わが魂の兄弟=カルロス・サンタナ
サンタナとの出逢いは想いもかけないことだった。しかし、彼と逢い、彼と語るうちに、この出逢いは単なる偶然ではなく、運命的な必然性に導かれたものに違いないと信じるようになった。
この意味は、サンタナとマクラフリンの関係のように、ぼくとサンタナが「魂の兄弟」となり得ることを予測し、暗示していたような気がする。
「求めよ、さらば与えられん」——これは聖書の有名な言葉だが、ぼくはいつしかこの「魂の兄弟」を無意識の世界に求め続けていたのかも知れない。だからぼくとサンタナとの出逢いは、まるで当然のように、なんの不自然さもなく訪れた。それは宇宙的なイベントでもあったような気がする。
サンタナが、マクラフリンと出逢い、そしてスリ・チンモイ師のもとに到達したことは彼にとって運命的な事件でもあった。ぼくはこのことを遠くから、非常に羨ましく、しかし輝かしい出来事として眺めることができた。
サンタナが至高なるものを求め続けていたとき、ぼくも彼と同じように、それを求めていた。しかしぼくの求めている道のはるか前方をサンタナが歩んでいたとは夢にも知らなかった。だから、CBSソニーのサンタナ担当のディレクターの磯田秀人氏が私たち二人を結びつけようとしたとき、これは氏の何か誤算ではあるまいか、と一瞬疑ったほどである。
この頃ぼくの作品は現実的なものから、超自然的(シュール・レアリズムの意味ではない)なものの方向へとモチーフが変りつつあるときで、それはぼく自身だけが知る問題であり、ぼくの今後取るべき道はこの広大無辺な「魂」の宇宙界ともいうべき領域にぼく自身を導き、そして真の「私」を発見するより他に生きる方法がないとまで考えていた。そんな時期に磯田氏がひょいと現れたのだ。
磯田氏が、ぼくの変りようを予感したのか、それともただ単に面白がったのかは知るすべもないが、氏の直感は少なくともぼくの波動を受信し、そして今回の宇宙的イベントを演出してくれた。
そしてぼくがサンタナを求めたと同じように彼もまたぼくを求めてくれたことが何よりも嬉しく、このことは神に感謝しなければならないような気がする。
サンタナが来日し、彼の転生したばかりの新生音楽を聴いたとき、ぼくは磯田氏の直感が正しかったことを確認した。ぼくが求めようとしているものを、サンタナはすでに手に入れていた驚き、そして感動はぼくをますます今回の共作(サンタナの音楽とぼくのデザイン)を意欲的にしてくれたし、この仕事の制作中、ぼくはズーッとサンタナを思念し続けていたし、また彼からの送信も感じられた。
サンタナがマクラフリンを通じて、スリ・チンモイという導師《グル》に逢ったように、ぼくもこの「サンタナ・ロータス」のジャケットを通じて、ぼくを導いてくれるグルにいずれ出逢うような予感がするだけに、そのことを思念し続けていくつもりである。そういう意味でもこのジャケットデザインはぼくにとって至高なるものへの瞑想であり、作品がぼくを導いてくれることを信じている。
カルロスとの再会[#「カルロスとの再会」はゴシック体]
カルロス・サンタナと一緒に鎌倉に遊びにいったのが彼との再会だった。再会といっても前回の来日と合せて通算二回目でしかないのだが。しかし、カルロスとぼくとはこの日が二回目の出逢いとはどうしても思われないほど二人は親密だった。英語が得意でないぼくが多くを語らずに親密というのは変な話だが、お互の間には他人に見えないバイブレーションが響合っていた。それはお互の作品が本人同士に代ってまるで魂が肉体からテレポーテーションしたかのようにお互を知りつくしていた。だから二人はお互の心のさぐり合いをする必要もなく、時々顔を見合せてニコッと笑い合っているだけで充分だった。
