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クライマーズ・ハイ16
日期:2018-10-19 13:34  点击:388
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 翌八月十五日朝──。
 北関の編集局長室には、粕谷局長以下、追村次長、等々力社会部長、亀嶋整理部長ら局内の主だった幹部が顔を揃えていた。
 入室した悠木に声を掛ける者はいなかった。日頃いい関係を保っていた亀嶋でさえ顔を強張らせた。日航全権デスクの任を解く。等々力が口を開けばそんな話の展開になるかもしれないと悠木は内心覚悟していたし、自分のほうから返上を申し出ることも頭の隅で考えていた。
 が、会議の関心は別のところにあった。
「さて、今日の紙面建てだ。どうするのがベターか知恵を出し合ってくれ」
 粕谷局長はそう切り出し、皆の顔を見回した。
 確かに知恵が必要だった。今日制作する紙面には三つの大きな柱を取り込まねばならなかった。一つには、発生四日目を迎えた日航ジャンボ機墜落事故の続報。そして、戦後四十年の節目となる終戦記念日行事。さらには、中曾根首相の靖国神社公式参拝──。
 厄介なのはその靖国公式参拝だ。「郷土宰相」の英断とも蛮行ともつかぬ行動を紙面的にどう扱うか、地元紙として頭の痛いところだった。墜落事故発生以来、すっかり影の薄かった守屋《もりや》政治部長とデスクの岸が上席に着座しているのはそのためだ。
「やはり、今日は中曾根でアタマを張るべきでしょう」
 機先を制するように守屋が言った。
 その口ぶりに「政治部臭」を嗅ぎ取ったのだろう、等々力が社会部長の顔で守屋を見据えた。
「日航をトップから外すってことか? まだ落ちて四日なんだぞ」
「取りあえず今日は肩に寄せろ。『材木屋のやっちゃん』が、歴代首相として戦後初の公式参拝をやる。ウチとすりゃあ、これをトップにしないわけにいかんだろう」
「お祭り感覚でものを言うな」
「お祭り? どういう意味だ」
 同期入社の二人は睨み合った。
「首相になって初のお国入り、ってネタとは次元が違うってことだ。公式参拝を持ち上げるのはヤバい。野党や宗教団体だけじゃない、中国や韓国だって騒ぐ」
「それがどうした。日本国内のことを外にとやかく言われる筋合いはない。一国の代表が英霊に頭を下げてどこが悪いよ」
「政教分離はどうなる? 参拝方式を変えたからって憲法違反の疑いは否めんだろうが」
「そういうこともひっくるめてネタがでかいと言ってるんだ俺は。日航と比べても遜色《そんしよく》ないはずだ」
「五百二十人死んでるんだぞ」
「前橋大空襲じゃ何人死んだよ?」
「下らんことを言うな」
「等々力、お前のほうがお祭り感覚なんじゃないのか」
「どういうことだ?」
「事故の大きさに舞い上がってるってことだ。だがな、世界最大の航空機事故だとか言ったって、所詮はもらい事故だ。日航は純然たる県内ネタじゃないってことを忘れるな」
 悠木は守屋の顔を見た。
 所詮はもらい事故。いずれ誰かが言いだすと思っていたが、よもや社会部と政治部の縄張り争いの最中に転がり出るとは思ってもみなかった。
 悠木は視線を手元に戻した。守屋に対する反発は感じていたが、それだけだった。日航機事故が軽んじられた。踏みにじられた。そうした身内意識に通ずるような感情は湧いてこなかった。
 いずれにしても、今日一面トップを中曾根に譲れば、日航機事故に対する局内の熱は急速に冷めるだろうと悠木は思った。事故の大きさに舞い上がっている。守屋の台詞は大部屋の空気を正確に言い当てていたし、「お祭り感覚」も決して的外れな指摘ではなかった。局員の誰もが、「もらい事故」から敢《あ》えて目を逸《そ》らし、「世界最大」を自己発奮の材料として睡眠時間を削ってきたようなところが確かにあった。
