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黒パン俘虜記2-2
日期:2018-10-26 23:06  点击:311
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 幸いぼくは、映画講談という芸のおかげで、小政たち新幹部にとり入り、他人よりは少し余計にパンを得て、何とか三年ぐらいは、生きのびられる|めど《ヽヽ》がついていた。
 抑留二年目の十月の初旬のころだった。気候はもう完全に冬になっていて所内は寒い。また定例の五日目が回ってきた。その日は、飯塚敏子と高田浩吉がからむ、『月夜鴉』という江戸芸能物を、しみじみとした名調子で披露しようと思った。
 薄い粥の夕食を喰べ終った後、一般の俘虜仲間が作業の疲れで深い眠りに入ったころ、芸人らしい卑屈さがつい自然に出てしまう自分のみじめさを、何とかごま化しながら、毛布のはしを持ち上げて、幹部の住居をうかがった。
 今晩も中では、炊事係から運ばせた、肉と砂糖を、飯盒《はんごう》で盛大に煮たてながらの、豪華な宴会を彼らはやっていた。ここへ来て一年以上になったが、他の二千人近い全員は、一片の肉さえ口にしたことはない、匂いだけ存分に嗅《か》がされながら、この三十人の集団に抗議一つすることができない支配態勢が、すっかり固まっていた。
 いつもなら
「おう来たか。ぐっと面白いのをやってくれ」
 皆がすぐに聞く仕度を始めるのに、気まずい沈黙が支配している。奥の方で鍋の肉を箸でつまんでいたNO1の実力者、赤穂の小政が、どなった。
「映画講談などききたくないぞい」
 ぼくは呆気《あつけ》にとられた。かつて一度もこんなに頭ごなしにいわれたことはない。これでは明日から五日分の食糧の予定が狂ってしまう。向うは気まぐれだろうが、こちらは生命の問題だ。おそるおそる訊《たず》ねた。
「それでは次にいつ参上しましょうか」
「もう聞きたくもねえぞい。こう! 二度と面《つら》を出すな」
 子分たちはまだ、唯一の娯楽である、ぼくの映画講談という演芸に多少の未練があったらしい。少し気の毒そうに
「まあーそういうわけだ」
 といいながら、毛布のカーテンを目の前で下してしまった。
 何でこんな状態になったのか見当がつかない。ぼくは小政の理由の分らぬ不機嫌が急に不安になった。
 翌日の作業も相変らず煉瓦運びである。今度作られる建物はオペラ劇場だそうだ。出来上れば、ふだんは蒙古服で羊を追っている人々が馴れない背広やイヴニングドレスで、椿姫やカルメンを聞きにくるのであろう。
 今のところは、鉄筋と、各階の枠組ができたばかりの吹きさらしの建物には、寒い風が通り抜け、雪が舞い込んでいた。地震が全くない国なので、枠組だけでき上れば、外壁も、間仕切りも、煉瓦を丹念に埋めこんで行くだけで、建物ができ上ってしまう。
 床にブリキ缶の火鉢を置き、溶かしたセメントを凍らないうちに、手早く煉瓦と煉瓦との間に糊《のり》のようになすりつけて積み上げて行く。ぼくらはその職工たちの前に、蟻《あり》のように並びながら、地面から階上の作業場まで煉瓦を運んで行く。
 偶然隣りに並んだのは、元航空兵科の特攻だった学徒動員の帝大出の将校だ。他の収容所だったら、兵の監督として直接労働をしないですんだのだろうが、ここは旧軍秩序が崩れてしまっているので、ぼくと同じに煉瓦を担いでいた。
「乙幹さんよ」
 珍しく彼が話しかけてきた。極端な空腹で働いているぼくらは、小さなエネルギーの消耗にも敏感になっている。よほどのことがないと口もきかない。
「何ですか」
「あんた何か小政に憎まれるようなことをしなかったかね」
「さあー心当りがないんだが」
「小政がひどく怒っていたそうだ。証拠が見つかり次第、乙幹を叩き殺してやるといってるらしい」
 ぼくは頭から氷水をあびせかけられたような気持になった。心当りがまるでないのが余計不安であった。
「何でだろう。見当がつかない」
「用心した方がいいな。おれもちょっと耳にしただけだから理由は分らないが、今では大体みんな知ってるぞ。いつおまえがやられるか楽しみに待ってる奴もいる」
 恐怖は一層現実のものになってきた。
 昼の休みは一応一時間ある。朝のうちに携帯用の昼食のパンを喰べてしまっているから、皆はただ、風の来ない物陰で体を小さくすくめているだけだ。お互いに話す気力は殆どない。外套《がいとう》やフードの上に雪が積もっても、居眠りできるぐらいに、寒さには馴れていた。
 気がついてその目で見ると、仲間の誰もがぼくとかかわり合いになるのを避けているようであった。そのくせ遠くからは同情と好奇の目で見ている。
 丁度隣りに、古い年次の一等兵が坐った。長城線での部隊からの知り合いで、初年兵のとき、ぼくはこの男にかなり殴られた記憶がある。今でもお互いの間はすっきりしないが、こういう連中の方が底意地悪いだけに、却《かえ》って本当のことをしゃべってくれると思った。
「ぼくのことで、何か悪い噂をきいてますか」
「ああな」
 彼はまるで舌なめずりしそうな顔でいった。
「小政がおまえさんをぶっ殺すとしゃべりまくっている」
「ええ、そうらしいんですが事情が分らない」
「正宗のことだよ」
「ああ」
 と思わず声を上げた。初めて思い当ることがあったからである。ぼくは同時にまた背筋が凍るような恐怖にさらされた。とんでもない誤解であったが、それはまた弁解の手段が一切ない誤解でもあったからである。
