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なぜぼくはここにいるのか23
日期:2018-10-26 22:36  点击:323
   ぼくの神様
 
 ぼくが生れた時、両親はすでに五十歳近い初老だった。おまけにぼくは一人っ子だった。だから、溺愛された。そしていつも両親の目のとどく範囲でぼくは行動しなければならなかった。時たまそんな両親の目を盗んで、ほんの少し遠方に出かけることもあったが、そんな時など留守宅[#「留守宅」に傍点]の両親はまるで家に火がついた時のように大騒ぎを起していた。夕方になると必ず、父か母が、まるで犬か猫の子を呼ぶように、ぼくの名を呼びながら、迎えにきた。ぼくの名を、両親は死ぬまで、一度だって呼びつけにしなかった。両親はぼくの名は、「神様がつけてくださった」といつも、そう教えてくれた。だから絶対に呼びつけにしてはならないといっていた。このことを聞かされるとぼくはいつも気恥しかったが、また神様に守られているという安心感に心強かった。
 ぼくが国民学校一年生に入学したその夏、近所のおじさんに大きな鮒《ふな》を貰ったのが、嬉しく、その鮒を友達に見て貰おうと、駆けていく途中、小川に足をすべらし、岩の角で左足の膝を裂いてしまった。それは骨まで達する大怪我だった。未だにその時の傷は蝶々の形をして大きく残っている。ところがこんな大きな怪我にもかかわらず、ぼくが、医者にもかからず、ただ両親が信じ切っている「神様の御油《おあぶら》」というサイダーの瓶の底にくっついたわずかな油で治ったのである。両親は毎日毎日、ぼくの膝小僧を、抱きかかえながら、傷口に息を吹きかけ、神様に祈願してくれた。こうした両親の必死の看病も嬉しかったが、何より、ぼくには「神様」という言葉が一番強く、勇気づけになった。今でも、ぼくは薬を使用しないで治ったこの怪我を本当に、奇蹟のように信じこんでいる。
 あの時から約三十年経った今、ぼくはあの時のように素直に神を信じこむことができるだろうか。信じることの強さと、両親の愛によってぼくの足は治ったのだが、今ぼくにこれほど信じ切る対象があるのだろうか。こんな自分自身に対する不信感から、ぼくは最近、再びあの頃の両親の愛と、神を信じた感覚をもういちど自分のものにしたいと強く念じるようになってきた。
 ぼくと両親とのつきあい[#「つきあい」に傍点]は、わずか二十数年しかなかった。ぼくが海のものとも、山のものともつかない状態の時、両親は逝《い》ってしまった。両親の死を境にぼくの幼年時代は終った。両親の死はぼくの中の神の死でもあった。
 ぼくは毎晩のように夢を見る。そしてその夢に出てくる場所は、全て、両親と共にあった故郷の情景ばかりである。こうした夢の中にだけぼくの幼年時代は生きているのかも知れない。
 ぼくの幼年時代の想い出は、全て両親と共にあったような気がする。ぼくのユートピアはもう一度両親と一緒に暮すことである。この永遠に不可能なユートピアを求めて、ぼくは絵を描かなければならない。ぼくの全ての絵はこうした幼年期への郷愁なのかも知れない。ぼくの幼年期は本当に素晴しかった。ぼくは絶対大人になりたくない。いつも両親に甘えられる子供の存在でいたい。
 それにしても両親は一体今頃どこにいるのだろう。

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