二宮金次郎《にのみやきんじろう》
テレビにしても、舞台《ぶたい》にしても、俳優にとって、一番困るのは、セリフが出て来ない、ということだった。特に、テレビのナマ放送は、終りの時間が決まっているから、時間通りに、進行しなくちゃならなかった。そんな訳で、どうしても、セリフを忘れちゃう人や、おぼえられない人は、カンニング、という事になるのだった。それにしても、学校の時は、一人の先生の目を盗《ぬす》めば良かったんだけど、テレビでは、何百万人、時には、何千万人の目を盗んで、カンニングするんだから、(凄《すご》いなあー)と、トットは、感心して、先輩《せんぱい》の俳優さんのやりかたを、見学するのだった。それにしても不思議なのは、圧倒《あつとう》的にカンニングするのは男優さんで、どういうわけか、女優さんで、カンニングをする人は、いなかった。これは、女優のほうが、記憶力《きおくりよく》がいいからか、それとも生《き》真面目《まじめ》なせいなのか、よくわからないけど、とにかく、カンニングは、男優さんの専売特許だった。
カンニングの方法で、一番多いのは、手に持っているノートや新聞、週刊誌、扇子《せんす》、などに、書きこむやりかただった。でも、世の中は、うまくいかないもので、「老眼鏡をかけないと、カンニングも読めない」と、こぼしている中年の俳優さんもいた。
それにしても、トットが出た番組で、電車の中ならともかくも、バーのせまいカウンターに、五人|並《なら》んだ男優さん全員と、カウンターの中のバーテンさんが、手に手に、カンニング用の新聞や雑誌を持ってるのを見た。誰《だれ》も飲みものを持たないで、新聞紙を握《にぎ》りしめて酔《よ》っぱらった演技をしてるのが異様で、見てるトットのほうが、酔っちゃいそうだった。モダン・タイムスで、チャップリンが、カンニングを、カフスに書いといたら、踊《おど》った瞬間《しゆんかん》に、カフスが、ポン! と飛んじゃって、大爆笑《だいばくしよう》、というのがあったけど、本当に、みんな、苦労していることが、よくわかった。また、役によっては、手に何も持てない、という時もある。そういうときは、なにか、まわりの物[#「物」に傍点]に書きこんでる人を、トットは、よく見かけた。でも、この方法は、手許《てもと》に無いだけに、失敗も多かった。
例えば、電信柱。トットも一緒《いつしよ》に出ていた刑事《けいじ》さんの役の人は、電信柱の陰《かげ》にかくれて、犯人を待ちながら、沢山《たくさん》セリフをいう設定だった。だから、この刑事さんは、セリフを電信柱に、几帳面《きちようめん》に書いた。ところが、本番前に、照明さんの都合で、電信柱を少し移動させることになり、そのために、電信柱のむきが、変った。そんな事を知らない刑事さんは、ヒタッ!! と電信柱の陰にかくれた。(なんということだ!! セリフが無い!)刑事さんは困りはてて電信柱の廻《まわ》わりを、グルグルと犬みたいに、まわった。おかげで、刑事さんは、犯人に、まる見え、という結果になってしまった。
でも、こんな風に、なにか書く物[#「物」に傍点]がある時はいいけど、いろんな都合で、全く無い場合だってある。そういう極限状態でも、カンニングを試みた人は、大勢いる。トットの見た限りでいうと、お丼《どんぶり》の中の、おうどんに書いた人、おまんじゅうに書いた人、お位牌《いはい》に書いた人、自分のはいてる運動靴《うんどうぐつ》に書いた人、すき焼きの白菜に書いた人、マージャンのパイに書いた人、相手役のワイシャツのポケットに書いた人、(この人は、自分のセリフの時、上着をひらいて見せて貰《もら》う、という約束《やくそく》を、相手役と、とりつけた心臓の強い人)そして、こういうのは、たいがい、失敗のうちに終るのだった。
伝説になっているカンニングの失敗篇《しつぱいへん》は、こういうのだった。
