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車と車との間には、運転席に坐っていた兵士たちが、小銃や短機関銃《マンドリン》をかまえて警戒に入ったが、夜の闇の中だから、各車の日本人同士が相互に大声で情報をやりとりするのまで防ぐわけにはいかなかった。
たいした根拠もないのに、さまざまの申し送りが前から、後ろから、次々と伝わってくる。
再びトラックに乗って走りだしてからは、ぎゅう詰めの立ちっ放しの車にも馴れたのか、急におしゃべりになった。話題の殆どが、さっき皆の上を流れて行き交った、情報の分析であった。
星空を見ながら一人が、まじめくさった声でいう。
「モスクワのスターリン元帥の所に、天皇陛下がお詫びに行ってくれたので、帰還がみとめられた。この道は蒙古共和国を出る唯一の道だ。おれたちは入ってきた道を逆に辿っている」
別な方向から、悲観的な説を述べる者の声が聞こえてきた。
「最近ウクライナ地方に、共産主義の弾圧政治を嫌う農民たちの、大規模な暴動が起ったらしいぞ。それで政府はその何百万人もの農民たちを根こそぎ検挙して、貨車に閉じこめ、全部シベリヤに送ってしまったのだよ。誰もウクライナに居なくなったから、暴動もなくなった」
部隊ごとにひどく能弁で説得力のある男が必ず一人や二人は居るものだ。
「……ところがウクライナは、世界の小麦の宝庫というべき沃野《よくや》だ。耕作する人が居なくなると、とたんにロシヤ中の人間がパンを喰うことができなくなってしまう。それ以上に困ったことが起きてきたのだよ」
トラックの中は、いつのまにか皆、このもっともらしい声の説明に聞き耳をたてて、静まり返った。
「……それは小麦の倉庫だ。根こそぎ中央に運んだところで、落ち穂は床にふんだんに転がって残る。畑にだって種籾《たねもみ》は落ちている。それを喰って鼠がやたら繁殖して手に負えなくなってきた。急に日本人俘虜が必要になった。日本人は鼠取りの名人だ」
皆は感心した。これは最も理屈に合っている意見だった。
ぼくたちが収容所から支給される食糧はどこでも労働に比べてあまりにも少なかった。それでもし倉庫や野原で鼠でもみつけたら大騒ぎだった。四、五人で追い回して必ず手把《てづか》みで捕えてしまう。すぐに皮を剥ぎ針金に串刺しにして焚火で焼いて喰べた。殆ど唯一の動物性蛋白質で、美味であった。これを蒙古焼鳥といった。俘虜たちの居る区域からは全く鼠の姿が見えなくなり、蒙古の警戒兵からその話が首都の市民に伝わり、鼠は日本人の好物かと問われることがよくあった。
「つまりウクライナで、鼠退治をさせるのだな」
「それでもいいさ。小麦がたっぷりあって、蒙古焼鳥の串刺しを思う存分喰べられたら、五年ぐらい帰還がのびても我慢する。おれたちはまだ若いんだ。人生は長い」
話題は俄かに活発になった。
ぼくは自分が知ってる確実な帰還の情報をわざと口にしなかった。皆はもっともらしく、どこか他の所へ行かされる話をして、ことさら帰還の話に触れたがらない。たまたま希望的観測をのべると、あわてて否定する説が出てくる。それには一つの心理的に複雑な作用が働いていた。
誰だって日本へ帰りたい。焼けつくような思いで帰国を望んでいる。
今まで何度も欺されてきているからもう信用できない……というより、信用していて外れるよりは、あてにしないでおいた方が、却って当るのではないかという、はかない希望で、考えていることとは裏腹のことを、わざと大声でいうのだ。
また四時間か五時間すぎたころ停車があった。尿意の限界時間を計算してくれている。
夜中だったが、そこでやっと食糧の配給があった。一台の糧秣《りようまつ》車らしいトラックが水の入った桶一個と、パンを十三個ずつ配って行った。五十人の俘虜に、運転手と歩哨一名の分で、兵士も俘虜仲間も公平に一人四分の一ずつのパンだった。
近くには枯れた草や、灌木《かんぼく》の茂みがあり、集められて火が焚かれた。ようやく人々は灯りの中で、顔を見合せた。集団は一たんこわされて、各車に別々に乗せられたようでも、顔見知りが多い。
「おまえがいたのか」
「ずっと一緒に行こうぜ」
なぞと喜びあったりしていた。ぼくは全く一人異分子で、誰も知人はいない。しかし全員が同じ隊の単独の部隊につっこまれたわけではないので、別にふしぎそうな顔はされずにすみ、自然に仲間に入った。
やや長い食事のための休止がすむと、警戒の兵はまた五十人の人間を荷台に追い上げ同じ旅が始まった。
