終末観
水俣湾の水銀汚染に端を発し、PCBや光化学スモッグによる公害問題がにわかに新聞やテレビのトップニュースになり、神経過敏な文化人の間に一大終末論が、終末を論じない人間はまるで生きる資格のない人間かなにかのように語られ、当人以外の人間が全て加害者扱いにされた記憶はまだ新しい。
そして、そこへ今度は「日本沈没」と「ノストラダムスの大予言」の出現で、いやがうえにも己の終末をつきつけられるような状況に追込まれ、ちょっとした精神的なパニックが起り、藁をもつかむ気持から、各種宗教書や、オカルト書に、救いを求める人種が増大し、今や日本も西洋並にやっと本気で終末を考えるようになったようだ。
もともと、人間は生れながらに誰でも終末観が本能的に潜在しており、日夜この本能に立向っているわけだが、なかなかこの実感が死の瞬間まで乏しいようだ。
光化学スモッグにしてもPCBにしても、よほどの自覚症状がない限り、公害に対する恐怖が、終末意識となって襲ってこない。
ところが「日本沈没」とかノストラダムスになると、これは半ば空想の世界であるが、逆にイマジネイティブに恐怖し、まるで現実意識のようにとらえてしまうのだ。
「日本沈没」にしてもノストラダムスにしてもかなり現実的なデータが用意されているので、普通の空想の物語とはこの場合少し違うが、現実に起りつつある公害の危険より恐怖心が大きく働いているようだ。
というのも、いくら公害だと叫んでもわれわれの日常生活は一見平和であるため、そういった現実感が非常に薄いのである。
それともうひとつ、毎日のように世界中に各種の死が報道され、映画、テレビ、小説までが死を商品化しているため、逆に死、本来の明確なイメージがぼけてしまっているのではなかろうか。
ところが「日本沈没」とかノストラダムスになると、日本全土、あるいは地球全域にわたったスーパースペクタクルズな死だけに、われわれは逃げ場所のないことに気づき、愕然としてしまうのだ。
現実に起っている日常的な死については、まだまだ逃げ場所があるような気がし、決して最終的なピリオドが打たれているわけではない。
かりにノストラダムスのように一九九九年七月とピリオドを打たれた場合、かりにその日まで生きのびられず、他の病気か事故かで死ぬかも知れないのに、とりあえずこうした日常的な死は計算に入れず、国家とか人類とかの組織化された死を己の死と考えているところが、すごくこっけいだ。このことはもちろん、ぼく自身にもあてはまることで、おそらくぼくは己の永遠の生を考えているからこのような地球単位の死に恐怖するのかも知れない。
流行の終末論にしてもおかしなもんだ。
公害が原因で突如終末論が栄えたわけだが、このように終末が思想になってくると、これは学問の範疇で、観念的で、ちっとも実感がともなわないから、なかなか大衆はついていかない。
あの[#「あの」に傍点]終末論が挫折したのもおそらく、このへんが原因になっているのかも知れない。
ぼくが考えるには終末観というのは、こうした社会的な風潮の中でとらえた共同体験ではなく、もっと個人的な歴史の中での体験でなければ、それは決して実感をともなわないし、まして他人の死を己の死と同様に考えることは不可能であり、このようなところからは決して真の終末論など生れようはずがない。
終末感は、人間が生に執着した時生れるものである。
だから、現代社会のように欲望が頂点に達した時、社会そのものが終末を迎えるのは当然のことで、この社会の一員である国民も、共にこの裁きを受けなければならない。
いいかたをかえれば、個々人の欲望が日本を沈没させ、人類を滅亡させることになるのだから、他人を責めてもはじまらない。これは個々のカルマの結果であり、宇宙の法則でもある。
このカルマの法則がわかれば、決して死を恐れることがないはずだが、つい目前の欲望の虜になって、その結果が現れた時、大あわてしなければならない。だから欲望の強い人間ほど終末観を恐れる。
こうした終末観をのりこえるための一つの手段としていまオカルトが大流行である。この現象はアメリカではもう十年も前から起り、ぼくが一九六七年に初めてニューヨークに行った時、書店にはすでにオカルト関係のコーナーが特設されていた。
ところがこの頃、日本では経済成長路線まっしぐらで、西洋的合理主義の導入に拍車がかけられていた。
一九六七年といえばサイケデリックの黄金期でヒッピー文化が最も栄え、その頂点にあった年である。
一方ベトナム戦争はますます激烈の途にあり、アメリカは幻想の平和と戦争の中で複雑な表情をしていた。
そしてこの時、アメリカはすでに終末観を迎え、魂のよりどころをいちはやく東洋に求めていた。このアメリカの状況は約十年遅れた今、日本の若い人達の間で息づきはじめている。
この肉体の終末を日本沈没やノストラダムスにまかせずに、自分自身で確認し、そして毎日を死の証と考え、せいいっぱい明るく[#「明るく」に傍点]生きたいものだ。暗いイメージの中での終末ではなく、明るいイメージの中での終末を考えたい。