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九月も二十日に近くなると、急に冬の気配が濃くなった。僅かに見えていた緑は、黄色く枯れ、それも地面に吸いこまれるようにして無くなってしまった。
この国で迎える三回目の冬が近づいてくるのが、身にしみて分った。
ぼくは働きながらしょっ中考えた。これから急激に増してくる寒気の中で、果していつまで作業定量をやり抜いて生きて行けるだろうか。石の山の見かけの立方米《リユウベ》を増すインチキも、土が凍って石以上に固くなり、鉄棒を当てて、火花が出るようになったら、もう不可能だ。去年の病院勤務での死体の穴掘りでよく分っている。
あらゆる条件を頭の中に入れて分析してみた。多分十一月まではぎりぎり頑張れるだろう。しかし軍に入る前に労働を専業としていたことがないので限界がある。冬を越して来年まではまず不可能だ。いずれ処罰の網にひっかかる。
そのときは、すりきれて、下にふんどしもしていないズボン下に、薄いシャツ一枚で、電信柱につながれ、明け方『暁に祈る』だ。多分、父や母の名や、弟妹たちの名など呼ばないだろう。『暁に祈る』の野外劇を一緒に見に行った少女の名を呼ぶかもしれないが、いかにも未練がましい。できれば、日本軍人だから、最後の絶叫は、心をこめて「天皇陛下万歳」といって死にたい。皆の耳にとどき、眠りをさますぐらいに大きな声を出してから、野垂れ死にしてやりたい。
はるか祖国におられる陛下のお耳に、忠勇の赤子、ここにありと、お知らせしたい。
そう心を励ますと、一時の安心を得られるが、忠誠なる尊皇の心情がひょいとゆるむとすぐに、病院で勤務していたとき、ここからトラックで運ばれてきた沢山の全身凍傷のむごたらしい紫色の体が思い浮べられて参った。
そんなことばかり考えているうちに、どうせ全身凍傷で苦しんで死ぬなら、思いきって脱走してみようかと考えるようになった。
駄目でもともとである。
作業のあいだ、しきりにあのフランス映画のシナリオのなかの場面が明滅する。
それはボロ布を着て、只ひたすら逃げて行くぼくの姿に重なる。
映画ほど甘いラスト・シーンはなくても、生き残れる手段が千に一つ見つかるかもしれない。
処刑されるよりはましだ。
それにもう一つ、学生時代、本郷の帝大前の古本屋で自家出版して、申込者にだけ分けてくれた河口慧海の『西蔵旅行記』も思い浮べた。
手に入れたときは、あまりの嬉しさに七百頁の本を一晩で読んでしまった。
そしてその後、何度も何度もくり返して読んだ。あの人だって、たった一人でヒマラヤを越え、チベットへ入ったではないか。それにもともと、中央アジヤや、シルクロードは少年時代からの憧れの土地ではなかったか。今、その土地のはしにいて、何も逡巡《しゆんじゆん》することはないではないか。
蒙古語だっていくらかは分る。
まっすぐ南へ向おう。歩いて歩いて、歩きぬけば、やがては尽きなん蒙古の砂漠だ。
要は途中の食物さえあればいい。
この蒙古共和国の都ではだめだが、都を離れて集落へ出れば、蒙古人の天性として、旅人を非常に大事にする習慣がある。どこかで少し働いて、何回分かの食糧をためる。そして旅を続ける。
最初の何回かの僅かの余分の食糧さえ都合がつかないのに、そこを飛び越して考えると、何だか、この中央アジヤ突破行が可能のように思えてきた。
勿論、脱走は、ここでは最大の犯罪として重く罰せられるが、その処罰が吉村の手を通り越して、北の宗主国の刑法によって処断されるということが、却ってぼくに甘い期待も持たせたのかも知れない。あの白人たちが収容されている牢屋の、洗面器に入っていたスープの中の肉の塊りは、思い出しても、唾が出てくる。
どうせ天皇陛下万歳を叫ぶなら、吉村隊の『暁に祈る』の電信柱でなく、軍事法廷の銃殺柱の前で叫びたい。ぼくの大学の先輩の脇光三と同じように目かくしを拒否し、何か敵国の赤十字に寄付してから、一杯酒を飲んで恰好よく死にたい。
勿論これまでも逃亡者はいたが、大概、歩哨に見つかって射殺されていた。しかもそのたびに塀や門があちこち補修されて、この収容所からの逃亡はひどく難しくなっている。それでも一旦、死を前提にして腹を据えてしまうと、さまざまの方法が浮んでくる。
収容所よりは作業場の方がずっとやり易そうだ。やり損なったら死んでもいいなら機会は幾らでもあった。
