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中学二、三年のころだから、大東亜戦争はまだ始まっていなかった。
何新聞の主催か忘れてしまったが、第一面に『日本最初の野外劇・松竹スター陣総出演』という広告記事が連日のように、のせられた。日米開戦はまだでも、日中戦争が始まってもう三、四年はたっていて、国中は戦時色に塗り潰されていたころだったので、これはかなり派手できらびやかに感じられる催物だった。
そのころのぼくの身辺はすべて男だけの、武道、教練などの硬派の色気のないものにとりまかれ、毎日身心を絞りつくされていた。その反動で、映画、演劇、音楽などの芸能に、かつえるように憧れていたぼくは、その日を待ちこがれた。
入場無料、但し先着順で、満員の際は入場しめきりということだった。
そのころぼくには、両親や友人には、全く内緒でつき合っていた少女がいた。中学のある場所の近くの高等女学校の生徒だが、歌手を志望していて、それはまあ、当時だったら、不良少女ということだった。それだからこそ、並んで歩いているところを、巡査にみつかったら、交番に引きずりこまれて、ゴムタイヤでこしらえた鞭(通称チョコレート)で半殺しにされることが分っていても、ぼくが、ある秘密の方法で連絡すると、一緒に歩いてくれたりした。もっとも人目のあるところでは、他人のふりで少し離れて歩く。
その日は日曜日であった。自宅の近くの駅で待ち合せ、一緒に水道橋駅を下りて、二メートルぐらい離れて、お互いに充分に相手を意識しながら歩いた。
ぼくはこの少女のことを俘虜になってから、この日までなぜか全く忘れていた。後楽園を思い出して、急にまざまざと思いだしたのだった。
開会は午後五時だったが、昼にはもうスタジアムを、人々が一回りしていた。
列に入ったときには二人は並んだ。セーラー服の襟の上に揺れる髪が、ときどき風でこちらの顔の近くまでくるのを、心の中で楽しく思いながらも、周囲を厳重に警戒して、お互いに一言もしゃべらなかった。巡査や、補導係でなくても、若い男女が話でもしていたら、かならず近よってきて、文句をつけ、説教したり殴ったりする大人は沢山いた。それが時代の風潮だった。
中学生のくせにアベックでいるなんてことは、どう考えても許されない稀有《けう》のことであった。
男の半分ぐらいはカーキ色の服で、学生の制服も教練服で黒は少なかった。背広の人は少く国民服が大部分であった。女はさすがに、自己主張が強いのか、ワンピース姿の者がかなりいたが、その模様は地味だった。妙な形の膝までの半ズボンの女性の一群がいたが、それは明らかに目白にある女子大の学生だった。もっとも大半の人は、その奇妙な不恰好な制服を知らない。女の半ズボンなんて、腰がやたらに大きく見え、そこに靴下ばきのふっくらした脛《すね》がむき出しで、アンバランスで奇妙なものだった。どこの学校の娘なのだろうと、皆が好奇の目を注いでいた。
本来なら待つ間も長く退屈であったろうが、すぐそばに少女が立っている。話しかけることこそできないが、何気なく掌が触れたり、風が石鹸とクリームの匂いを運んできて、ぼくはとても幸せだった。列の中の人々にも、この二、三年の日本人には見かけられなかった華やいだものが漂っている。
野外劇の演目は『暁に祈る』だ。
出演者は先年の『愛染かつら』の超ヒットで、当時人気女優のトップであった田中絹代を初め、徳大寺伸、桑野通子など、日ごろはスクリーンでしかお目にかかれぬスターたちばかりだ。その実物にたとえ遠くからでもお目にかかれるというので、開場を待っている行列の期待は、時間とともに高まるばかりである。
あまりに人が多すぎたので、どこからか苦情が出たらしい。四時の開場がくり上げられ、三時になった。入口があけられ列は中に吸いこまれて行く。ぼくは、相当早目に来て前の方に並んでいたつもりだったが、誘導員のかなり不公平な指示で、外野の最上階の方へ追いたてられるようにして坐らされてしまった。何事も軍が幅をきかせていた時代だから、内野席は出征軍人家族にでも、あらかじめ割り当てられていたのかと思って我慢した。それに混雑のどさくさにまぎれて、白昼堂々と、少女の手を握った。どうせなら、後ろから人に見られたりしないようにと、すすんで最上階の席を選び、スカートの布地から相手の腰のふくらみが感じとられるぐらいに、体を押しつけて坐った。
こんなこともあるかと思って、父親が大事にしていたツァイスの双眼鏡を秘かに持ち出していたから、スターの顔を見るのには差し支えない。
歌手志望の少女は、自分にもやがてやってくる将来を、この催しごとの中で夢みているようだ。セーラー服の胸が、大きく上下し、目は、まっすぐグラウンドを見つめている。
席が決ると双眼鏡をズックの鞄《かばん》から出して、グラウンドを眺めた。野外劇だというので、簡単なセットぐらい作ってあるのかと思っていたら、そんなものは何もない。イギリスで行われるシェークスピヤの野外劇とまでいかないにしても、それに近いものを想像し、半ば勉強のつもりでやって来たので、かなりがっかりした。何かはぐらかされたような意外さも拭《ぬぐ》えない。