 正宗というのは、相州の五郎正宗作という短刀のことである。本物かどうかは分らない。
 抑留俘虜の仲間には、居留民団の人々がかなり交っていた。ある地区に攻め入った蒙古軍がそこに予定しただけの数の軍人がいなかった場合、民間人も戦利品の労役奴隷として、数が合うまでかき集めた。中川というその六十ぐらいの老人は、満洲国の黒竜江省内のある県の副知事をやっていた。日露戦争のとき南山の攻略に参加したというのが自慢の元気のいい人だった。その爺《じい》さんのもう一つの自慢が、荷物の底に秘めて持ってきた、正宗作と称する短刀である。満洲国の役人として赴任するとき、故郷での昔の主筋だった大名家から、餞別《せんべつ》として貰ったものであるという。
 この収容所では、腹の中へ入れて証拠が無くなってしまう喰べ物以外には、盗難事件は殆どなかった。入口をしめて、一斉に荷物検査をすれば、すぐ見つかってしまうし、作業場へは一斉に出て行き、病気での所内残留は誰にも認められていなかったから、他人の物を盗むための僅かの隙も持てない。もし見つかったら、それこそ確実に殺されるリンチが待っている。老人の短刀は、見た者こそいなかったが、確実にあるらしい。
 ただいくら元気でも、他の俘虜の年齢と比べて異常な高齢であったので、秋口にかかって急に体が参ってきた。自分の死期を悟ったようだ。
 それまでは小政や幹部の連中から、いくら大量の黒パンとの引換えを望まれても決して手放そうとしなかった老人が、近づく死を前にして正宗の権利を小政に売った。提示した条件は噂によると、二つあった。一つは、一日四分の一のパンを死ぬまで支給してくれということで、もう一つは、完全に死んだらどう処理してもいいが、それまでは、どうせ長くはないのだから、枕代りにしている荷物の中に今まで通り入れておきたいというのであった。
 抑留者から選ばれたスパイが、この国の特務と面接して、パンと引換えに仲間の情報を提供し、ぼくは通訳をさせられていた。先月の定例の日に、スパイの一人が老人の短刀のことをしゃべった。まずいとは思ったが職務上仕方なく通訳しておいた。
 スパイの密告があって三週間後の今月の初めのことだった。夕方の作業後の薄い粥を、口に運びながらまるで動作の続きのように、何気なくうつぶした老人は、そのまま息を止めた。顔が飯盒の粥に濡《ぬ》れた以外は、音もたてない静かな死であった。
 どこで彼の死のニュースが洩れたのか、三十分後には警備の兵隊が入ってきて、老人の荷物を持って行ってしまった。今まで我々抑留者の貧弱な荷物など、兵士たちの収奪の対象になったことはない。
 明らかに伝説の短刀を狙《ねら》っての素早い処置で死体より先に片づけられたのだが、ぼくは自分が関係しているスパイの組織とは別の密告監視機関が存在するのを、そこで初めて知って、慄然《りつぜん》とした。
 中の短刀は小政が貰うつもりでいた物だということを、ぼくもまた知っていたが、自分の関係したことでもないので気にもしなかった。
 ぼくは一等兵にきいた。
「それじゃその短刀は、ぼくが蒙古兵に教えて、取り上げさせたというのかね」
「まあーそういうことだ。蒙古語がしゃべれるのは、おまえだけだからな。これまでも怪しい点が沢山あったのを、皆は仕方なく見逃していたんだ」
 ここでパンほしさにしゃべったスパイの名をあげるのは易《やさ》しい。しかし職務上それはできないし、しゃべったところで事態が変るものでもない。どうにも抜け出すことができない陥《おと》し穴に落ちこんでしまったような気だった。
 ぼくは午後の作業中一人|沈鬱《ちんうつ》な気分の中で考えこんだ。
 赤穂の小政は瞬発信管だ。怒った瞬間に手が出ている。そのため、きびしい戒律が支配する軍隊で、上官を殴って、陸軍刑務所に服役した。どんな環境の中でも、怒りを押えることができない性質で、それが囚人の集団のリーダーになり、収容所の権力を握った力にもなっている。
 そこまで考えて急に少しだけ明るい光りを見つけた。その彼がいきなり手を出さなかったところがおかしい。恐怖が消えたわけではなかったが、小政にしては珍しく、証拠だとか何とかいって、暴発を耐えているところに希望がありそうだ。悪党が持っている一種の保身本能で、さすがの生命知らずの小政も、ズボンに赤線の入っている特務将校が怖いのだ。もし赤線がその気になれば、小政を庭にひきずり出して射殺することなど何でもないし、ぼくがこの蒙古共和国の特務とどんな形で結びついているかが、彼にはまだよく分っていない。
 小政自身が特務に疑われないようにぼくを殺す手段が見つからない限り、すぐには手を出さないだろうと思った。その代り、ビルの屋上から石を落すとか、足場を崩すとか、日常いつも危険が一杯の作業場での事故を装っての殺しをしかけてくる可能性は大いにあったが、直接|棍棒《こんぼう》で殴りつけてくることはないだろう。用心に越したことはないが、それにも限界がある。二、三日が精々だろう。後二日生きられれば何とかなると、そこに一つの目標を見つけた。定例の特務の面会の日が、二日後の十二日に迫っている。それまでは身辺に気をつけて、生命を消されないようにしよう。どうにか自分を安心させる結論を出した。

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