おぼろ気に、飯沢先生が、いろいろのNHKの反対を押《お》しきって、大人の声で、やった、この、「ヤン坊ニン坊トン坊」が、先生の思い通りに、いってるらしいことは、よかった、と思ったくらいだった。
 でも、名前を伏せた、ということのために、いろんなことが起った。
 その頃《ころ》、劇作家の三好十郎先生の、お宅に、トット達劇団員は、先生の作品の本読みに伺《うかが》うことになった。大岡先生は、あわてて、「三好十郎先生は、�炎《ほのお》の人・ゴッホ�や�彦六《ひころく》大いに笑う�など、立派な作品をいくつもお書きになった、左翼《さよく》演劇作家として、有名な方《かた》です」と、トットに説明してくれた。また、「いま、お体が、少し、お弱りになっているので、本読みや稽古《けいこ》は、世田谷の先生のお宅に伺って、するんでございます」とも、つけ加えた。
 ベランダに面した大きいガラス戸のある、昔風《むかしふう》の応接間の、まん中の、ひじかけ椅子《いす》に、三好先生は、すわってらした。ベレー帽《ぼう》に、丸い眼鏡の、小柄《こがら》な方だった。みんなは、先生を囲むようにして、床《ゆか》に座《すわ》ることに、決まっているらしかった。トットは、後ろに行こうとしたのに、なんだか、先輩《せんぱい》に押されて、先生の目の前に、すわってしまった。先生は、眼鏡の奥《おく》の目に力をこめて、こう、おっしゃった。
「僕《ぼく》は、このあいだから始まったばかりの、『ヤン坊ニン坊トン坊』を聞いていますが、あれをやってる子供は、実に、素朴っこ[#「素朴っこ」に傍点]で、いい。子供というのは、『お前は白い猿だよ!』といわれると、もう、すっかり、『自分が猿だ』と、思いこむ。これが、大人の俳優になると、うまくやろう、とか、こんな風にやろう、とか、あれこれ、やり過ぎて、嘘《うそ》になる。今度のドラマは、あの子供たちのように、ぜひ、素朴《そぼく》っこに、やって下さい」
 東北出身ではない先生が、なぜか、「素朴っこ」とおっしゃったのが、トットには面白《おもしろ》かった。それにしても、トットは、顔が上げられなかった。「あれは、私達です」と、この大先生には、いえなかった。ななめ後ろを、振《ふ》り返ると、里見さんも、横山さんも、トットと同じように、下を、むいていた。
 この頃のことを、三好十郎先生の一人娘のまりさんが、「泣かぬ鬼父三好十郎」という本の、あとがきの、出《で》だしのところに、こんな風に、書いて下さっている。
『父の中の小さな違和感《いわかん》をはっきりと感じはじめて以来、私は日毎《ひごと》に内向的になり、屈折《くつせつ》していく自分の心がはっきりとわかっていった。ただ、反抗的というのではなく、陰気《いんき》な、まるで可愛げのない少女だった。
 父は、ラジオドラマを次々と書きあげ、NHKへの出入りが激《はげ》しかった。ちょうどこのころ、飯沢匡さんが「ヤンボー、ニンボー、トンボー」という子供向けの連続放送劇を書いていらして、大人も子供も放送を楽しみにしていたものだった。父もこの楽しい連続ドラマが大変好きで、家にいる時はかならず聞いていた。このドラマに出てくるかわいらしい子供達は、当然のこととして子供が演じているものと、だいぶ長いこと思っていたらしい。
 ある日、NHKで、あの「ヤンボー、ニンボー、トンボー」の中の子役は、NHK劇団の若手の三人の女優さん達であることを聞かされて、父はびっくりしたらしかった。「あの、飯沢さんのヤンボー達は、黒柳徹子、里見京子、横山道代の三人なんだってさ。うまいもんだ!」と、しきりに私の顔を見ながら感心していた。
 私は、「ヘェー、そうなの」と、冷ややかに答えた。父は、ケロケロと底ぬけに明るい黒柳さんがお気に入りのようすだった。
 その日も、例のごとく父の書斎《しよさい》には何人かの声優さんが来ているらしかった。私は、お茶のしたくで忙《いそが》しそうにしている母を横目で見ながら、いつものように居間の自分の席で本を読んでいた。自分の部屋に行けば集中して読書が出来るのを知っていながら、なんとなくボーっとしていた。いねむりをしていたのかもしれない。
「あの、ごめん下さい。入ってもよろしゅうございますか」
 と、かん高い女の声がした。睡気《ねむけ》が一ぺんにふっとぶような声だった。
 私はその声につられるように、反射的に「どうぞ、お入り下さい」と、その時の自分としてはできるだけやさしく答えたつもりだった。
「失礼いたします。マア、これがまりさんですか。私、黒柳徹子です。私を見たいとおっしゃったそうで、ホホホ。今日は、大勢でおじゃましましたのよ」
 と、早口で言って、白いスカートをフワッと広げて座り、はなやかに笑った。
 私はあまり突然《とつぜん》のことなので、どぎまぎして何を言ったのかはまったく憶《おぼ》えていない。ほんの一瞬《いつしゆん》の対面ではあったが、あの真白い洋服を着た黒柳さんの姿は、他のものみなが灰色に見えたといっても言いすぎではないあの時期の私の心の中に、ほんのちょっとだが一筋の光りが射《さ》したかのように感じた。
 まるで貝のように心を閉ざしてしまった私に、ちょっとでも突破口《とつぱこう》を見つけてやりたいと、父の考えたことだったのだ。若さとはなやかさをもつ彼女《かのじよ》の姿を私に見せることで、父ともあまり口を利《き》かない私の気持を、少しでも楽にしてやろうという父の思いつきだったのだ。
 たぶん、私と四つか五つしか年の違わない黒柳さんを見て、父はうらやましかったのかもしれない。今、テレビなどで大活躍《だいかつやく》している黒柳さんを見ると、私の前に一瞬あらわれた白い洋服の彼女の輝《かがや》くような若さと明るさを、なつかしく思い出す。』
 配役に名前を出さないから、リアリズムの大家の三好先生まで、だましてしまうことになった、と、トットは心苦しかった。子供とは、そういうものだと、熱をこめて話した先生を思うと、悲しかった。そしてまた、まりさんの、これを読んだとき、自分の存在が、誰かの心を慰《なぐ》さめたり出来る、なんて、夢《ゆめ》にも考えていなかった、その頃の自分を想《おも》って、哀《かな》しかった。また、この本読みの日だって、「ちょっとヘンな声が出れば、仕事になる時代なんだから、いいわね」と、先輩に面とむかって言われてユーウツだったし、いじけていた様に、トット自身は思っていたのに、他の人には、こんな風に、ケロケロと、楽しい人間に見えたのかと、不思議でもあった。三好先生は、このあと、亡《な》くなる前に、トットを主演に、ラジオ・ドラマを書いて下さった。録音の日、スタジオに見えた時は、毛布の膝《ひざ》かけをなさりながら、いろんなことを、話して下さった。
「いい女優か、そうでない女優かは、その人の、子宮の位置で決まるんだよ!」
 ……なんのことか、意味は、わからなかったけど、力を振りしぼるようにして、おっしゃった、この言葉は、強い印象となって、トットの胸の中に、いつまでも、残った。

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