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黒パン俘虜記3-4
日期:2018-10-26 23:17  点击:266
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 ぼくの好きな岡本かの子の小説の題名のように、季節は、『やがて五月に』なるころのことだった。この季節には、ぼくは、一昨年の二十歳のときは、北シナの山野で八路軍との討伐戦の最中であった。二十一歳の年には、メーデーを前にしての猛烈な労働の中で死物狂いに働いていた。二年ともよく覚えているのは、ぼくの誕生日がそのころであったからだ。ただし二年とも自分で気がつかない間に誕生日をすごしてしまった。だがこの二十二歳の年は環境がよかったので、はっきりと誕生日を意識してすごした。別に誰にいうことでもないし、誰からも特別のことは何もされなかったが、少し早目に仕事を終えて大部屋に戻り、ゆったりとくつろぎながら、心の中で一人でハッピーバースデイを唱った。もうこのころは外の雪は殆ど消えていた。
 代りにほんの小さい芽だが、僅かの緑が、無限に続く荒野のあちこちに顔を出していた。八月の終りには、朝夕の寒さのため黄色く枯れてしまう、短い生命の草だったが、それでもこの酷寒の地に春はまた確実にやってきたことを示していた。
 ぼくは部屋で毛布をかぶって寝そべりながら、思いがけなく得た今の幸せな境遇を心の中で噛みしめていた。連日戸外で強制労働に従事している俘虜の仲間に比べたら天と地の違いだ。ただこれがいつまで続くかは分らない。ともかく頑張ろうと思った。御馳走も飲み物もなかったが、二十二歳の誕生日の夜は心豊かな思いで眠りに入った。
 翌朝、おかしなことが起きた。
 カツライスの夢を見ていた。
 やや幅の狭い長い皿に、一すみにアルミの型抜きで抜かれた花弁型の白飯が、湯気をたててのっており、切り刻んだキャベツを境目にして、その先にトンカツがある。五、六片に細長く切られており、切口にはピンクの薄い肉片と、波型になって必ずしも肉に密着しておらず、ところどころに隙間があいた狐色のころもが回りを囲んでいる。
 ぼくはフォークを突き刺して口へ運ぼうとするところで、このような夢の定式通り、目がさめた。だが考えてみるとどうも完全には目がさめていないようだ。今のが夢とは判りながら、まだ半々ぐらいのところにさまよっている。下腹部が妙に甘ったるかった。手は自然にそこをまさぐっていた。
 そこには信じられないような現象が起きていた。しかし作業が苦しいわけでなく、食事も毎日、好きなだけは自分でよそって喰べられる。二十二歳の年の青年にとっては、その現象は当然のことであったかもしれない。
 幸いまだ不始末をおかしていない。事前に半分目がさめていてよかった。
 あたりを見回した。
 起床時間よりは大分早い。
 内勤の医師や、事務職の人々は、深い眠りについている。五月でもこの国の朝は寒いが、幸い自分の好きなだけの毛布をかけることができたし、建物はコンクリートに、二重のガラス窓だったので誰も皆温かそうに眠っていた。
 また毛布を肩までかけて、眠りを続けようと思ったが、一旦昂奮のようすを見せたものは、そのままでは納まりそうもなかった。
 タオルや塵紙のたぐいも、ここではかなり潤沢に支給されている。
 欲望を発散させる異性の居ない境遇では、これも仕方がないのではないかと、自分を納得させながら、まさぐっていた掌を上下の軽い運動に代えた。ついでに頭の中の幻想も、今までのカツライスから、女性に代えてみた。白い裸体、胸のふくらみ。両腿の間の湿った秘密の谷間。ところがそれらのイメージは、少しも快感を補助してくれなかった。あまりにも現実に遠すぎて、しらけてきてしまうのだ。そしていつのまにか、頭の中は、先ほどまで夢に見ていた、カツライスの幻想にまた戻ってしまっていた。軽く上下する掌の握りぐあいと、ころもが浮いているカツのイメージがぴったりあって、急に快感が増してきた。女体の幻想はとっくにどこかに消えてしまった。想像の中で、その一片が口の中に入った。ころもがこわれ、肉汁がしみ出しながら、ピンクの豚肉が口の中に消化されていく。ソースの味もしてくる。うまい! 肉は口の中で砕けてゆく。
 突然、昂《たか》まりきったものが爆発し、先端からおびただしくあふれるものがあった。
