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明け方の四時をすぎると、気温は一番低くなる。かなり我慢強い人でも、もう地面に眠っていられなくなった。暗闇を手さぐりで、枯枝や、黄色くしなびた芝草を取りに行き、火にくべだした。再び焚火が燃える。いつのまにか地面に薄い雪のような霜が白く降り、急に増えてきた焚火の火と共に、暗い広場のあちこちが、かなりはっきりと見えてきた。
各団ごとに眠られないでいる人の話し声が、地の底からの声のように、低く重くひびいていた。
毛布をかぶってうずくまっている人も、顔の回りは息が凍って白くなっているし、外套の襟も白い細い糸のような氷屑がついていた。
歩哨も何人か目をさましていたが、すっかり暢気《のんき》になって、人々の動きをいつものように制止したり警戒したりはしない。
その中を人間一人を担いだ四人組がやってきた。彼らは蒙古の警戒兵など、頭から無視した態度で堂々と歩いてくる。
「二百九十三号車はどこだ」
平気で声を出して聞いている。左の方の焚火の群が、こちらを指さして、ぼくらの集団を示す。ほんの三、四分で彼らがやってきた。
一人がやくざがかった声できいた。
「ここか。二百九十三号車は」
瞬間に事情を悟ったぼくはさっと外套をひっかぶった。
「ああそうだがね」
誰かが代表でそう答えた。
「お届物じゃぞい。当人の遺言でのう。こう! こいつがおっ死《ち》ぬとき、遺骸だけは、二百九十三号に届けてくれと、最後にいいおったでえ」
どんと芝草の上に死体を投げ落した。ぼくはその声で、小政の仲間の幹部の二人のうちの弟分、元船員上りのやくざがわざわざやってきたのを知った。顔を見られて何か因縁つけられたら面倒だ。外套をかぶって寝込んだふりで、事が終るのを待っていた。
「まあ蒙古共和国側の偉いさんが昨日、五十一人でも、四十九人でも、国境の門を通さないといいおった。こう! ここまで来て、国境通れねえでは、おまえらも気の毒じゃけんの。重ったかったが仕方ねえ。たしかにおいたで。後は知らねえ。勝手にさらせ」
いいたいだけいうと、四人組は戻ってしまった。
人々はこの死体らしい物の回りにたかった。
「こいつはさっきまで、うちの車にいた奴だ。誰か知ってる者がいたろう」
「そこの若い兵隊がさっき話していたがな」
指さされて揺すぶり起されるといつまでも寝たふりをしていられなくなった。
起き上ってとぼけてきいた。
「どうしたんだ」
「あんたこの男とさっき話していたろう」
「どの男だね」
初めて聞くようなふりをして、寝呆《ねぼ》けた声を出して死体に近づいた。
「ああ知ってるよ。さっきまで話していた。しかし名前や隊は知らないな」
かかりあいになるのがいやなのでこちらが先に嘘をいった。誰かが追及してくる。
「それじゃなぜ話していたんだ」
「病院にいたとき顔だけ見たことがあるので、懐かしくて話をした」
他の男が焚火を持って、顔のところを照らしてから驚いていった。
「ふえーっ。ひどい顔だ。すっかりこわれている」
ぼくも照らし出された顔を見て、一瞬胸から喉へ、吐気がこみ上げてきた。大概の死体にはなれていたが、こんなのは見たことない。目は飛び出し、頭はひしゃげて一部が割れてふっとび、白い脳髄がむき出しになっていた。首から下の体の方は殆ど何の異常もなかったが、顔だけを集中的にやられたらしい。ぼろの塊りが辛うじてついている感じで全く原型がなかった。
さすがにプロのやり口だ。一番弱い既に割れている頭の鉢だけ狙って、ぶっこわしていったのだろう。山本鹿之介の方は、せめてやられる前にメスで一刺しできなかったろうか。この分では、どうやらそれも駄目だったようだ。
皆が心配しだした。
「問題は蒙古共和国側がこの死体をどう見るかだね。五十人の中に入れて、出国を認めてくれるかね」
