ぼくの空飛ぶ円盤物語
ぼくが初めて空飛ぶ円盤を目撃したのは、郷里の西脇(兵庫県)でだった。今から二十五年も前のことである。二、三人の友人達と英語の夜学からの帰路だった。市内を流れる杉原川の豊川橋の近くに自転車で来た時だった。川向うの家の屋根から二十メートルぐらいの低空に洗面器ぐらいの不思議な発光体があった。中心がオレンジ色で周囲が白銀色のように見えた。ぼくは最初花火が炸裂する瞬間だと思った。しかし花火にしては停止時間が少し長過ぎる。いつからこの発光体があったのかは気がつかなかったが、ぼくが目を止めた瞬間から数秒後に、この発光体は急に川の上流に向ってスーッと音もなく空を切るように移動して再び停止した。この時この発光体は細長い光の尾を引いたが停止と同時に物体に尾は吸収された。そして数秒後にこの発光体はフッとかき消すように消滅してしまった。
そしてこの時から約二十年が経った一九七〇年頃、ある夜夢の中に突然空飛ぶ円盤が着陸し、その中から宇宙人が次から次へと降りて来て、ぼくの目の前で姿を消していった。この最初の円盤の夢から今日までの間にぼくは数知れないほどのこの種の夢を見るようになった。二十五年前に見た発光体が後に母船から発射された偵察用のリモートコントロールによる小型円盤であるということがわかったのも、このような夢を見るようになってから後に知ったことで、この連続して見る円盤の夢が一体何を物語っているのかぼくには皆目理解できなかった。
まだ現在のように日本に円盤ラッシュが到来する以前だっただけに、ぼくは一体どうなったのだろうと思った。しかし不思議なことに、今後絶対円盤が人々の関心の的になってくるに違いないという確信だけは非常に強く持てた。そしてこの円盤がぼくの今後のものの考え方や創作に何らかの形で影響を与えるかも知れないという予感さえし始めた。そこでぼくはこっそり円盤の本を集めに走った。そして感動の書アダムスキーの「空飛ぶ円盤同乗記」に逢った。ここには円盤の全てが語られているような気がして信じ切るようになった。この書に語られているように円盤が精神主義的な問題と関わっていることが不思議なような気がしたが、ブラザーズ(宇宙人)が語る宇宙哲学に謙虚に耳を傾けるなら円盤が精神的なものと大いに関係があることが理解できる。
円盤はわれわれ地球人の三次元的科学では解明できない謎に包れているため今だに多くの科学者達は否定している。円盤の機能は誰が見てもわかるように、われわれの想像の領域を超えている。一瞬に方向転換をやってみたり、ジグザグ飛行をやってみたり、一つが複数に分裂したり、透明化したり、とにかくこのような機能を挙げればきりがない。
だからこのような円盤の機能を目撃した人々はまるで円盤を生物か幽霊のように思い怖れる。われわれは日頃人間は肉体的存在であると考えているために、五感以外の経験を信じようとしない。つまり唯物的な発想を基盤にしているために、物質世界だけを肯定し、物に頼り、そして死後の世界を否定するのである。もし人間が肉体的存在であると同時に霊的存在であることを知ったなら、われわれはテレパシーやテレポーテーション(物体移動)やプレコグニション(予知・予言)やクレヤボヤンス(透視)を単なる奇蹟と思わず人間本来が有している宇宙力として理解することができるはずである。
現代の科学者の中でもこうした四次元の世界を探求する動きがあるが、もし彼等がこの三次元的世界に立脚した状態でこの異次元を探求するならば絶対この謎を解くことは不可能に近いだろう。つまり四次元世界の解明はこのわれわれの心の中に存在しており、われわれが肉体的存在であると同時に霊的存在であることを認め、そして宇宙意識に目覚め、これと一体になった時、この宇宙の神秘は解明できるのである。如何にわれわれがピュアーになれるかということが四次元世界の解明につながり、そしてその結果が偉大な精神文明をこの地上に築きあげることになるのである。
われわれの肉体は大宇宙を縮小した雛型の小宇宙である。われわれが引力や空気、そして地球の自転や公転を意識することなく生きているのもこの大宇宙の秩序と調和のバランスがとれているためである。しかしわれわれがこの宇宙の法則に反した時は、病気になったり事故に遭ったりする。この宇宙の法則は大いなる神の意識でもあり、われわれがこの宇宙意識と焦点を合す時、われわれは四次元体(アストラル体)となり四次元界(アストラル界)のことがわかる。
だから四次元の解明は科学者自身の魂の問題にかかっているのである。もしこの地球上にわれわれが円盤を持つようになった時は、人類が初めて目覚た時であり、ここで初めて異星人と交流できることになる。アダムスキーの逢ったブラザーズの深淵《しんえん》な宇宙哲学や円盤も彼等が目覚た結果得た宇宙法則の産物である。
ヨーガでは人体をひとつの宇宙と考え、人体に生命の活動の場として七つのチャクラを持ってきており、色んなヨーガの技法によりこの眠れる生命の場を活性化していく。このチャクラが活性化すれば、いわゆる超能力を発揮したり、アストラル界の出来事などを見ることもできるが、ヨーガはそういった超能力人間になることではなく、自分の中で神と合一することが目的である。円盤がまるで生命体のような機能を果すのはおそらくこのヨーガのチャクラを開発した状態に近いのではないだろうか。また円盤の操縦は操縦者の想念によって機能しているともいわれている。想念のエネルギーはこの宇宙を創造した創造主の「最初に言葉ありき」(聖書)といった想念と同質のものではないだろうか。もしそうだとすると、円盤が想念エネルギーによって機能しているということが納得できる。