 守屋と等々力の応酬はじきにやんだ。
 互いに牽制しただけだ。大手紙とは違って、組織の小さい北関に政治部対社会部といった根深い対立構図はない。悠木のように生粋の社会部記者というのは稀な存在で、局の幹部に座る者は在籍期間の差こそあれ両方の部を踏んできているからだ。
 北関で対立と呼べるのは、編集対営業部門。社長派対専務派。あとは、「福中」の色分けを巡る幹部同士の軋轢《あつれき》か。普段は潜在化しているが、誰が福田派で誰が中曾根派かというレッテルは、社内で揉め事が起こった際、問題をより拗《こじ》らせる原因として頭を擡《もた》げることがままある。
 現在の編集局は、粕谷が就任早々に「等距離外交」を表明したこともあって、政治色は希薄になっている。が、社内問題はともかく、同じ衆院群馬三区で元首相と現首相が鬩《せめ》ぎ合っている現実は、日々の新聞作りに微妙な影響を及ぼすものだ。ましてや、「角福戦争」のただなかにあった十三年前の自民党総裁選で、中曾根が田中角栄の支持に回って福田を裏切って以来、「福中」に関する記事には慎重の上にも慎重を重ねての姿勢を余儀なくされている。たったいま議題に上っている公式参拝の取り扱いにしても、「福中」問題抜きに議論できる話でないことは出席者全員がわかっていた。
 粕谷が溜め息で一同を注目させた。
「守屋、仮に中曾根で一面トップを張るとして、どうやって作る? 内容が内容だ、等々力が言ったように、ただ持ち上げるってわけにはいかんだろう」
「もちろん、批判的な野党談話は載せます」
「だったら、叩くためにわざわざトップにしたようにとられんか? 朝日や毎日とスタンスが同じだと中曾根サイドに思われるぞ」
「それはそうですが」
 守屋は少し考え、続けた。
「全体の印象としては、中曾根がでかいことをやったという感じにはなるでしょう。見出しを配慮すれば問題はないと思いますが」
 粕谷は腕組みをした。
「トップでやった場合、福田サイドはどう受け止める?」
「それはまあ、無批判、と感じればへそを曲げるかもしれませんね」
「そいつはかなわんな……」
 北関は「角福戦争」で苦い経験をしている。当時、編集局長だった白河社長の指示で中曾根批判を避けたところ、群馬三区内の市町村で軒並み部数が減ったのだ。それだけではない。同じ年の十二月に行われた総選挙で、福田は十七万八千二百八十一票というかつてない大量得票で中曾根に圧勝した。その数字は、当時の北関の発行部数に近かった。「福田党」を怒らせると怖い。北関の幹部はまざまざと思い知らされたのだ。
 粕谷は追村次長に顔を向けた。
「どう思う」
「まあ、トップでいいんじゃないかと思いますけどね」
 追村に、いつもの歯切れの良さはなかった。自衛隊嫌いなのだから本音はアンチ中曾根に決まっているが、白河社長が親中曾根なのでジレンマに陥っている。追村を「隠れ福田」と踏んで質問した粕谷にしてみれば、肩透かしを食わされた恰好だった。
 粕谷はまた溜め息をつき、独り言のように言った。
「結局、飯倉《いいくら》さんに聞かんとならんか……」
 部屋に微かな緊張が走った。
 飯倉専務は一昨年まで編集担当重役を兼務していた。任を解かれたのは、県内の政財界に働き掛け、白河社長と土田副社長の追い落としを画策したと疑われたからだった。真偽のほどはわからないが、噂はその後も実《まこと》しやかに流れている。今度は内側を固めようとしている。社内の営業部門をまとめ上げて不穏な空気を醸成し、虎視眈々、社長の座を狙っているという。半年前、白河が倒れ、車椅子生活になってからというもの、その噂はさらに強まり、社内事情に疎い悠木の耳にも繰り返し吹き込まれていた。
 見た目の紳士然とした姿から「インテリやくざ」と綽名《あだな》されるその飯倉専務が、北関で最も福田に近い存在と言われている。