「正直にいえばいいよ。夜中どこかへ行って、明け方どこからか運ばれてきた。おれたちの責任は全くない」
「それよりほかに方法がないな。ともかく死体が交っていても、ちゃんとここに五十人はいるんだから、何とか国境だけは通してもらうぞ」
それが結論であり希望であった。
彼が着ていた外套を無理に脱がせて、顔の上にかけた。
朝は地平の果てから、徐々にあけてきた。白くほんのりと明るんでくると、見る間に広い国境の丘を照らしだした。
食糧運搬車が、一集団ごとにまた十三本の黒パンと、水を一桶ずつ配って行く。通訳が乗っていて、各集団ごとにどなった。
「みんな、大便の方は、この位置から丘の下の方に向って最低百メートルは離れてからしろよ。後でここで全員の身体検査が行われる。踏んづけたり、被服や荷物に糞がついたら困るからな」
飯盒に分けてもらった水を焚火にかけて沸かしてお茶代りにして、四分の一のパンの食事が始まった。さすがにここまできては、搾取も不公平の分配もない。せいぜい切り方をしっかり監視していればいい。これだけのことでも全員の心は随分、人間らしい明るいものに変ってきていた。
昨夜から耐えていたのか、何人かが下の方に駆けていって、ズボンを下してしゃがむと、それが緒口《いとぐち》になって、何十人、何百人もの人が、百メートル向うで、そろってこちらを向いてしゃがみ出した。どういうわけか、集団に背中を向けて、しゃがむ人がいない。これはぼくにも、ひどく面白い現象に思えたが、やっぱり自分も便意を催して駆け出して行ってしゃがむとき、何だか後ろから見られているのが不安で、背中を向ける気になれずに、この不思議な現象を何となく納得したのだった。並んで用便するとき、馴れきった俘虜生活のだんらんのひとときが思い出され、妙に懐かしかった。
朝の食事や用便の騒ぎが終ると、伝令の声が伝わってきた。
「五列に整列。十人がお互いに間隔を一メートルずつ離して横に並んだら、着ている物を脱げ。内ポケットや、下に腹巻きがなければ、襦袢や袴下は一枚だけ着ていてもかまわんぞ」
さまざまの声があちこちで起ったが、これまでも蒙古共和国軍の軍医の身体検査で、全裸の整列をさせられることはよくあった。それに比べれば、かなりゆるやかな命令だった。
全員が一斉に着ている物を脱ぎ出した。
一万何千人かの男たちの列が丘のはじからはじまで下着姿になって並ぶのはかなり異様だった。
「ポケットの裏を返せ。荷物は中身をすべてほかして前に並べろ。後になって、下に腹巻きがあるのが見つかったら銃殺だ。今のうちに抜き出して拡げておけ」
次から次へと命令が出てくる。
寒いといっても、これぐらいは、蒙古ではまだ暖かい方だ。陽が出てくると、霜は消える。
殆ど破れてしまって、下着の形をなしていないものは、ボロ布からみじめにちぢかんだ性器をさらして立っていたし、全くつぎの当っていない軍用襦袢、袴下をきちんと着ている者もあった。
入国のとき持って入った装備と、その後の環境が、丸二年、七百日の生活で、同じ俘虜の中でも、こうしてはっきり貧富の差を作ってしまったのである。
運転手と警戒兵を交互にやっていた二人の兵に、司令部から来たらしい特務の将校が加わって荷物の検査が一斉に始まった。ポケットはあらかじめひっくり返されており、荷はほどかれていたが、それでも、一つ一つの検査は、執拗を極めた。最初に、字が書いてあるものはすべて没収された。手帳、ノート、それに位牌《いはい》、紙の切れっぱし、蒙古共和国政府の発行した注意書きや、蒙古共和国の字の種類、煙草を巻くために一枚ずつ使って、やっと三分の一が残っている、コンサイス辞典。軍隊時代の操典や戦陣訓。