 あわてて、タオルで始末したが、終ってから、やはり猛烈な反省に捕われた。これが女体への幻想であふれてきたのだったら、正常な生理現象だが、カツライスで射精したというのは他人には絶対に言えない恥かしいことだった。自分自身でも気が違ったのではないかと心配になってきた。あまりの飢餓の連続で、体内の条件反射の機能が狂ってしまったのではないか。体力の回復はいいが、こんな風になってしまうのでは少し情ない。(もっともその後、誰も皆同じような現象を起したことをきいて、やっと安心した。)
 そしてもう一つ反省もわいた。
 多少現在が順調だからといって、これをもし毎日の習慣としたら、急速に体が参ってしまうに違いない。もしどうしても、止むを得ず内心から突き上げる衝動が起って処理しなくてはならないとしたら、せめて一週間に一回以内にしようと決めた。決めたことを実行する忍耐力はあるつもりだ。
 月曜日は新脚本ができて公演する日だから夜になると気持がゆったりする。もし自然の衝動に耐えられないとしたら、実行は必ず月曜日の夜にしよう。ただし人には言えないこの楽しみをできるだけ豪華なものにするため、想像の世界では思いきり浮気してやろうと思った。何もカツライスだけに操をたてることはない。来週はカツ丼あたりはどうだろう。次は親子丼。その次がカレーライス。その次の週あたりは天丼にしようか。こんな浮気は誰にも害を及ぼすわけでなく、恨まれることもない。
 毎週一回の公演の方もそれから、乙女の湖、ミモザ館、巴里祭、残菊物語とロマンチック路線が続きますます快調であった。同時に月曜の夜の浮気の方も、親子丼から順調に天丼まですすんだ。
 その天丼はくるま海老二本といかと、貝柱のかき揚げの豪華な上天丼で、飯の上の天つゆもいい味加減であった。
 天丼のときの演目は、溝口健二の名作、残菊物語で、名門の御曹子役者と、女中のお徳の悲しい恋は、翌日から病院中を沸かす大人気《ヒツト》になった。その三日目が五月の二十八日だった。
 昼すぎに、中庭に三台のトラックがついた。ぼくは全然知らなくて、右翼の内科病棟の一室で、午前の二度目の公演をやっていた。
 騒ぎは前庭の見える窓際の部屋から、まるで津波のように拡がってきた。
「トラックが三台も来てるぞ」
 既にそれが異常なことであった。蒙古兵が剣付鉄砲を持って、何人か飛び下りたのも、いつもと全く違う。ガラス窓にしがみついていた目の敏《さと》いのが悲鳴のような声を上げた。
「吉村隊長が乗っているぞ! 暁に祈るであんまり殺しすぎて人が足りなくなったんで、自分から受取りに来たんだ」
 患者たちにはそれは大変な衝撃であった。吉村が直接来ているという一言が病院中をパニック状態に陥らせた。多くの患者たちは、あわてて自分の部屋に逃げ、毛布をひっかぶり、ことさら苦しそうに唸り声を上げたりしだした。全く平気なのは、既に足や手のない五十人以上も居る不具者だけであった。
 ぼくも、それ以上公演を続けていられず、途中で臨時に切り上げて、事務室の方へ戻ろうとした。こんなときでも、身分は保障されているつもりだったから、ぼくだけはまだ不安はなかった。
 ふだん廊下にいる蒙古共和国側の管理人の医師や事務職員には、かなり早くに連絡があったらしく、病院の回りにある自分の官舎にみんな姿をかくして一人もいない。
 ぼくが事務室に戻ると、そこも外からぴったり鍵がかけられて戸の前に剣付鉄砲の歩兵が、きびしい顔で立っていた。その戸を閉めきるまでに間に合わなかった二人の事務職員と、ぼくとの三人は、もう中へ入ることができない。
「ドワイ、ドワイ」
 扉の所から追い払われる。そこへ吉村隊付きの蒙古共和国の将校がやってきて、ぼくら三人も、患者と一緒にトラックに乗るんだと指示した。三人ともことの意外さに、呆然とし、猛烈に抗議したが、頭から相手にされなかった。
 吉村は、もう足や手を切断してしまったため、病院から出て行かないと決った患者が安心して思いきって投げつける罵倒《ばとう》が気になるらしい。玄関まで来たが、中には入ってこなかった。代りに吉村隊の管理者側の将校や下士官が我物顔に各病室を歩き回り、次から次へと指名して、荷物をまとめさせ、下に預けてある軍服に替えさせていた。三台のトラックなら詰めこむと、百五十人は入る。
 治って軽作業に従事している内勤兵は、根こそぎだったが、とてもそれでは足りるものではない。少しでも歩けそうなものは、ひきずり起された。五百人の中から百五十人も持って行くのだ。無理を承知でのことであった。