念の力によってスプーンが曲ったりテレポーテーションができるという人々がいるが、このことは仏教のカルマ(因果)の法則にもあてはまる。想いという原因があれば、それは必ず実現する。念は一度四次元空間を通過して再び三次元に物質化現象を起す。この想念エネルギーの果した事実を見るならば、誰でもわれわれが四次元と通じる霊的存在であることに納得し、神の概念が身近に感じられるはずである。このことはもし円盤の不思議な機能を目撃したことのある人ならおおよそ理解できるかも知れない。よく円盤は信じる人にだけ見えるといわれるが、このことは当っていると思う。信じるという強い思念がある限り、それはこの三次元の空間に物質現象となって現れてくれる。勿論信じない人でもその人が宇宙意識に通ずる波動《バイブレーシヨン》を有していれば見ることが可能である。
しかし円盤は時にはこのように人を選ぶ場合があるが、もともと可視の存在で、場合によっては不可視状態をとることもできる。宇宙の全てのものは波動からなっており、人間においてもそれは個人差があり、特に四次元現象に遭遇する人は三次元以上の波動の持主として、聖霊や幽霊や円盤や他の超常現象に出食わすことが多々あるようだ。だから数人いてもその中のたった一人だけが円盤を見ることだってあり得るわけだ。というのも円盤が三次元波動より、より高い波動で空中に停止して皆なの目に見えない方法を取っていても、たまたまそのレベルの波動の持主に見られた場合は現実に円盤は存在しているということになる。しかし時たま多数で円盤を見ることがあるが、この時は円盤は三次元波動に下げている時である。
もし円盤と特別なコンタクトをしたい人があればテレパシーを送ればいい。ところがテレパシーも波動だから低い次元の想念波動だったらいくら一晩中送ってもそれは無駄であろう。たとえ見たとしてもそれはその人のために飛んだのではなく、円盤自体が他の目的のために飛んでいたに過ぎず、これはコンタクトになり得ないかも知れない。テレパシーの強弱はその人が如何にピュアーであるかということと関係があるようだ。粗雑な欲望が支配する限り、テレパシーは通じないだろう。もしその人が無になることが容易な人なら円盤のコンタクトもそんなに難しいものではなかろう。要はその人がソールマインドであるかどうかということにかかっている。
ぼくが円盤に興味を抱くのもアダムスキーと同じく精神的存在として円盤を考えているからである。もし現代の円盤が悪魔的であるとするならば、この地球はとっくの昔にたった一機によってでも征服されたかも知れない。現代円盤がなぜ地球上に頻繁に出現しているのかこの理由はわからない。ただ円盤とコンタクトしている人々に逢うとこの人達はきまって素朴で純粋で気持のいい人達ばかりである。このことを考えてみる時、ぼくは円盤に何か素晴しいことを期待するのだが、それ以前にぼく自身がこのような素晴しい地球人の仲間入りができるように心の用意をしなければならない。円盤が地球人に何を求めているかということはこれらのコンタクターに接すればそこに全て解答があるような気がする。この人達について共通することは我欲がないということだ。彼等は現在ぼくが最も素晴しいと思っている人々である。
円盤がどこの星から来ているかということは大して重要ではない。それより彼等があのような素晴しい科学を持得た背景の精神にこそわれわれの関心がなければならないのではなかろうか。円盤ラッシュといわれるほどこのように頻繁に来ていることの背景には何か非常に重大な問題が隠されているのかも知れない。予感できることはこの誤った物質機械文明が生んだ公害汚染と精神の堕落の極に達した人類や地球が、このままスムーズに運ぶとは考えられないということである。こうした終末的時期と円盤のラッシュを単に偶然と見ることができるだろうか。
円盤をノアの箱舟と見たてることは容易《たやす》いだろう。このことはすでに旧約聖書において充分説明がつくからである。もし仮に円盤がノアの箱舟であったとしても一体誰を救うというのだ。もし現代の地球人全てを救うことができても、再び地上に降りて来た時はまた同じことを繰返すだけだろう。するとここに当然選ばれる人々が出てくることになる。もし彼等が選ぶとすれば彼等と波動のあったピュアーな人々を選ぶかも知れない。ブラザー達は宇宙の法則にかなったものを良しとしているはずだ。現代の人類や地球のあり方は決して宇宙の法則にかなっているとは思えない。月ロケットにしても宇宙の法則を無視した科学だ。ジェット機にしても同じことがいえる。人類や地球の危機はわれわれにとって以上に他の星の人々にとっても危険なはずだ。地球の汚染も結局人類の想念の結果である。もしたった今でも人類一人一人が悔改めるなら遅いかも知れないがもう少し何とかなり、未来に光が見えるかも知れない。円盤はそのためにわれわれに接触を開始しだしたのではなかろうか。円盤と無関係においても今こそわれわれ一人一人が心を洗わなければどうにもならないところに来てしまっているような気がしてならない。