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なぜぼくはここにいるのか09
日期:2018-10-25 23:31  点击:247
   色即是空
 
 少し前までのぼくの美の観念といえば、自然の産物より人工的なものの中にこそ本当の美があると考えていました。だから林立する大都会のビルディングや盛場の、どぎつい原色のネオンや派手な流行のファッションや化粧等に、ぼくはいつも今日的な美を感じていたのです。こうした今日的な美は、どこか頽廃と快楽の匂いを漂わせていて、とても淋しくて悲しくて、哀れな感じでいいなあと思っていたのです。
 つまりこうした負の美というか、ネガティヴな美、もう少し言い方を替えると人間の欲望が作った美とでもいうのでしょうか。秩序とか調和を乱した状態を、ぼくは本気で美しいと考えていたのです。だから移りゆく春夏秋冬の自然を美しいという人たちがいても、なかなか理解できなかったのです。ところがいつの間にか、年を取始めたせいもあるのか、最近では自然ほど美しいものはない、と思うようになりました。
 このように考えるようになった原因は色々あると思いますが、その中でも一番大きな理由は、自分自身をもっともっと深く知りたいと思い始めてからです。ぼくには多くの悩みや苦しみがありますが、こうしたものの大部分がぼく自身のエゴイスティックな欲望から生じたものばかりだったのです。あれが欲しい、これが欲しいという欲望にまで発展してしまったのです。
 こうして生れた死の恐怖が、いつの間にか人工的な物質を崇拝する考えになり、物質こそこの世界で最も尊く、美しいものであるという考えにまでなってしまったのです。だから無形の神や仏などは毛頭信じられなかったのです。目に見え、手で触れる五感のみに頼って、人間の存在を超越したような大きな存在などは非現実的なものとして、考えたくなかったのです。
 しかし、自分自身の想念観察を始めるようになってからというものは、夜空に光輝する星を眺めながら、宇宙のこと、地球のこと、この太陽系のこと、人類の発生のこと、人間の小さな細胞のことなど、ミクロからマクロに至るこの大宇宙と人間の関係について、さまざまなことを考えるようになりました。
 このようなことを考始めると、自分の身体やその機能がとても不思議に思えて仕方なくなり、小さな虫けらまでが生きていることがとても面白く見え始めたのです。勿論、草や木までが今までとまったく違う姿でぼくの目に映るようになり、こうした自然を見ていると、とても楽しくなって何とも平和な気分になってくるのです。もし花や虫に語りかければ、相手が答えてくれるのではないかとさえ思えるような時があります。
 そして耳を澄ませば、地球が自転している音が聞えるのではないかとさえ思われることがあります。ぼくはしばしばヨーガの方法による瞑想をしますが、心臓に心を集中すると心臓の鼓動が聞えます。普段はまったく聞えないこうした自分の内部の音が聞えるということに、ぼくは最初大変驚きました。自分を知りたいという気持が、いつの間にか今まで見失っていたような小さな事柄に、目や耳が敏感になろうとしているのかも知れません。
 われわれは、物質社会の中で生活している以上、これらを否定して生きていくことは今や非常に困難になっています。物質文明は自然を否定することによって存在しているようなものです。しかし、人間自身が自然の産物であり、一部です。人間を創造したのは人間でなく、この大宇宙を創造した創造主の作品[#「作品」に傍点]です。だからわれわれは、創造主の芸術作品の一部なのです。われわれが美しいものを創るためには、この創造主の意識に焦点を合せて創作するのが最も正しいあり方のような気がします。ところが、いつの間にか創造主の意志に反した方法で美を創ろうとしているのではないでしょうか。
 顔にどぎつい化粧をすることも、ジェット機が空を飛ぶのもすべて自然の流れに逆らった人間のエゴが生んだものです。化粧もそうですが病気もそうです。人間の内面にそのすべての原因があるのではないでしょうか。美しくなるためには、その人の心が美しくなれば、それは自然に外に現れるはずです。人間が自然の一部であるということを強く認識することが、真の美を創造する唯一の方法ではないかと思います。

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