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なぜぼくはここにいるのか60
日期:2018-10-26 22:55  点击:326
   シャンバラ伝説
 
 ぼくの中には「シャンバラ」願望というのがある。「シャンバラ」とは地球の内部の空洞に存在するというアガルタ王国の首都の名前である。この「シャンバラ」にはアトランティスが海底に沈む前に逃れた古代アトランティス人種が住んでおり、ここの住民は全て超人《アデプト》で、みんな最高の知恵に到達しており、地球人の科学を遙かに凌駕《りようが》した科学を所有し、地表への出入りは自由で他の星への飛行も可能な空艇を持ち、異星人と交流をしているという。
 またこの地下世界には四次元エネルギーの大ピラミッドがあり、その頂点は太陽と相対しており常に磁流を放出している。また「シャンバラ」には地上の人々の魂の状況が一目でわかる特殊な装置と方法があって、もし精神的展開の進歩がある人に対しては、積極的な働きかけにより魂のレベルを向上させようと試みられる。つまり「シャンバラ」は地上一切の進歩を促す動力因であると同時に、もしわれわれが狂愚の行為に走るならアデプトの力によって破壊も可能だという。「シャンバラ」は実在しているが、われわれの肉体で行くことは特別な許しがない限りほとんど不可能で、もし行けるとしてもそれはアストラル体(四次元体)でしか行くことができない。
 つまり「シャンバラ」への道は空間のゆがみによって遮蔽されており、アデプト以外、人類は誰一人として行けないようになっているが、「シャンバラ」に通じる地上の入口は地球上に七個所ある。
「シャンバラ」には地球神サナート・クメラが君臨されているが、クメラは宇宙意識の神といわれ、地球の破壊と創造を司り、人間に秘伝をさずけて下さるという。サナート・クメラの存在は超電磁力的存在で、今から六百五十万年前にレムリア大陸に住む人種を進化させるために金星から火の車で天下ったと伝えられ、この時丁度天体の排列に大変化が起り、地球磁力が膨起したのであるが、このことが、金星からの来訪に極めて好都合だったらしい。そしてそれ以後サナート・クメラは「シャンバラ」にあって地球の統治者となられた。
 このことは京都の鞍馬山の尊天として祀られているサナート・クマラ[#「クマラ」に傍点]ことクメラでもある。鞍馬山ではサナート・クメラのことを魔王尊《サナート・クマラ》と呼び千手観世音と大聖毘沙門天と魔王尊《サナート・クマラ》を「尊天」として三身御一体として奉安してある。サナート・クメラはゴビ海にあった当時白島という美しい島に天下られたが、同時にまた鞍馬山にも出現され、今ではこの山は霊地となっている。
 ぼくが「シャンバラ」に強い関心を抱くようになった直接の原因は密教ヨーガからである。ヨーガへの関心は実をいうと八年前初めてニューヨークへ行った時から始まり、インドへ旅行するに至り、現在ではヨーガはぼくの生活の一部分となろうとしている。ヨーガは「シャンバラ」への瞑想であり、「シャンバラ」はヨーガの最高中心としてぼくの中に毅然として存在している。宇宙意識に目覚めることは「シャンバラ」意識に焦点を合すことであり、その時人間はアストラル体として「シャンバラ」に行くことが可能である。
 ぼくが今生こうして「シャンバラ」を観想することができるのはぼくを導く前世からのカルマ(因果)によるものと自覚している。またヨーガと「シャンバラ」はぼくの中では空飛ぶ円盤とも結びついている。空飛ぶ円盤が地球内部の空洞から飛来してくるという説があるが、あながち否定することはできない。「シャンバラ」にはアデプトによるグレート・ホワイト・ロッジ(純正大同胞団)があるというが、ここはまたさそり座のアンタレス星の宇宙ホワイト・ロッジとも通じ合っているという。すると現在この地球に飛来している空飛ぶ円盤はこの地下の空洞からと、宇宙の星々からの両方から訪問しているとも考えられる。
 また聖書に書かれている神々エホバはやはり円盤搭乗者ということになるかも知れない。というのも、エホバは人類がこの地球に誕生した日からわれわれを見守り指導して来た「シャンバラ」のアデプト達とどこか共通したものが感じられるからである。「シャンバラ」には星間飛行のできる空艇があるというが、これこそわれわれが現在目にするあの空飛ぶ円盤ではないだろうか。「シャンバラ」伝説と聖書のエゼキエルが見たビジョンや、ノアの箱舟などはどこか一本の糸でつながっているような気がしてならない。「シャンバラ」には創造と破壊の力が在るという。だからこのわれわれの文明が頂点に達した現代、そこには神の制裁が加えられた聖書のソドムの街のように、またアトランティスや、ムー《レムリア》大陸が海底深く没したあの洪水伝説のように最後の審判の日が神によって着々と計画されているのではないだろうか。
 ぼくはこの終末の予感と空飛ぶ円盤がどうしても頭の中で結びついて仕方がない。ぼくがここまで書けば何を言おうとしているかがわかってもらえると思う。科学者や宗教家、そして世界の予言者が予知する人類の終焉は意外と近いところまで来ているのかも知れない。
 しかし終末が必ずしも死と結びつかない。聖書には空に印が現れた時、家にいる者は屋上に、外にいるものは高い所に行くようにと書かれている。この空の印こそ現代のノアの箱舟が大挙飛来して来る時ではないだろうか。随分甘っちょろい虫のいい話だが、聖書が語るように選ばれた人は幸いである。果してノアの箱舟の選民になれる資格があるだろうか、と考える時ぼくは全く自分に自信がない。ぼくの中に選ばれたいという欲望がある限りぼくはその資格がないかも知れない。
 我執を捨ててこそ、ぼくは「シャンバラ」に通じ、そしてノアの箱舟にも通じ、来たる光明の世紀に生きることが可能になるのだろう。
 それにしてもぼくはあまりにも多くの荷物を背負い過ぎているようだ。

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