カラー・テレビ
とうとう、カラー・テレビが、本放送になった。トットが、一番、カラーで面白《おもしろ》い、と思ったのは、今まで、白黒のとき目立たなかった、シミチョロなんかが、はっきりしたことだった。よほどのクローズ・アップにならない以上、グレーのスカートの下から、シミーズが少し出てても、白黒の画面では、わからなかった。それが、カラーだと、くっきりと立体的になって、
「あっ、シミチョロ!」
と、わかった。まして、着物の下から、赤い長襦袢《ながじゆばん》が、チョロチョロ出てたりすると、白黒なら、なんてことなかったけど、カラーで写ったら、これは、もう、
「色っぽーい!!」
と、鮮烈《せんれつ》に、目に焼きついてしまう。色気を必要としない役では、邪魔《じやま》になることだった。なにもかもが、いい加減では、いけなくなった。
メーキャップも、本当の色に近いものを、つけるようになった。白黒では、紫色《むらさきいろ》みたいな口紅をつけさせられて、「これが白黒だと、ちょうど、普通《ふつう》の赤に見えます」といわれて、鏡を見るたびに気持が悪かったんだけど、今は、口紅も、ピンク色になった。衣裳《いしよう》も勿論《もちろん》、家のセット、景色、小道具、たべもの、もう、何から何までが、根本的に、本物じゃないと、嘘《うそ》に写るので、NHKの中は、上から下まで、大さわぎだった。
それより何より、俳優たちが困ったのは、スタジオの暑さだった。白黒の何倍もの光量を必要とするので、その暑さは、想像を絶した。トットは、生まれて初めて、植木鉢《うえきばち》の木から、水蒸気が上がっていくのを、目で見た。こういうものは、すべて本番前まで、スタジオの外に出しておいて、「本番、五分前!」くらいに入れるんだけど、入れたと同時に、サーッと、木から水蒸気が、上にあがっていって、見る見る、木が、しおれていった。花なんか、すぐ、グンニャリとなった。なにしろ、本番が始まって、十分くらい経《た》って、
「お茶でもいれましょう」
というセリフで、トットが台所に立って行って、ヤカンを手に持ったら、アルミの、手で持つところが、すっかり熱しちゃってて、
「アチチチチ」という間もなく、火傷《やけど》で、火ぶくれが出来る、という有様だった。本番での、たべものも、困ったものの一つだった。お寿司《すし》なんか、早くたべないと、マグロの赤い色が、ちょっとの間に、茶色になった。トットが迷惑《めいわく》したのは、サンドイッチだった。喫茶店《きつさてん》のシーンで、男の人とデイトをしたトットは、サンドイッチを注文した。勿論、台本の指定だった。ウェイトレスが、二人の間に、サンドイッチののったお皿《さら》を運んで来た。これも、それまで、スタジオの外で冷やしてあったものだった。運ばれても、しばらくトット達《たち》は、セリフのやりとりがあったので、サンドイッチに手をつけなかった。これが、いけなかった。トットが、いざ、サンドイッチを食べようと、手に持って、口に近づけた時、愕然《がくぜん》とした。
(わあー、サンドイッチのパンが、暑さで、すっかり乾《かわ》いちゃって、それぞれ、外側に、反《そ》っちゃってる!)
パンが、それぞれ、外側に反りかえっちゃってるサンドイッチを、口に入れるのは、至難の業《わざ》だった。かなり、大きく口を開けても、入りそうになかった。そうかといって、手で押《お》しつぶしながら、口の中に、つっこむ、という訳にも、いかなかった。第一、サンドイッチを食べるのに、そんなに、あごが、はずれるくらいに、大きく口を開けるのは、いかにも異常だ。仕方なくトットは、まるで手品師のように、食べたふりをしながら、手の中に、どんどんサンドイッチを、しまいこみ、その分、ほっぺたを空気で、ふくらませて、噛《か》んでる芝居《しばい》をして、切り抜《ぬ》けた。ところで、この時、トットのデイトの相手の人は、別に困った風もなく、反っくりかえったサンドイッチを平気で食べていた。よく、こんな大きなものが、口に入るな、と、トットは、感心して、その人の四角い顎《あご》を観察した。よくよく見ると、目は、とても、細かった。名前は渥美清《あつみきよし》、という人だった。
とにかく、この暑さは、白黒のテレビが本放送になった頃《ころ》、番組が始まった時は、たしかにあった数本の髪《かみ》の毛が、「おあとがよろしいようで」と終って気がついたら、焼け切れてて、全く無かった、という、落語家のかたの伝説には、かなわないけど、苦労の一つだった。
そして、汗《あせ》。トットは、ほとんど汗をかかない体質なので、平気だったけど、フランキー堺《さかい》さんの場合、本番がスタートして、「みなさん今晩は!」と、カメラにむかって歩いていっただけで、もう、遠心分離器《えんしんぶんりき》みたいに、汗が飛び散った。汗かきの越路《こしじ》吹雪《ふぶき》さんは、ほんの一寸《ちよつと》の芝居の間に、ショートカットの髪の毛が、シャワーから出たみたいに、ビショビショになった。誰《だれ》も彼《かれ》もが、セリフを言いながら汗をタラタラと、たらしていた。それでも、夏のストーリーなら、いいけど、冬の話の時は、不自然だった。まして、オーバーなんか着てる人は、よその家に上って、オーバーをぬぐと、湯気がたった。カメラさんは、みんな、タオルを首にまいて、汗の流れを止めていた。一回リハーサルが終るごとに、みんなスタジオの外に走って出て、ハアハアと息をした。夏でも冬でも、スタジオの外は極楽のように、感じた。砂漠《さばく》で、日陰《ひかげ》を見つけたら、きっと、こんなだろう、と、みんなで話しあった。
スタジオでは、そんなでも、テレビは、カラーになって、ますます普及《ふきゆう》し、番組も増え、トットはだんだんと、忙《いそ》がしくなった。