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黒パン俘虜記3-3
日期:2018-10-26 23:13  点击:355
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 六週目の公演に入ったとき、ぼくは生涯絶対に忘れることのないような怖しい経験をした。月曜日までに新作の準備を終え、昼の職員室の封切りを初めに新しい演目の公演がすべり出す。水曜日ごろが一番気が楽になるころだ。早目に大部屋に帰って、次の演目を何にしようかと、寝そべって考えていると、外科専門の、元関東軍の軍医が入ってきた。仙台出身で松川大尉といった。
「乙幹君、明日、ぼくのところで大きい手術があるので、午前中の公演を休んで手伝ってくれないかね」
「それはかまいませんよ。医療の方が大切ですから」
 そうぼくは答えた。少し心外であったが、どうせ演芸なんて不要不急のことである。ただ
「……自分でも何か役にたつことがあるのですか」
 と一応は訊ねた。松川軍医はそれに答えずに別なことをしゃべりだした。
「我々には麻酔薬がないんでね。麻酔のない外科手術なんて、普通だったら考えることもできないことだがね。手術しないでほうっておいたら、患部がどんどん拡がって死んでしまう。今ならいっときは苦痛でも生命は助かる。友広曹長といって気の強い青年だ。手術を承知したんだ。それで君に手伝ってもらうことにした」
 何か分らないが、多分足でも押えつける係が足りないのだろうと思った。上官の命令だから、一応は即座に
「諒解しました。やってみます」
 と返事したが、非力なぼくが、役にたつことがあるなどとは思えなかった。それに本音をいえば、手術を見るのが怖しかった。これまで四カ月も毎日死体を切り刻むのを手伝ってきたが、生きている人間を切り刻むのを見たことはない。
 それでも翌日早目に起きて、午前中の公演予定の二部屋に中止の連絡をし、代りに夕方に一つずつ二日にわたって追加してやることで納得をしてもらった。
 もともと病院のサービスでやることだから残念がられはしたが、どこからも文句は出なかった。
 朝食を終えた午前九時には、松川軍医に連れられて、手術室に入った。病院内勤務になってからもう一カ月以上になるが、まだ入ったことはなかった。そこは病院内でも特別な場所として、関係者以外出入禁止で、掃除さえ衛生兵以外の者はやってはいけないことになっている。
 初めて入った手術室は、明るい白い壁で、照明も眩《まぶ》しいぐらいきいて、床もちり一つなく浄《きよ》められていた。消毒薬の匂いが強い。
 既に医師が二人、看護婦代りの元衛生兵が二人待機していた。ぼくが主任医師の松川軍医と入って行くと、皆、室内無帽時の十五度の敬礼をして迎えた。
 板で作った臨時の手術台に横たわって待っていた当の患者も少し首を持ち上げて、おじぎしながら
「軍医殿よろしくお願いします」
 と声を出した。七人の軍医のうち三人がここにいる。病院が割り出せる人員としては、最高の配置だ。相当な大手術らしい。ぼくの不安は高まった。後ろからきいた。
「軍医殿自分はどうしたらよくありますか」
「そこに立っていろ。おれの合図があったら直ちに大きな声で、商船テナシチイをやってくれ。麻酔の代りだ」
 初めて自分の仕事を知ってびっくりした。そんなものが麻酔の代りになるとは信じられない。
「大声でやったら、手術の邪魔になりませんか」
「それぐらいで手順が狂うような、難しい手術ではない」
 松川軍医は東北の出身だが一メートル八十五もある大柄の人で、目つきも精悍《せいかん》で、西郷隆盛を思わせる風貌をしている。荒っぽい戦陣外科で鍛えられた筋金入りの軍医だ。切られる方も軍人としては筋金が入っている。曹長というのは旧軍の中でも特別の階級で、兵、下士から昇進を重ねた人のどん詰りで、そこまで辿りつくのに、乙幹のような抜け道はない。どんなに早くても八年はかかる。三十近い人が多い上、弾丸の降る前線で生き残ってきただけに、動作は機敏で、顔付きはきびしく、気性が荒々しい。彼もやせ衰えていたが、鋭い目付きをしていた。
 もっとも、手術の前の晩は体力をつけるため二食支給される。その二食がほしさに僅かの足先の凍傷でも、足を切ってくれと申し出る者が多い。
 曹長が元気が良いのもそのせいかもしれない。衛生兵がすぐ準備を始めた。シャツを脱がし、裸の上半身を、布でしっかり手術台にくくりつける。袴下が脱がされた。さすがに長く戦陣にいただけあって心がけが違う。今まで一度も使っていない真新しい褌をしめていた。足の先が凍傷で腐っているのが見えた。