 粕谷は「調停屋」そのものの顔を守屋に向けた。
「飯倉さんは今回の参拝について何も言ってきてないか」
「ええ。電話一本ないです」
 編集担当を外されてからも、飯倉はちょくちょく大部屋に電話を寄越しては「福田の見方」や「福田の反応」を伝えてきていた。揺さぶり。腹いせ。逆情報収集。局幹部の受け止め方は様々だったが、「飯倉情報」によって福田サイドの考えを知らされることも多かった。それは福田番の記者が上げてくる「秘書情報」よりも数段深く、福田の本音に近かった。
「なぜ今回に限って言ってこない?」
「わざと静観してるんでしょう」
 答えたのは追村だった。飯倉の名を聞かされて目が覚めたのだろう、目元で癇癪玉を破裂させている。
「静観? なぜだ?」
 粕谷が訊くと、追村はまくしたてた。
「後でどうとでも使えるネタだからですよ。こっちがトップで打てば、中曾根を持ち上げたと文句が言える。肩に落としたら落としたで、今度は中曾根を庇ってそうしたといちゃもんをつけられる。専務は後出しジャンケンをくれてくるつもりなんですよ。まさしくインテリやくざの手口だ」
 粕谷は憂鬱そうな顔で頷いた。頭には来月の局長会議の光景が浮かんでいるに違いなかった。
「極力ツケ込まれないようにしたい。追村、お前の結論を言え」
「やはりトップは外せんでしょう。守屋が言ったように野党談話を載せ、解説もプラスして毒消しをするってことです」
「解説? 共同を使うのか」
「共同の解説はきつ過ぎます。青木にぬるいのを書かせればいい」
「いや、どっちにしても解説は危険だろう。書いたことすべてが社の考えだと思われちまう。主観が混じるものは載せんほうがいい」
「まあ、確かにそうですが……」
 言い掛けたまま追村は思案顔になった。
 全員が黙した。これぞという案は出てきそうもなかった。飯倉専務の思惑が読めないことが、方針決定の判断を鈍らせているとも言えた。
 粕谷はソファの背もたれに体を預け、部屋全体を見渡した。
「上毛はどう作ってくると思う?」
「このまま日航で押してくるんじゃないでしょうか」
 答えたのは亀嶋整理部長だった。
 粕谷は意外そうな顔を亀嶋に向けた。
「なぜそう思う?」
「ウチの大部屋を見てればそう思いますよ。みんな日航に夢中になってますからね。ここで今日は中曾根をやれって言っても、ちょっと盛り上がらんでしょう」
 亀嶋の発言は議論の本質を無視したものに違いなかったが、それだけに粕谷の頭にすんなり入ったようだった。
「それも一理あるな……」
「でしょう? 新聞は生き物ですからね。流れってやつを大切にしないと」
 粕谷は一つ頷き、悠木を見た。
「お前はどう思う?」
 悠木は無言で粕谷を見つめ返した。
 話を振られるのは予想していたが、回答は用意していなかった。昨日までならば、迷うことなく「日航で行くべし」と言ったろう。だが、後輩の原稿を潰されたうえ屈伏を余儀なくされたゆうべの一件は、悠木の胸に無力感を植え付け、それは時間の経過とともに広がって日航機事故に対する意欲の大半を侵食していた。追村や等々力の冷やかな視線が、おいそれと意見を述べられない空気を作ってもいた。自分は既に日航全権デスクとしての信任を失っている。悠木はそう自覚していた。
「どうした? お前の意見を聞いてるんだ」
 粕谷の顔と声には期待感が覗いていた。悠木の返答次第では亀嶋の案に乗ってもいい。そんな他人任せの腹が読み取れた。
 悠木は追い詰められた気持ちになった。こう言うしかあるまいと思い、言った。
「どっちがトップでも構わないと思います」
 粕谷の表情はたちまち失望に変わった。
 結論が出ぬまま、粕谷の何度目かの溜め息とともに会議の終了が告げられた。
「夕方、もう一度集まってくれ。俺は飯倉さんと会ってくる」

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