しかしカルロスはぼくが求める至高なる者の実践者であり、彼はぼくよりはるか高いところに彼の魂を進化させていた。そのことは彼の表情や行為そのものにことごとく表れており、ぼくの目からは純粋無垢なる子供のように見えた。人前で平気で神に祈りを捧げ、感涙にむせぶ姿は、よほど魂が純化されていなければそうたやすく出来るものではないはずだ。ぼくはもしかすると彼を彼の存在以上に買いかぶっているかも知れない。しかし少なくともカルロスはぼくより遥かに自由な存在である。カルロスは自《おのず》から解放されているように見える。彼自身は恐らくぼくがこのようにいうと否定するだろう。しかし神の発見には限界がないはずだ。彼は彼なりに真の自由を求め苦しんでいるのかも知れない。自分より相手が偉大な存在だと知れば、彼は手を合せて地面にひれふしてしまう。そして随喜の涙を流すのだ。こんなカルロスの姿を目の辺りにしたぼくは、自分自身が恥ずかしく思えた。
カルロスが東京を発つ寸前、人を介してぼくに次のことを告げた。自分には二人の魂の兄弟がいるが一人はジョン・マクラフリン、もう一人はヨコオだといった。そしてどこにいてもいつでもぼくのことを考えているといった。ぼくはこのことを聞いた時、一瞬軽い眩暈のような感覚に襲われた。まるでぼくは神から選ばれた者のような気がしておそれ多いと思った。そしてまたカルロスには悪いが、カルロスはぼくを買いかぶっていることに気づいた。
ぼくの描く世界はカルロスの世界かも知れないが、ぼく自身にとってはぼくの作品の世界はぼくの願望に過ぎず、ぼく自身の今を表しているわけではない。聖なるものを作品のテーマにすることによりぼくは少しでも浄化されるのではあるまいか、あるいはこの作品のテーマにぼく自身が導かれるのではないだろうかというささやかな夢を追っているのかも知れない。ぼくは自分の作品の影になりたいと同時に、カルロスの影になってどこまでもついて行きたい。人間がこの世に生れた目的は魂の向上を求める以外に何ひとつ素晴しいものはないと思うからだ。とにかくこの点でカルロスはぼくの前を歩いている尊敬すべき魂の兄弟の一人である。
ジャケットデザイン[#「ジャケットデザイン」はゴシック体]
昨年の暮突然サンタナよりニューアルバムのジャケットデザインの依頼を受けた。二月早々インドに旅行の計画を立てているだけに全く時間がない。そこで正月休みを返上してホテルに仕事を持込み、デザインの案を練ることにした。しかしサンタナからは新曲のテープも曲目も届かない。正月も明け、日増しにいらいらしてきた。ただニューアルバムのイメージとしてサンタナから伝えられたことは、彼等のファーストアルバムの音楽に帰り、パワフルで、ダンサフルで、ソウルフルにしてほしい、そしてアフリカの印象を強調、また宗教色は今回は音楽の中には表現しないということだった。
テープが手元にないので、ぼくは日に何回ともなくファーストアルバムを聴き、ニューアルバムの音楽を想像した。
アルバムのタイトルは�MOKSHA�(自由とか革命を意味するヒンズー語)に決定していたのでこのイメージを視覚化することで一月十日以後本格的に制作に入った。ところが音がないためデザインを進行していても不安でたまらない。ぼくのインド旅行は迫る。決定的なアイデアが出ない、などでついに不眠症になってしまった。
それでも何とか完成し、製版所に原稿を入稿する段階になって突如アルバムのタイトルが一部�MOKSHA�から�AMIGOS�(友愛という意味のラテン語)に変更の電話が入り、製版所でデザインを修正しなければならない羽目に落入ってしまった。
しかし発売日が決定している以上、何としてもこの日入稿しなければならなかった。曲目が決定したのもこの日だった。ただわれながら驚いたことにはアルバムデザインの図柄の中に曲目の全てが絵として表現されていたことである。このことはまるでサンタナとのテレパシックな結果ではあるまいかとソニーのスタッフである佐々木憲司、田島照久の両氏と驚くと同時に大喜びした。
とにかく今回のアルバムへのサンタナの熱の入れ方は大変なもので、アルバムデザインの進行をいちいち国際電話で、確認してくるほどであった。
最後にぼくは、アルバムデザインが中身の音を少しでも表現してくれていることをただただ祈願するだけである。
アミーゴ[#「アミーゴ」はゴシック体]
�AMIGOS�のデザインを製版所に入稿した頃、サンタナはオーストラリアのコンサート・ツアーの途にあった。全ての仕事がぼくの手から離れ、ぼくはまるで魂が抜けたように放心状態だった。ただ曲の内容とデザインがマッチしているかどうかという心配と不安だけは心のどこかに重っ苦しく沈澱していた。