 両腿の上に、板切れと布とで止血措置が施された。軍医が目かくしの布を衛生兵に渡した。曹長はそれを断わった。
「いやいらんであります。この目で自分の足が離れるところをよっく見ておきます」
 二人の手伝いの若い軍医が、左右一つずつ手分けして、両方の足の先を薬で洗いながら調べだした。二本とも足の底は崩れ、指、踵《かかと》、くるぶしぐらいまで赤黒く腫れて、煮すぎたおでんのように、とけて変形していた。消毒薬の匂いも消えるような異様な臭気が、部屋の中に漂った。
「完全な腐敗が始まっている。どんどん進行中だ。痛いかね」
 軍医がきくと、かすかな笑いを浮べて友広曹長は答えた。
「情ないことでありますが、かなり痛くあります。ずっと夜も眠れん日が続くであります」
「ほうっておくと、上の健康な部分の肉を喰って腐らせて行く。膝まで上ってきたら、ここの設備ではもう手術はできない。それを通り越したら、脳症を併発して、三、四日で死ぬ。友広はまだ若い。死にたくはなかろう」
「はい、死にたくなくあります。日本へ帰って父や母に一目会ってからでなくては、死んでも死にきれんであります」
「では手術に耐えてくれ」
「はい」
 しっかり答えると今度はぼくの方を向いて
「……乙幹君も頼むぞ」
 といった。その間にも手伝いの若い軍医は足を丁寧に見ながら、ぎりぎりの部分を見つけようとしていた。切った後で、少しでも腐敗した部分が残っていたら、そこからまた拡がるから、やり直しになる。といって大事をとって切りこみすぎては、患者に可哀そうだ。そのへんの見切り点を決めるのが難しいらしい。やっと三人の意見が一致して、両足の踵から五センチぐらい上の脛《すね》の部分に、墨で丸く線が引かれた。その間に衛生兵は、熱湯の消毒器の中から、メスや、止血のピンセット、光った鋸《のこぎり》などを出して、ステンレスの大皿の上に、一つずつ並べた。
「舌を噛んじゃいかんので口にだけは、噛ませてもらうぞ」
 そういって、タオルを丸めて口の中につっこんだ。やっとぼくは怖しい事態がのみこめてきた。このまま足を切るのだ。心臓がちぢみ上りそうになった。メスを取った松川軍医は墨の線をじっと睨みながら、ぼくの方は全く見もせずいきなりいった。
「それじゃ、オツカン! 始めてくれ」
 ぼくは声にもならない声で返事して、直立不動の姿勢をとった。松川軍医のメスが黒い墨にそって、左足から表皮を切っていく。血が丸い輪になって赤く噴き出す。ぼくは頭が空白になり足がよろめいた。必死に耐えながら
「うんめいーは、したがうーものをー」
 とプロローグの言葉から語りだした。メスの刃先が、健康な部分の肉に喰いこんで行き、血がしぶきのように散る。止血措置はしてあるが、ここにいて多少栄養もよくなっているのだろう。それに若く充実した年代だ。血も多い。メスが押しつけられてピンクの肉が開いて行くごとに
「うーっ! うーっ!」
 とまるで地底からひびいてくるような声で呻きつづけ、軍医の白衣に血が飛び散る。ぼくは負けていられない。声を張り上げて語り続けた。
「美しいテレーズという娘が、二人の前に出てきた。『おや、これはこれは、こんな港には珍しい、しゃれた娘じゃないか。なあーセガール君』と、アルベール・プレジャン扮するところのバスチャンは、陽気に友人に話しかけた」
 陽気どころか、少しでも気を弛《ゆる》めたら、こちらがひっくり返りそうで、もう必死だった。
 先ほどまでの腐臭に代って、血の匂いが濃くなってきた。長い話だ。心が乱れると、カット順が混乱して、筋が追えなくなる。そちらに神経を集中していなくてはならないので、随分助かった。もしただ見ているだけだったら、ぼくのほうが先に倒れてしまったろう。
 実際に患者がぼくの映画講談をきいているかどうかということは、もう気にかからなくなった。各人がその持場で全力を尽すだけだ。患者は厳重に縛られた体をうごめかして苦痛に耐えている。衛生兵たちはおびただしい出血を、すぐガーゼや綿で吸いとって行く。呻き声はタオルに押えられて地底の声のようにくぐもっているが、本当は絶叫に近いものだったろう。
 左足の肉は完全に上下に切り分けられて、離れたようだ。局部の止血措置をしている間に、松川軍医のメスは右の足にかかる。二つ同時にやってしまうらしい。右の肉も切り離された。