九月の二十日に入って、急激に寒さが増して、特に朝の川の作業は腹の中まで冷えこんで辛い。
多分定量未遂はこの作業で出る怖れがある。手がかじかんで、針金を切る石が上手にぶつからない。今でさえ作業はおくれ気味だ。もう実行する時期が来ている。できるだけ収容所から離れた場所から逃げ出す必要がある。それには石切り山の作業場から飛び出すしかない。作業定量の検尺がある六時より前は無理だ。検尺が終るころは、もうあたりは薄暗くなっている。広い山のひだの間にかくれてしまえば、皆が誰も気がつかないで収容所へ戻ってしまう確率が高い。もしその時点で騒ぎたてられたら、下痢で止むを得ずしゃがんでいたことにして、物かげからズボンをひっぱって出て行けばいい。
連中が川を渡りきるまで気がつかなければ、すぐ反対の方向に走り出すことに決め、二十二日に決行することにした。
定量一|立方米《リユウベ》の石山を積み、蒙古人検査官の検尺を終えると、小便するふりして後ろの山陰へかくれた。全員はもう薄暗くなった山を、ぞろぞろ下りて行く。下で整列して、浮橋を渡って帰って行くのが見えた。
別に気づかれていないようだ。五列になって細い橋を渡って行く。
これで収容所に戻って食事が始まるまでの一時間はまず安心だと分った。ただし、もう取り返しはつかない。この収容所の兵の目の届く範囲で逮捕されるとまずい。蒙古共和国側がミスを内済にするため、吉村とその親衛隊の手に罪人の身柄を預ける怖れがある。この場合が一番怖しい。まず半殺しにされた上で『暁に祈る』で確実に不名誉の死が訪れる。
闇の中を必死に走り出した。死ぬなら一発の弾丸で楽に死にたい。
九月の二十二日は、半月の夜だった。月が出てくるまでにも少し時間があった。外套を持ってこられないので出がけにできるだけ下に着こんでいた。
ともかくゴビを越えなくてはならない。河口慧海だって一人で西蔵へ入った。絶対駄目とはいえない。あの映画のシナリオだって、雪の中に小屋があり、ジャン・ギャバンは美しい未亡人と、夢のような楽しい日を送ったではないか。
ひたすら山を駆けた。
十キロばかりの平原を越えると、木材班のいる森林のある山脈がある。そのあたりはもう首都とはかなり離れた郊外といってよかった。
夜中に近いころ、やっとその大きい森のある山に近づいた。細い険しい道が続く。もし食糧があれば、一年や二年かくれていられそうな黒く深い森だった。空を見ると、水彩絵具のブリキ箱の絵でよく知っていた三つ星がちょうど頭の真上に、くっきりと光っていた。
考えてみれば明日の飯も持っていないし、冬の衣料もない、絶望的な状態でありながら、今まで自分を縛っているものから解放された思いで、心は浮々としていた。このまま山を出られずに飢え死にしても、きっと後悔することはないと思った。
山をどんどん登った。頂上近くまで行って、明日はゆっくり地形を見定め、太陽の位置から南を探り、まっすぐ駆け出して行こう。途中現地人の移動住宅の包《パオ》があったら、そっと近寄って、食糧を貰おう。
険しい登りも、苦にならなかったが、突然そんな太平楽な思いが根こそぎひっくり返る恐怖に襲われた。山の頂上から、赤ん坊が泣いているような悲しい声が長く尾をひいて聞こえてきた。今まで考えもしなかったので、背筋がいきなり凍りついた。
月に向って吠える狼の声だった。幾重にも山脈が重なっているらしく、その声は、山にぶつかり、三度ぐらいこだまする。この山ではなさそうだが、足の早い獣だから感づかれたら、もう助からない。これまで作業場から、彼らが遠くの尾根を並んで通り抜けて行くのが、くっきりとしたシルエットで動くのを見たことは何度かある。集団には近よって来ない。しかし一人や二人だと分ると、いきなり全部で飛びかかってくるそうだ。一ぺんに七十二発の弾丸がとび出す短機関銃《マンドリン》を持っている兵士でも、三人以内では、喰い殺されてしまうことがあるらしい。ましてたった一人で、何の武器も持っていない。
銃殺柱で、目かくしを拒否し、赤十字に少し寄付して、最後の酒を一口飲み、天皇陛下万歳というのは難しくなった。ましてウイグルや天山に逃げることはもっと難しい。狼に喰われると思うと、急に空腹になってきた。朝喰べて以来、何一つ口に入れていない。今ごろ仲間たちは、四分の一の黒パンをもらって、少しずつかじっていることだろう。
後悔してはいけない。自分が選んだ道だ。ただ狼にだけは喰われたくないと思った。
