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トットチャンネル56
日期:2018-10-14 19:24  点击:261
 クリスマス
 
 
 アメリカ映画の影響《えいきよう》か、それとも進駐軍《しんちゆうぐん》から流行してきたのか、少しずつ「ジングルベル」といった風な、クリスマスの音楽が、町の中に流れ始めた。アメリカ軍むけのラジオ放送、FENから洩《も》れてくるのも、賑《にぎ》やかな、クリスマスの歌だった。お菓子屋《かしや》さんには、靴下《くつした》の恰好《かつこう》のキャンディーの詰《つ》め合せとかが並《なら》び、お花屋さんには、ひいらぎ[#「ひいらぎ」に傍点]だの、クリスマスツリーに飾《かざ》るモールだの、星だのが、ピカピカ光っていた。
 そして、クリスマス当日の夜は、酔《よ》っぱらいの小父《おじ》さん達《たち》が、新橋の駅のまわりを、ワイワイ歩いていた。みんな、揃《そろ》って銀紙で出来た三角の帽子《ぼうし》をかぶり、手に、バン! と音のするクラッカーと、クリスマスケーキの箱《はこ》を、ぶら下げていた。男同士、足をもつれさせながら肩《かた》を組んで、何故《なぜ》か、クリスマスの歌じゃなくて、軍歌をうたってる人が多かった。
 クリスマスといえば、トットには大きな思い出が、三つあった。まるで、落語の「三題|噺《ばなし》」の題のようだけど、一つは「第九シンフォニー」二つ目は、「羊《ひつじ》」三つ目は、「初恋《はつこい》」だった。一つ目の「第九シンフォニー」は、ベートーベンの第九のことで、これは、トットの誕生《たんじよう》に関係があった。というのは、トットのママとパパは、クリスマスの夜の、「第九シンフォニー」で、めぐり逢《あ》ったのだった。
 ママは、当時、音楽学校の声楽科の生徒で、オペラだとか、オーケストラで、コーラスが必要という時は、学校から友達と一緒《いつしよ》に、かり出されていた。そんなある、クリスマスの日、新響《しんきよう》(今のN響)が、「第九」をやることになり、ママ達は、あの有名な「歓喜の合唱」のために出かけて行った。他《ほか》の音楽学校からも、沢山《たくさん》、来ていた。そして、そのとき、パパは、まだ二十三|歳《さい》くらいだったけど、もう新響のコンサート・マスターだった。トットが不思議だと思うのは、ママのほうから、パパを見つけるのは、そう難かしいことではなかっただろうけど、パパのほうが、どうやって、凄《すご》い人数の中のママを、見つけたのか、ということだった。自分の昔《むかし》のことを話すのを、とても恥《はず》かしがるパパだから、トットは聞いたことがなかったけど、きっと、ママから、パパだけに通じる魔力《まりよく》のようなものが、オーケストラの人達の頭を、飛び越《こ》えて、パパの胸に、とどいたに違《ちが》いなかった。そして、パパは、ヴァイオリンを弾《ひ》く手を止《と》めたとき、ふりむいて、沢山いる女の子の中の、ママだけを、見た。そのとき、ママは、自分で毛糸で編んだ、グリーンのセーターに、グリーンのベレー帽、そして、やっぱり自分で縫《ぬ》った、グリーンのギャザースカート、というグリーン一色で立っていた。それに、お小遣《こづか》いをはたいて買った輸入ものの、編みあげの靴で。
 偶然《ぐうぜん》、ママのグループの中の積極的な人が、オーケストラの人と知り合いだったりしたことから、グループで、つきあうようになり、そこで、パパとママは、話すチャンスが出来た。とにかく、そんなわけで、クリスマスの晩、以来、二人は、離《はな》れられなくなった。結婚《けつこん》ということになったとき、ママの家のほうから、「音楽家に、嫁《よめ》にやることは大反対!」といったゴタゴタがあったりしたけど、とにかく、パパとママは結婚した。そして、すぐ、トットが生まれた。ママは、トットがお腹《なか》にいるとき、ずーっと、第九の「歓喜の合唱」を、ドイツ語で、口ずさんでいた。生まれてからは、子守唄《こもりうた》がわりに、この曲を歌った。だから、トットが、生まれて最初に憶《おぼ》えた歌、というのは、この曲だった。