 とうとう、胸も凍りつくような時間がやってきた。二本の骨が白く見える。左から切って行くようだ。ステンレス製のよく光る鋸の歯が、肉質を分けて、直接、骨にあてられた。
 せめて曹長が意識でも失ってくれていたら、見る方も楽であったろうが、苦痛に呻きながらも曹長の目は見開いている。
 しかもときどきは、休みなくしゃべり続けているぼくの方に注意を向けようとして、首を回す。こんなとき本当に商船テナシチイの物語が面白いはずはないだろう。自分が瀕死の苦痛の中にいながら、なおもぼくのためにサービスしようという曹長の心意気なのだ。
 すっかり露出している骨の上で鋸が動きだした。骨がひかれる音がする。
 骨に神経があるかどうか、ぼくは医学を勉強していないから知らない。ただ、鋸が骨に当って切り出したとき、その不気味な音と共に、彼の苦痛にもだえてうごめく表情や動作が、一そう大きくなったのを現実にこの目で見ている。麻酔なしで骨を切るときは、肉や皮を切るよりは、ずっと痛いのだろうということは分った。
 全身で耐えている。これは男同士の戦いだ。切る方も決して楽ではない。暑い日ではないのに、切り手の額にびっしょり汗が浮いていた。二人の控えの若い軍医も衛生兵も汗が顔中に吹き出していた。
 ぼくは自分の失神を防ぐためにも休まずしゃべり続けた。物語は、酔っ払いの老人が、二人の青年に話すシーンになっていた。うまい話にのせられて行ったカナダでの、鉄道建設の労働がどんなに辛いものであるかを、カウンターでくだをまきながら語る。一所懸命、酔っ払いの口まねをしながら、しゃべる。
 五年前のテアトル・コメディの舞台では、若い美男の森雅之に、やはり若い十朱久雄が老けの扮装で語りかけていた。三年前のぼくらの舞台では、この老人は田中という友人がやった。本物のデュヴィヴィエの映画の老人もすばらしかった。俳優の名は思い出せない。役の上では爺さんはイドウといった。
 東京での舞台で女中役の頬の丸い女の子は、ふだん外では着ることの許されなかったとっておきのプリント地のワンピースを、舞台衣裳として着られるのが、本当に嬉しいといって、はしゃいで楽しそうに演じていた。空襲がいつあるか分らない緊迫した時代だっただけに、ぼくらも観客も真剣で、狭い貸席劇場には熱気がこもった。
 できるだけ手術に気をとられないように、さまざまの思い出を頭の中で同時進行で明滅させながら、大声で語りつづけた。
 しかし現実には目の前に一杯に、手術はくり拡げられ、白い骨や赤い血がいやおうなしに目に入ってくる。いくら声に力を入れてしゃべっても、耳の中には骨をひく音が入ってくる。気分は弾丸の飛び交う戦場にいたときと同じだった。絶対負けられない。全力で戦うだけだ。曹長は極限の苦痛を全身で現わしていた。いくら軍人精神が入っていても、どうにもならないところにいる。左の足が先にとれ、すぐ右側にかかった。同じような音がして、右も二、三分で離れた。
 一番痛いのはそのすぐ後だ。小指の太さぐらいの白い神経が露出して見える。後日の神経痛を防ぐため、そこをやっとこ状の手術具でできるだけひっぱって、切っておく。さすがの曹長もタオルが噛み千切れるほどの絶叫をあげ、全身をくねらせると失神した。
 腐った肉をつけたままの、五センチぐらいの脛と足が床に二本捨てられ、今は棒のようになった足の先は、す早く縫合されて包帯が巻かれたが、どんなに厚く巻かれても、血はにじみ出していた。
 それでもともかくこれで、友広曹長の生命は助かったのだろう。しかしもう自分では歩くことは勿論、立つこともできない。彼はまだ若い。今後どうして生きて行くつもりだろう。医術というものは残酷なものだ。これまで黙々として仕事をしていた松川軍医が衛生兵にいった。
「顔に水をぶっかけなさい。このまま眠らせると出血が多いから、危ないことになる。今日から二日ぐらいは、苦しむだけ苦しませておく方が回復のためにいい」
 ぼくは周囲の状況に関係なく、物語を追って行く。バスチャンが美しい女中を酒場の階段で捕まえて、むりにキスして誘惑する。そして二人は仲良くなり、友だちをおいて逃げるヤマ場にさしかかっていた。
 水をかけられた曹長は意識を戻した。当然ひどい苦痛もまた一緒に戻ってきただろう。
 それでも彼は最初に首をむりにぼくの方に向けた。聞いているということを示したいのか、それとも話しつづけるぼくに感謝をあらわしたかったのか、むりに笑って見せようとした。

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