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ぼくは一瞬の思い出をなつかしく反芻《はんすう》しながら、もう先が見えている作業を気楽にやっていた。『暁に祈る』の映画は失敗したが、どういうわけか主題歌だけが単独で日本中に拡がった。軍歌ほどいかめしくないのに、詞は陸軍お好みの軍国事情を唱いこんでいる。出征、輸送船、傷ついた馬、語る情景がよかった。この甘いメロディで、今までのように港や、夜、恋など唱っていたら、この曲はねじ伏せられたようにして抹殺されていたろう。
戦場の一般兵士の間にあっというまにはやった。それでなくては、あの毎日の悲惨なリンチに、こんなしゃれた名前がつくはずはない。
特にここの作業場でよく唱われた。
吉村隊長が護衛を連れて通りかかるときに、例の悪罵に交って、山のあちこちから澎湃《ほうはい》として浄土宗のお念仏か、キリスト教の讃美歌のように湧き上った。
※[#歌記号、unicode303d]ああ あの顔で あの声で
手柄たのむと 妻や子が……
小さな声であったが、それでも全員が山の肌で、鉄棒を振いながら一斉に唱い出すと、地の底から湧き出す怨念《おんねん》の唄になった。冬の処罰者は必ず全身凍傷にかかり死ぬ。これまで『暁に祈る』で何人が死んだろうか。ぼくはその紫色にふくれた死体を病院で何人も見ている。
ようやく夕方になった。
作業量の検尺が済むと、山を下りて行く。夕食の分配を終えて、空腹に詰めこむと、休む間もなく、すぐ夜の仕事が始まった。
夜は警備上の問題もあるので、作業は室内で行われる。
この国にいる人は冬場は、兵士も、一般人も、俘虜も、すべて煙突のようなカートンカという靴をはく。素材は羊毛の屑を機械で圧縮したものだ。足首が曲らないので、馴れるまではひどく歩き難《にく》い。その代り新品は縫目がないので隙間から冷たい空気が入らず、凍傷予防にはいい。
このフェルト靴にも、一つだけ弱点がある。氷が硬く凍っている真冬ならいいが、春先にとけかけ地面が濡れてくると、底のフェルトは、ボール紙と同じに濡れて、崩れてすりへってしまう。
結局毎年の春には、脛の煙突部分は一つも痛んでいないが、底がすり減り穴があいた靴だけが何十万足も残される。底板さえ新しいのを縫いつければ二年目も使える。これが国中の俘虜用カートンカになった。
夜の作業は、その底板を縫いつける作業であった。
ぼくらはまず、新しい底板の周辺に錐《きり》で穴をあける。本体の一部を裏返しに曲げてあてて糸で縫いつける。錐も針も、材木を結びつけてあった針金を拾って、石で研《と》いで、自分で作る。糸もその形で支給されるわけではない。麻袋のわりあてがあり、その横糸をはしからほぐして、何本か縒《よ》り合せて、縫糸にするのだ。
この作業も定量をやり終えなければ、勿論処罰があるのだが、おくれても、所内に一カ所だけ、油をともして明るくしてある場所があるので、皆が眠ってからはそこに行って、一晩中かかってやればいい。滅多に処罰者が出ない唯一の定量仕事であった。
ぼくは早目に二本を終えた。もう眠るだけだ。横になった。昨夜はあの民団の、純文学のおっさんの『暁に祈る』に目がさまされて、少し眠りたりなかったので、忽ち深い眠りにおちいった。
ところが、その夜変なことで目をさました。音でも動きでもない。匂いだった。パンの匂いがする。明りも消えているので、よく見えないが、少し先の寝場所に一人の男が端然と坐っているのが分った。パンを喰べているのだ。
回りの人はそちらを見たり、半ば首を向けているが、男は一言も口をきかない。
パンの事は、個人の大事な私事だから、お互いに口を出さないことになっている。その男は膝に二キロの煉瓦型丸一本を抱えて、はしからちぎりながら、無心に喰べていた。
ぼくからの距離で、嘉村礒多や葛西善蔵を熱っぽく論じた、あの民団のおっさんと分った。人々の視線も怖れず、正座し、黙々としてパンを口に運ぶ姿には、もはやいかなる者もよせつけない鬼気迫るものさえあった。
「どうしてパンが手に入ったんだろう」
匂いが空腹を刺激する。隣りの兵士にたずねた。
「ライカをかくし持っていたそうだ」
「カメラを」
「若いときカメラ道楽だったらしい」
「相当な金持だったんだな」
カメラなんてそう誰でも持てるものではない。ライカなら一台で三軒続きの長屋が買えるほどの値かもしれない。反対側に寝ていた元下士官が、ささやいた。
「これまで荷物の中にかくしておいたらしい。さっき食事分配のときに、水運びに来たシナ人の人夫に手渡しているのを見た。代りに一本パンをもらったそうだ」
「どうせこのままじゃ、また罰を喰う。自分で体力をつけて生きのびようと考えて、ライカを売ったんだろう」
多少は人々がしゃべるのも耳に入るのだろうが、その人は一切きこえないようだった。ぼくは、そういえば、加能作次郎なんて、全くきいたこともない作家を妙に褒めていたなーと、改めて数日前の思いがけない冗舌の文学論議を思い出した。黒パンの醗酵素の強い匂いが、空気の中にこもるので、ぼくはこの夜もまた寝付けなくなった。彼は約三時間かけて、ゆっくりと二キロのパンを喰べてしまった。膝の上に散ったパン屑も一つ一つ丁寧につまんで口に入れた。
それから立ち上って出て行った。上からたっぷり入れたので、下から出したくなったのだろうと誰も気にしなかった。
パンの匂いが消えたので、ようやく安心して眠りに入れた。そのまま彼のことを忘れてしまった。
明け方の起床の号令がかかって、朝の川っぺりの作業に行こうとしたとき、人々は初めて彼の意図を知った。第一兵舎の窓の手すりに綱をかけ、首を吊っていた。
死体は見せしめのためか、そのままにしてあった。横目で見ながら、今日も定量以上の朝の余分な作業で、もう冷たくなった水に入りに行く仲間にとっては、その覚悟の死はむしろ羨ましいものに思えたようだ。ぼくには純文学が好きで、多分写真も好きだったその人の死は、分身を失ったようでひどく悲しかった。