※[#歌記号、unicode303d]ザイネ・ツァーベル・ビンデル・ビーデル・ザイネーツァーベル・スタンゲッティー・アーレメ・シェンデルフンゲン……
 トットは、大きい声で、おぼえた通りに歌った。パパの友達たちは、曲が曲だけに、小さい子が、これを歌うので大笑いをした。
 ところが、これが、あとになって、とても困ることになるのだった。というのは、トットが音楽学校に入って、また、ママと同じように、「第九」のコーラスを頼《たの》まれるようになった時だった。ドイツ語で歌おうとすると、必ず、この小さい時に憶えたのが、口をついて出てしまう。ところが、これは、ママの発音が正確じゃなかったのか、または、トットが小さくて、口がまわらないので、自分流に歌ったのを、そのまま憶えてしまったのか、いずれにしても、本当の楽譜《がくふ》に書いてあるドイツ語とは、似ているようで、全く違うのだった。でも、どんなに勉強しても、いざ、このメロディーになると、
※[#歌記号、unicode303d]ザイネ・ツァーベル・ビンデル・ビーデル……に、なってしまうのだった。コーラスの友達は、みんな、
「なんとなく、似てはいるんだけど、よく聞くと、違うんだなあー」と、冷やかした。だからトットは、日本語の、
「うたえよ、同胞《はらから》、たたえよ、友よ……」
 のほうが、有難《ありがた》かった。
 でも、そんなわけで、クリスマスの晩、「歓喜の合唱」の中から、トットが生まれることに、なったのだった。
 大きくなってから、トットは、あるときパパに、どうして、クリスマスに、「第九」をやるのか、と聞いてみた。パパは、すぐ答えた。
「あの頃《ころ》、音楽家は、みんな、貧乏《びんぼう》でね。だから、大《おお》晦日《みそか》が近づくと、借金もあるし、お正月の用意もしなくちゃならないから、大変だったのね。そこで、誰《だれ》か頭のいい人が考え出したんだけど、せめて、第九をやれば、コーラスが沢山、出る。コーラスのメンバーが、最低、一枚、家族に切符《きつぷ》を売ったとしても、かなりの切符が出るわけで、そうすれば、満員になる。それで、みんな、なんとか、年が越せる、という、本当は、苦肉の策だったんだよ。いまは、もう、クリスマスというと、�第九�という風に、なっちゃったけど、はじまりは、そういう、せっぱつまったことからだったのね。だから、日本だけじゃないかな? 年末になると、第九をやる国は……」
 そして、パパは、つけ加えた。
「もちろん、今だって、本当に、いい音楽をやろうとしてる音楽家で、お金持の人は、いないけどね」
 でも、トットは、「第九」のコーラスが、シラーの詩で、本来の意味は、
「人々よ、自由になり、手をつないで、さあ、友達になろう」
 というのだ、と知ったとき、この曲で育ったことを、とても、うれしく思った。
 二つ目の「羊」は、トットが、六歳くらいで、日曜学校に通っている頃の出来ごとだった。その年のクリスマスは、「馬小屋に生まれたキリストのところに、三人の博士が、貢《みつ》ぎものを持って、訪ねてくる」あの有名な場面を芝居《しばい》にすることに、牧師さんが決めた。よく、クリスマスカードにもなっている、あのシーンだった。小編成の聖歌隊が歌う。
※[#歌記号、unicode303d]聖《きよ》し、この夜、星は光り……