時代もので、長火鉢《ながひばち》の灰の中に、男優さんが、カンニング・ペーパーを埋《う》めた。むかい側に、おかみさん役の中年の女優さんが座《すわ》り、やりとりがある。男優さんの考えとしては、こうだった。そのシーンになって、長火鉢の前に座るやいなや、まず火箸《ひばし》を手に取る。それから、なんとなく灰の中から、例の紙を取り出し、いかにも、炭《すみ》の様子を見ている風をしながら、紙を見て、セリフをいう。これなら、不自然には、見えなかろう。ところが、この中年の女優さんは、男優さんを、好きじゃなかった。そこで、この女優さんは、長火鉢の前に、どん! と座ると、物もいわずに、火箸を、しっかり握ってしまった。男優さんは、狼狽《ろうばい》して、「一寸《ちよつと》、火箸、お貸しよ」とかいって引っぱるんだけど、女優さんは、にっこり笑いながら、「あら、こんなこと、お前さんに、させちゃあ、女がすたるよ」といって、絶対に、渡《わた》さない。仕方なく、男優さんは、(異常と思われても、セリフが出ないよりは、いいだろう)と、灰の中に、手をつっこんで、紙を引っぱり出す。やっと、姿を現した紙を見よう、とする間もなく、女優さんが、火箸で、パシャ! パシャ! と灰を上から、かけちゃう。とうとう、何もセリフが始まらないうちに、火箸の取りっこと、ののしり合う、という大騒《おおさわ》ぎ。以来、このシーンは、テレビ界に伝説として、残った話の一つとなった。
でも、失敗ばかりとは限らないで、立派な伝説として、後世に語りつがれているのもある。それは、左卜全《ひだりぼくぜん》さんと、お地蔵さん。左卜全さんが、お地蔵さんの、よだれかけに、カンニングを書いておいた。意地の悪い人がいるもので、本番直前に、全部、お地蔵さんを、後ろむきに並《なら》べてしまった。さて、このシーンに入って来た卜全さんは、ちらり、とお地蔵さんを見るなり、つかつかと、そばに寄り、
「村の童《わらべ》が、いたずらしおって!」
といいながら、お地蔵さんを、次々と、元《もと》のむきに直してしまった。そして、全く、何事もなかったように、よだれかけを見ながら、セリフを、おっしゃった。そばにいた人達《ひとたち》は、思わず本番中なのも忘れ、拍手《はくしゆ》をしそうになった、という。
悪役で有名な上田吉二郎さんは、お弟子《でし》さんに、長くて大きい巻物状の紙を、カメラの横に持たせるので有名だった。セリフは絵入りが多かった。あるとき、トットが見ていると、火山の噴火《ふんか》してる絵があったので、
「これ、何のセリフなんですか?」
と聞いてみたら、あの独特のダミ声で、
「え?! と、おどろく!」
とおっしゃった。たった「え?!」なら、おぼえたら良さそうなのに、あんな何色もの、クレヨンで噴火の絵を……。トットは、その優雅《ゆうが》さに、驚嘆《きようたん》したのだった。
テレビでは、マイクに声が入ってしまうので、プロンプターは通用しない。でも、舞台では、プロンプターが、どこかに、かくれていて、セリフが途切《とぎ》れると、すぐ、台本を見ながら、つけてくれる。
トットの知ってる、あらゆるカンニング、プロンプターの中で、最高と思ったのは、三木のり平さんの、二宮金次郎だった。のり平さんが主役の「あかさたな」という芸術座の芝居《しばい》のとき、あまりのセリフの量に、のり平さんは、ふつうのプロンプターでは、間に合わない、と考えた。そこで、その時のお弟子さんが、背の小さい人だったのを幸い、その人に、ちょんまげをつけさせ、衣裳《いしよう》を着せ、たきぎを背負わせ、床《とこ》の間に、二宮金次郎の置きものの恰好《かつこう》で、立っているように、いいきかせた。
なぜ、これが、いい考えか、というと、二宮金次郎は、御存知のように、本を読んでいる恰好をしている。これを台本に換《か》えればいい、と、のり平さんは考えたのだった。なるほど、のり平さんのいる座敷《ざしき》の、床の間の二宮金次郎が、プロンプターなら、こんなに、近くて、いいことはない。遠くから見ると、確かに、置きものに見えた。でも、時々、凄い、いきおいで、置きものが、ページをめくるので、これは、おかしいのじゃないか、というので、とりやめになった、ということだった。これほど滑稽《こつけい》で、いいアイデアのプロンプターを考える人は、古今東西、三木のり平さんぐらいしかいないに違《ちが》いないと、トットは、何度も思い出し笑いをしながら、感心したのだった。
その後、次々と、テレビ技術は開発されたけど、一向に、カンニング技術は、改善されなかった。アメリカでは、カメラの下や横に、セリフが電光|掲示板《けいじばん》のように、どんどん出る、と聞いた。日本のほうが俳優さんを信用してるのか、そういう機械は導入されなかった。白菜に万年筆でセリフを書いてる男優さんの姿は、哀《かな》しく、テレビが二十世紀の新らしいメディアという感覚は、このとき、トットには、全く無かった。