こんな矢先である。突然サンタナのコンサート・ツアーの地メルボルンにすぐ飛んでくれという話がふって湧くように起った。プロモーションを兼ねたサンタナとのメルボルン現地での対談を週刊プレイボーイ誌で企画し、担当の高橋憲一郎氏と一緒に羽田を発つことになったのだ。何しろあまりに急な話だから、何の準備もしていなかったが、幸い仕事の手も空いていたので、休暇を兼ねてこの仕事を引受けることにした。
サンタナのマネージャーのレイ・エツラーとソニーの大西泰輔氏の間でぼくがメルボルンに行くことをカルロスに内証にして劇的な出逢いのイベントを作りたいから、その積りで来るようにと計画された。
メルボルンのサウス・サーザンホテルに到着した時はカルロスは外出していたが、マネージャーや他のメンバーには逢うことができた。当日はコンサートのある日で、会場に向うバスがホテルの前に着き、メンバーは次々とバスに乗込んだ。ぼくと高橋氏、それから現地のカメラマンと通訳、そしてマネージャーのレイが、バスの一番後部に座り、ぼくは右端の窓際に席を取った。
やがて白いベレーに白いスーツのカルロスがバスに乗込んできた。最後列に見知らぬ者が乗っているのに気づき彼はわれわれのところにやって来て、挨拶を交した。ところが、彼の視線はぼくを捉えなかったので、ぼくのいることには気がつかず、しかもぼくの真ん前の席に座った。ぼくを初め、他の連中、ことにこの悪戯を計画したマネージャーのレイが一番喜んで、カルロスがぼくを発見する決定的瞬間を、今か今かと待ちかまえている。カルロスの真後にぼくがいるために彼からはぼくの存在が死角になっており、ぼくのことを一向に気づかない。こうなってくると驚かそうとするぼくの方が次第に怖くなってきて全身汗ばんで来た。
もうこれ以上待てない! という時、ぼくはカルロスのベレー帽のつまみを後からひょいと持上げた。いきなりこんな悪戯をされたので、カルロスは驚いてぼくの方をふり向いた。悲鳴とも感嘆の言葉ともつかない野獣のような声をはり上げて、カルロスは自分の座席を乗越えて、ぼくを頭から抱きしめた。そして、「信じられないことだ!」と何度もいった。「レイがバスの中に遅いクリスマス・プレゼントがあるといったが君のことだ!」といって再び抱きついて来た。
演奏中にカルロスはステージの後にぼくを座らせ、ぼくの存在を確認しながら演奏したいといい出し、ぼくはついにステージに上らなければならなくなった。彼はぼくのことを|魂の兄《ソール・ブラザー》と呼び、観客に紹介する時もこのように呼んでくれた。渋谷公会堂のコンサートのステージでぼくはサンタナとその夫人アルミラ、そしてサンタナ・グループの面々から「われわれの魂の兄弟」と刻《ほ》った巨大なトロフィーを贈呈された。サンタナのぼくに対する気持をどのように表現していいかわからなかったので、このような形をとったと、彼はいっていたが、感謝したいのはぼくの方である。
彼はぼくを「ロータスの伝説」と�AMIGOS�の二枚のアルバムデザインの仕事を通して、世界中の何百万という音楽ファンに紹介してくれた。ぼくにとってこれ以上嬉しいことはないのである。今回のサンタナの長い日本滞在でぼくは彼と一層親交を深めることができた。彼と一緒にいると、バイブレーションが高められ常に精神が高揚した気分になる。
彼を総持寺の禅堂に案内して、坐禅をすすめた時、彼はえらく感動して、もし自分が音楽家でなければ僧侶になりたかったというほどの熱心な求道者で、本物の宗教家より、彼の方がはるかに本物であると思った。素顔の彼は禁欲的で常に瞑想し非常に物静かで透明で、純粋という二字がピッタリの人物である。彼のあの強烈なロックは、こうした彼の真の宗教者としての思惟と生活から生れた結果であり、彼の現象面を見ているだけでは彼の本質はあまりにも深いところに根ざしているために一般には理解できない部分がある。
カルロスはある意味で人一倍欲が強い。道を求める欲が強いのである。だから少々のことでは満足しない。仏陀が求めキリストが歩んだと同じような道を求めようとしているのかも知れない。それだけに苦しい。ぼくは大変な友人を持ってしまった。