 ぼくら三人はやがてその兵士の一人に付き添われて、三階の内勤職員室まで上って行き、部屋に置いてあった北シナ派遣軍の現役兵当時から着ていた、古いつぎはぎだらけの軍服に着せ換えられた。いつもは賑やかで平和な談笑があった三階の部屋には、もう誰一人残っていなかった。他の人々は直前に連絡を受け、皆職員室の扉の中に駆けこんで無事なのだ。
 これは彼らを一般患者と間違って、吉村隊の歩哨たちに持って行かせないようにするための病院側の、す早い対抗手段であったのだろう。意識的か、連絡が間に合わなかったのか、二階の部屋で公演していたぼくと、患者の部屋にいた事務員が二人その選に洩れてしまったのだ。紙芝居の台や絵は、ここの病院の物なので、三階の部屋においてくるより仕方がなかった。先日あの激しい手術を見せられた友広曹長が今ではうらやましくて仕方がなかった。
 もう一つ辛いことがあった。
 多くの兵士に交って、ぼくも中庭に集合した。昨日まで、ぼくの公演の回ってくるのを喜んで、さまざまにお世辞をいったり、褒めたたえてくれたりした人が、列の中にぼくが交っていても、まるで知らぬふりをしている。中にはむしろざまあみろというような、軽蔑の目で見る者もいる。誰一人声もかけてくれない。勿論誰も他人のことなど考えてはいられない。それどころではなかった。明日から確実に急速に近づいてくる、疲労死、処罰死、にどう対抗して生き抜いて行くか、その怖れだけで一杯であった。
 列を正したり、車に乗せたりするのは、体の強そうな吉村の部下の日本人の仲間たちであった。そろって六尺棒を持っていた。遠慮して病院へは入ってこなかったが、前庭ではもう言いたい放題であった。
「よう長いこと、ごくろうさんでしたな。随分ぶったるんで、白米の粥をたらふく喰べて楽しい思いをしただろうが、もうそうはいかんでえ」
「これからは地獄の一丁目があって、二丁目がねえところよ。もう一度生きて戻りたいなんて思うなよ。戻りたいなら、仏様になってからだからな」
 百五十人の元患者は、うなだれて物もいえなかった。やがて棒に追いたてられて、トラックによじ登る。荷台に坐る余裕はなかった。
 立ったまま、回りから押すようにして詰めこまれた。満員のトラックが急に走り出したが、隙間なく詰めこまれていたので、落ちこぼれたりする者は出なかった。荷台の四隅には棒を持った連中が乗って、両手を拡げて人々を支えながら睨みをきかせていた。誰ももう病院を懐かしんでいられない。早く諦《あきら》めてしまって、これからの生活のことを考えなくてはいけない。あれはひとときの夢だったのだ。
 車が激しく揺れると、服や装具や、まだ熱のとれていない汗くさい体がこすれあった。
 誰かがふと冗談めかして
「うんめいーは、したがうものをー」
 といいかけたが、しらけてしまって笑いも囁《ささや》きも起らず、途中でやめてしまった。とても冗談をいえる雰囲気ではなかった。
 突然ぼくの頭の中には天丼のことが駆け巡った。後四日たったら、また月曜日が来る。先日は天丼で思いきり楽しんだ。大量のものがほとばしり、快楽の感覚は甘く切なく限りなかった。そのことが終った後、そうだ来週こそは待望の鰻丼の幻想を頭の中に画《えが》こうと決めていた。
 大串の鰻の肉が厚ぼったい。皮の裏が、少しはがれて紫色の脂肪の裏面がのぞいて見える。飯は丼《どんぶり》に山盛りに盛られている。三分の二ぐらいは、タレがかけられて褐色に色がついている。炊きたての飯だから、湯気がたっていて、そこに焼き上ったばかりの鰻の肉がのると、汁が少し蒸発する音が聞こえる。
 これなら上下にこすっているうちには、幻想は甘くふくらみ、これまでに味わえなかった最高の快美感が押しよせてくるだろう。
 惜しいことをした。
 明日からきびしい作業場で、肉体が酷使されれば、体力は極限まで衰えて二度とこんな幻想の世界で一人遊ぶことは許されないだろう。カツライスから始まった誰にも言えない秘《ひそ》やかな浮気もついに鰻丼まで行けず、天丼で終りをつげてしまった。これで生命もすぐ燃えつきるだろう。
 走って行くトラックの上で立ったままのぼくは、人と人との圧力で体を支えられながら、限りない痛恨の思いを、噛みしめていた。

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