自分が腹の皮がくっつきそうなほど空腹なのに、他の動物の飢えをみたしてやることが面白くない。身動きするのをやめて、かたわらの木の根っ子にうずくまった。動きさえしなければ感づかれる危険は少くなる。
木によりかかり、足をのばした。寒いが疲れていたのか、いつのまにか眠ってしまっていた。
気がついたときは、空に陽が高く登って、木々の葉末から、黄金色の光りをこぼしていた。
立ち上って歩きだしたが、もう足がまともでない。もともと栄養がないので、二食抜かすと体がもたない。病院の死体解剖室で働いていたとき、竹田軍医から見せられた、患者たちの大腸を思い浮べた。大腸のはしや、直腸に近いあたりは、体への栄養補給で消耗している。腸壁が、紙みたいに薄かった。中には腸が溶けて無くなりかけていた者さえいた。ふらついて歩きながら、内臓の一部を燃やして生きて行く。その燃料が、後何日続くか心細い。
むしろ歩いているうちに自然に倒れて死ぬんじゃないかという見込みが強くなった。だが最初に死んでもいいという覚悟を決めてやったことだから、途中で次から次へと見込みが違って来て思いもかけない死に方になりそうになってきても、少しも怖しくなかった。
辛くも悲しくもなかった。透明で無心の世界にいた。陶酔と恍惚だった。
足だけが本能的に自然に前に出て行く。それを止めようとする気も起きなかった。行動に対するコントロールは全部失っていた。
山の尾根に出た。向う側が見通せる。しかし同時にそこには三台のジープが並んで停っていた。当然脱走者が通る道に待ち受けていただけかもしれない。
兵士たちが、短機関銃《マンドリン》の銃口をかまえながら近づいてきた。いきなり後ろに回された両手が、もう持ち上らないほど高いところで縛り上げられた。つきとばされ、尻を蹴られるようにして、車の停っている前のやや平らな所に、車に背中を向けて坐らされた。車から普通の機関銃が下されて、地面に据えつけられるのが分った。
ああ駄目だ。
挿弾子がはめられ槓杆《レバー》が後ろへ引かれた。
すぐぼくの生命が消える。そう思ったとき、頭の中に浮んできたのは、肉親や友人の姿ではなかった。顔はたしかにあの歌手志望の女学生に似ていたが、彼女ですらなかった。ともかく平均的な日本娘であった。
生きて帰れることがあったら……そんなことはないに決っていたが……もし生きて帰れたら、若く美しい女性に振袖の着物を着せて、それをぼくは犯したいと、今まで考えたこともない思いが急に湧き上ってきた。振袖の裾が乱れ、赤い襦袢の間から、娘の白いすらりとした太腿が割れて拡がる鮮やかなシーンが強烈な色彩で目の中に浮び、頭の中を占領した。今だ。このまま死にたい。引鉄《ひきがね》がひかれた。弾丸が一列になって続けて飛び出す。それが分るのは当ってないのだ。足は縛られていない。立ち上って逃げ出すのを待っていたのかもしれない。
ぼくは動かなかった。逃げたって弾丸より早くは走れっこない。もう面倒だった。今頭の中にきらめく、春画のような幻想の醒めないうちに死んで行きたかった。最後まで体に当らず、ワンケースの弾丸はすべて空中に消えた。
二人の兵士がやってきて、何か蒙古語でいいながら、両肩を把むと、車の後ろの席へほうり投げられ、ジープはすぐ走り出した。
運転手の横の将校が振り向いた。
「通訳《ヘルミツチ》、久しぶりだな」
ぼくはその将校を知っていた。以前の収容所の特務の中尉だった。ズボンの赤線が鮮やかだった。
彼はいった。
「逃げたら処分できて、さっぱりしたのに」
ようやく人心地をとりもどした。
「また裁判ですか」
「それだったら、今度は二十五年は喰らうぞ」
暗い気持になった。するとニヤリとして、特務はいった。
「実は明日から、一斉に全員の帰還が始まる。この際、私も面倒な事件に巻きこまれたくない。どさくさにまぎれて、どこかの部隊へつっこめば、もう一度だけ助けてやれるかもしれん。運がよかったらだがな」
ぼくには二重の喜びが湧き上ってきた。生きられるかもしれない。日本へ帰れるかもしれない。そう思った瞬間、さっきの振袖姿のごく一般的な日本娘の顔が、急にあの歌手志望の女学生個人のものになり、想念の中で固定してきた。あてのない幻想が、現実に近づいてきた。
ジープは急な下り坂を猛烈な勢いで降りて行く。縛られたままのぼくの体は、中でバウンドして、何度か車外に落ちそうになり、頭や、肩、腹が固い扉に思いきり強くぶつかった。