四時間に一回の小休止。三回に一回の食事のための休止。パンは四分の一。水は飯盒の中に半分ほど。トラックとは別に給油車がついていて、絶えずガソリンを満たしては、走り続ける。運転手は警戒兵と交替で、二人が代る代る勤める。トラックの横腹には臨時に白ペンキで番号が書いてあり、その番号の並ぶ順序は絶対に狂わなかった。こうして毎日同じ順序、同じパターンで走り続けた。周囲が荒い石ころの灌木の台地から、途中丸二日ばかり、砂だけの本物の砂漠の真中に一本続く道を走り、また石ころの台地に戻った四日目、見覚えのあるなだらかな丘陵で、トラックはそれぞれ、頭を丘の頂上に向けて、左側から順に並んで停った。
「国境だ。おれたちが二年前に汽車から下りてトラックに乗った所だ」
覚えている者がいて、そう叫んだ。丘の頂上には、小屋があり、左右にバラ鉄線が張られた国境線になっており、その鉄条網は地平の果てまで続いていた。この四日間、ぼくたちは車の中からずっと回りの景色を見ていたのだが、白いフェルトの包《パオ》と、家畜を追って移動している蒙古共和国人の家族を、一回ずつ見ただけで、他には村も家も人間の姿も見なかった。
まだ夕昏《ゆうぐれ》には少し時間があり、頂上の小屋には、蒙古共和国軍の軍服とは少し型の違う軍服の兵士が、この何百台ものトラックの列を、珍しそうに眺めていたが、ぼくらも久しぶりの家と人がひどく珍しかった。やっと人間の住んでる所へ戻ったという安心感がわいてきた。
この集団の輸送長らしい蒙古共和国軍の高級将校が、分厚い折鞄を持ち、女性の将校の副官と一緒に小屋の方に登っていった。我々の集団は、相変らず車と車の間隔を二十メートルぐらいずつあけて、相互の人間の往来は禁止されていた。だがもう何度もの停車で馴れているので、すぐに近くの草や枯枝を集めだして、小さな焚火があちこちで始まった。ここまで来たら逃亡者ももう出ないと思ったのか、蒙古共和国兵の警戒は、そんなにきびしくない。
人間が横に移動して他車に交るのは注意されるが、縦にまっすぐ焚火の材料を取りに行くのは、殆どとがめられなかった。
ここでも車は正確に番号順に並んでいる。ぼくらの車はその中では、二百九十三番という後尾車だが、それでも後ろに当る右側に、三十台ぐらいはありそうだ。前を走っていた左側の車の列の先の方は大げさでなく、かすんで見えない。三百二十台とすると、ざっと数えてもやはり一万六千名を越す人々がここにいる。
首都で働いていた抑留者は一人残らず根こそぎ連れてこられたのだ。
左の方に停っている前の車から、また伝令の申し送りが来た。
「この車の番号が、明日から乗るシベリヤ鉄道の列車の番号にもなる。各自しっかり覚えておけ。日本へ着くまで、絶対番号を変えちゃいかん」
しばらくしてまた次の伝令が来た。
「明日の朝、一隊ずつ国境を越える。そのとき、五十一人でも四十九人でも国境を越えられないぞ。全員逆戻りで、今度は十年ぐらいは日本へは帰さんそうだ」
ここで初めて、シベリヤ鉄道に乗って戻るということが正式に発表された。人数に関しての指示より、このことで皆がどっという叫び声をあげ、広い丘のあちこちで、手をとって躍り上り、万歳をする者たちの姿が見えた。
そのときになってから、誰かがどこかへ消えてしまったら困るという気持が働いたのであろう。自発的に声が出た。
「なあーお互いに自分の隣りの人間の顔だけは覚えておくようにしようじゃないか。明日誰かが一人でも欠けたら大変だからな」
真顔で心配するのも無理はない。こうなったら、どんなに細かいトラブルも避けたい。ぼくたちは、それぞれ自分の近くの人間の顔をたしかめあった。
「おう、おまえアムラルトの紙芝居屋さんじゃないかのう」
一人の斜眼の、顔全体が少し歪んだ男が、焚火の向うから声をかけた。五百人以上も病人が詰まっていた病院だ。向うはこちらの顔を知っていても、こちらの知らない顔がいるのは、不思議ではない。
その男は親しそうによってきた。
「わいは途中から入院したので、アムラルト紙芝居は瞼の母から先しか聞いていないがの、あの番場の忠太郎はよかったのう。それ以前に収容所で、ジョン・ウェインの駅馬車を聞いたことがあるぞい」
「それじゃ、あの赤穂の小政さんの収容所にいたのですか」
「うん。あそこにいたでの」
急にいやな予感が体中に走った。できればあの怖しい連中に二度と逢いたくなかった。この男がここにいるなら、小政たちも近くのトラックに居るのかもしれない。
ぼくの恐怖感を悟ったのか、彼はいった。
「心配は要らんぞい。小政たちはずっと先の百番ぐらいの車での。わいも事情があって顔を合せたくないでの、わざと競馬場で姿をかくして、後ろの車に乗ったんじゃぞい」
この車ではぼくが唯一の顔見知りらしく、焚火の反対側から近よってきて、わざわざ隣りに並んで坐った。