 変声期をむかえた男の子もいて、時々、声が、ひっくり返るのを、のぞけば、結構きれいな聖歌隊だった。そして、この歌をバックに、馬小屋の床《ゆか》にすわった、母マリアに抱《だ》かれたキリスト。まわりを、小さな羊たちが、とりかこんでいる。頭から白い布をかぶった三人の博士が、手に手に、貢ぎものを持って入って来る……。こういう工合《ぐあい》に始まる予定だった。そして、なんと、トットは、キリストに抜擢《ばつてき》された。教会の信者の中でも、かなり年かさの、マリア役のお姉さんに抱かれて、トットは、始めのうちは、赤ん坊のキリストらしく、大人しくしていた。でも、稽古《けいこ》をしてると、抱かれているままなので、段々、たいくつしてくる。三人の博士が、一人々々、長いセリフをいってる間、じーっとしてることなんか、トットに出来るはずが、なかった。トットは、足許《あしもと》に、うずくまってる羊に、小さい声で、話しかけた。その子たちは、頭に、羊の顔を描《か》いたお面をのせて、じーっとしていた。
「ねえ!」
 トットは、ポケットから、ちり紙を一枚出してヒラヒラさせ、羊の口のところに、つき出して、いった。
「羊だから、これ、たべるのよ」
 羊の子は、ちらりと、ちり紙を見ると、もっと頭を下げてしまった。トットは、
「ねえ、どうして、たべないの?」
 といって、羊に近づこうとしたけど、母マリアが、ギューッと力を入れて抱いているので、それ以上は、羊に近づけない。仕方なく、足で羊の子をギュウギュウ押《お》してたら、とうとう、牧師さんに見つかってしまった。牧師さんは、お説教のときと同じような、ゆっくりとした、歌うような調子で、トットに、いった。
「イエスさまは、どんなときでも、だれに対しても、おやさしかったのです。イエスさまになる子供は、大人しくしていなければ、いけません。では、役を、かえてみましょう。トットちゃんは、羊になりましょう。そして、羊だった粟田《あわた》君が、今度は、イエスさまですよ。さあ、もう一度、はじめから、やってみましょう」
 トットは、羊のお面をかぶって、うずくまった。うずくまると、お尻《しり》が客席のほうをむいているわけで、顔が見えてないから、恥かしくもないし、このほうが(気に入ったわ)と、トットは思った。博士のセリフが始まった時、トットは、キリストの粟田君に、いった。
「ねえ、紙、私に、頂戴《ちようだい》? たべるんだから!」
 でも、粟田君は、本当のキリストのように、博士のほうをむいていて、トットに返事をしなかった。トットは、うずくまった恰好で、もう一度、くり返した。
「どうして、紙、出さないの? ねえ、私、たべるんだから、紙、頂戴!」
 それでも、キリストは、知らん顔をしていた。そこで、トットは、丁度、トットの目の前にある粟田君の足の裏を、くすぐった。粟田君は、くすぐったがって、ヒイヒイ、もだえた。
 そんなわけで、トットは、羊の役も、おろされてしまった。そのときは、残念とも思わなかったけど、いまになってみると、新聞記者の人に、
「初めての役は、なんでしたか?」
 と聞かれたとき、
「イエスさまです」
 と答えられたら、(随分《ずいぶん》、面白《おもしろ》かったのに)と、少し、後悔《こうかい》みたいな気持で、トットは、あの小さい教会のステージを思い出していた。
「初恋」は、もう、そのもの、ずばりの初恋だった。相手は、トットの教会の副牧師だった。小さい時から知ってはいたけど、海軍士官学校の制服で復員して来た日に、トットは、教会の入口のところで、しばらくぶりに、その人を見てしまった。別れた頃は、小学校の低学年だったトットも、今は、もう中学生になっていた。背が高く、ハンサムで、笑うと、目がやさしくなり、声が、とても、よかった。そのとき、トットは、あまり熱心な信者では、なかった。でも、その日から、トットは、すべての集会に参加した。