少女の方にはそんな気持はない。足もとから、人目をはばかって、そっと手渡された双眼鏡を目にあてると、一人で昂奮していた。
「わあー、すばらしい。あそこにスターの人たちが出てくるのね」
グラウンドのピッチャーの場所を中心に、二十メートル四方ぐらいの板の台が置かれていて、前方に六角形のマイクが一本、後ろに二十脚ばかりのパイプ椅子が並んでいた。
ただそれだけの、何もかもむき出しの寒々とした舞台であった。それでもぼくの周辺は温かい空気が濃密に包んでいる。女の子が一人いるだけで、人間はこんなにも幸せな気分になれるものだろうかと、世間のすべてが殺伐としている時代だけに、ぼくはもう深い感動のようなものに打たれていた。
やっと五時になった。
スターたちがベンチ席から一人一人出てきた。双眼鏡をのぞいていた少女が
「わーっ、キヌヨだわ!」
と叫ぶと、もう人目も気にせず、ぼくに双眼鏡を押しつけて
「ほら見て、見て」
とはしゃいだ。さすがにアルプス席最上段でも横の席があり、じろりと睨まれたが、ぼくはもうこうなったら、どうなろうとかまわない気持だった。
レンズには、田中絹代の女神のような優しく美しい顔、桑野通子のシャープな利《き》かん気の顔などが見えてきた。女たちは振袖の派手やかな着物を着ている。それに比べて、男優陣は背広に戦闘帽にゲートルという姿であった。
野外劇という前触れだったが、彼らがやり出したのは、近く封切る『暁に祈る』という映画の台本の一部を、交替でマイクの前で、その役の人間が朗読するだけのことであった。
特に男女二人のからみでは、頬を触れ合う近くで声を出さないと、マイクに入らない。何万人の客はそのたびにどっと沸きたつ。当の男女俳優も、台本さえ目で追っていればすむこの安易なショウに気を許して少し悪のりしていた。観客たちも、久しく目にすることのなかった振袖姿に、一種の熱狂状態になってしまった。双眼鏡を持って喰い入るように女優の顔を見ていた少女が
「大変、大変、見て」
とまたぼくに双眼鏡を押しつけた。レンズにアップされた女優の顔には恐怖の色が浮び、後ろに坐っていたスタッフたちも、総立ちになって女優の回りを囲む。瞬間、憲兵たちがこのだらけた俳優たちを捕えに入って来たのかと思った。
それは考え過ぎだった。
熱狂した群衆の一部がスタンドからグラウンドの土の上に飛び下りて、声を上げて仮設舞台に向って駆け出して行く。多分、最初はほんの四、五人だけだったのだろうし、特別の考えはなかったのだろう。ふだんスクリーンでしか見たことのないスターたちを、できればそばでもっとよく見てみたい。手で触ってみたい。そんな他愛のないことだった。大胆に飛び下りて行く群衆は男よりも、女性の方が多かった。
中央の舞台では背の高い男優がマイクに向って叫んでいた。夏川大二郎だった。
「やめてください。やめてください。時局がらを考えなさい」
なだれ現象が起った。
群衆は四方から飛び下り、我勝ちに舞台に駆けよって行く。日本最初の野外劇と称したこの映画の宣伝用のショウは始まってからまだ十分もたっていなかった。
男優や、後ろに控えていたスタッフたちは女優を守るため、円陣を作りパイプ椅子を振り上げた。
ついほんのちょっと前見た、アメリカ映画のバッファロー大隊の騎兵に似て、ひどく恰好はよかったが、双眼鏡で中心を見ていたぼくは突然許しがたい気持でカーッとなった。
中央にいた徳大寺伸の体に田中絹代がすがりついている。胸の中に抱かれている。怖し気に目を伏せた顔が相手の顔と触れ合い、もしかしたら唇がついているのではないかと、思わせるぐらいの異常接近だった。
この非常時に何ということだ。
「やめろ! やめろ!」
群衆にではなく、その二人、特にぼくは徳大寺伸に向ってどなりつけていた。
やがて係からの通報が届いたのか、各入口から何十人もの黒服の警官が、サーベルを片手で握り駆け入ってきた。とたんにグラウンド上の群衆は、一斉に逃げだした。元いたスタンドの席に駆け戻り、コンクリートにとびつくが、下りるときはたやすかったその塀もよじ登るのは大変だ。塀の上から手をさしのべて救《たす》けてやろうとする人は沢山いたが、女たちの大部分は追いつめられてうずくまり泣き出した。サーベルの鞘《さや》ごと、頭を殴られたり、背中や尻をひっぱたかれたりして、まとめて検束されて行き、マイクはスタンドの群衆にも、一刻も早く退場して帰宅するよう、叱りつけていた。押し合いながら出て行く群衆の渦の中だから、ぼくたちはもう大っぴらにお互いの背に手を回して離れないようにして階段を下りて行った。
ショウは見るも無残な失敗だったが、でき上った映画も失敗作だったらしい。愛読していた『映画評論』に、尊敬する評論家の清水晶が口を極めてこき下していたので、見にも行かなかった。