教会というのは、日曜日の礼拝の他にも、行こうと思えば、夜の祈祷会《きとうかい》だとか、信者のお見舞《みまい》だとか、色々、集る日があった。その、どれにも、トットは出席した。副牧師は、住宅事情のせいか、教会の中の一室に住んでいた。とうとうトットは、日曜日の、子供の礼拝の日曜学校のオルガン弾きにもなってしまった。そうすれば、「どの讃美歌《さんびか》にするか」とか、少しでも副牧師と話すチャンスが出来るし、前の日に、オルガンの練習をしてれば、チラリとでも、お姿を見かけることが出来る。トットは、聖歌隊にも入った。とにかく、一週間のうち、四日間は、教会に通った。ママも、教会なら、と安心していた。学校の友達は、トットが急に熱心なクリスチャンになったのだと、驚《おどろ》いていた。
 クリスマスが来た。長老たちの話し合いで、クリスマス・キャロルをしてみよう、という事になった。それは、クリスマスの夜、聖歌隊のみんなが、信者の家の窓の下に集って、クリスマスの讃美歌を歌う、という、この教会にしては、新らしい試みだった。二曲くらい歌ったら、次の信者の家まで歩いて行って、また歌う。そして、また、次の家と、夜通し歌い続ける。この夜だけは、�どんなに遅《おそ》くなっても、心配しないで下さい�という紙が、聖歌隊のメンバーの家に配られた。小学校の高学年と中学生が中心の、十五人くらいの編成だった。そして、トットが、狂喜乱舞《きようきらんぶ》したのは、引率《いんそつ》が、副牧師、とわかった時だった。
 この夜は、特に、寒かった。まだ戦争が終って、あまり経《た》っていないので、電気も、薄暗《うすぐら》かった。でも、トットの心は、明るかった。一番最初の信者の家の窓の下に立ったときは、ビクビクする気持と、外で歌う、というワクワクした気分とが一緒になった、不思議な感じだった。
「聖し、この夜」と「もろびと、こぞりて」を、まず歌った。すると、歌ってるときは、閉まっていた窓が、歌い終ると開いて、おばあさんが、涙《なみだ》を浮《う》かべて、立っていた。
「なんて、ステキなんでしょう」
 そういうと、おばあさんは、その頃では、とても貴重な、お砂糖を少し入れたお湯の入ったお茶碗《ちやわん》を、みんなの手の中に、渡《わた》してくれた。かじかんだ手に、熱いお茶碗は、気持がよかった。トットは、とても、うれしかった。
 おばあさんが、よろこんでくださったのも、うれしかった。でも、何より、うれしかったのは、クリスマスの夜、うんと遅くまで、何時間も、副牧師と、一緒にいられる、ということだった。どんなに寒くても、どんなに歩いても、平気だった。背の高い副牧師の、後姿を見ながら、あとから、ついて行くだけで、満足だった。そして、次の信者の家の窓の下につくと、心をこめて、出来るだけ大きい声で歌った。心の中は、踊《おど》っていた。月も星も、一緒に仲間になってくれているように感じた。でも、この初恋も、このクリスマスの夜で終ってしまった。というのは、それから、ちょっとして、副牧師は、教会の信者の、トットより、はるかに大人の女の人との結婚を発表したからだった。誰かの話によると、赤ちゃんも、もう出来てるらしい、ということだった。
 トットは、それ以来、また、あまり熱心に教会には、通わなくなってしまった。
 そして、しばらくの間は、クリスマスの曲を聞いても、楽しくは、なれなかった。
 新橋の駅で、終電車を待ちながら、トットは、なつかしく、この三つの話を思い出していた。いつも、たいがい終電車で顔が合うホステスのお姉さんの姿が、今晩は、見えなかった。
(クリスマスで、忙《いそ》がしかったのかも知れない)
 ホームに、明々《あかあか》と電気をつけて、終電車が入って来た。

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