ともかく日本字であれ、蒙古字であれ、字が記載されてあるものは、すべて一カ所に集められ、火をつけられた。カーキ色の布表装の軍隊手牒を内ポケットに秘めていた者がかなり居た。これを焼かれるときは人々はひどく心細そうな顔をした。彼らにとっては自分のこれまでの存在が無くなってしまうような気分だったのだろう。
戦友の住所や、途中で亡くなった人の名前や月日を丹念にノートにメモしていた人も居た。皆、無念の思いで、焼かれて行く火をみつめていた。
その次にはここで手に入れたコインや、戦争でもらってそのまま持っていた勲章、記章類、満洲や日本の通貨一切が麻袋の中にほうりこまれた。何人かの赤筋のズボンと赤い蛇腹の入った帽子の特務将校が、作業の状態をきびしい目で見回りにくる。
その一人が地面に横たえられたままの死体を見て、ぼくらに質問した。
「これはどうしたね」
皆に押し出されるようにして、ぼくは答える役にさせられた。ぼろぼろの袴下の前を、手で押えながら、ぼくはすすみ出た。とっくにもう、越中はすりきれて無くなっていた。
「昨日敵討ちに行くといって夜中に出ていった」
相手の特務は、あまり日本語が分らない。
「カタキウチ、それ何だね」
ここでうっかり、蒙古語が分るふりをしたら、便利に使われて国境通過が後回しにされるおそれがある。ぼくは全然分らないで通すことにした。
「いじめられた人に、いじめ返すことだ」
「そうか」
「ところが、夜明けに向うの人間に担ぎこまれてきた。見たらもう死んでいた。けんかに負けたのだ」
「殺した人間の名前知ってるか」
「全然知らない」
「この男の名は」
「全然知らない」
「そうか」
少し疑わしそうな目をしたが、ぼくが正面から見返すと、納得したようにうなずいた。それからちょっと困った感じの顔でいった。
「人間が四十九人だと、あそこを出られないよ」
しばらく考えていたが、歩哨を呼んで何か命令した。歩哨は元気よく答えて、後尾の車の方に駆けだしていった。
「服を着ていい。荷物も持っていい」
他には何も取られなかったので、全員ほっとした表情をした。といって、もう物といえるようなものは殆ど残っていない。服を着、外套を着て、毛布を抱えると、終りであった。もとの服装になったとき、歩哨が、後尾の車から、何か事情が分らないままでいる兵隊を一人ひっぱってきた。
明らかに、終戦間際に補充で、日本内地の空襲の焼跡からひっぱってこられた、三十すぎの召集の初年兵だ。いつまでたっても下の兵が入ってこない、この二年間の生活の中ではずっと最下級の兵員として、どこの収容所でも、一番みじめな暮しをさせられてきた。年で動作もにぶい。服装も悪いが、ものの役にもたたない気のきかぬ兵として、いためつけられすぎて態度が卑屈になっている。
「すみません。おじゃまします」
と誰彼となく頭を下げて回った。
その初年兵が、皆に露骨に迷惑がられながら、五十人目に入って並ぶと、軍隊言葉でいう員数がやっとそろった。
左の方から五列の群が動き出して正面の頂上にある、国境の監視小屋に登って行き始めた。十メートルの間隔をあけて、第二集団の五十名が、それに続いて登って行く。
一号車から順に動きだしたのだ。最初の列が、監視小屋に着くときは、後ろにもう十集団もの列が丘の斜面につながっていた。
国境の遮断機が上り、最初の五十人だけが中へ入って行った。どっというざわめきが、あたり一帯に拡がった。遮断機の先は向う側への斜面になっているのか、丘の中腹から見えない。一分もしないうちに、また遮断機の棒が上り、第二集団が吸いこまれていった。そのころ、また奇妙な噂が前の方の集団から流れてきた。
「女がいたぞ。それも二人だ」
「今の身体検査で見つかったんだ」
まさかと思いながら、お互いに顔を見合せた。すぐに後ろの車の列に伝えながらも、ぼくらは最初は誰もこの噂は信じなかった。しかしこれは二年間の俘虜生活の中で、最大級の衝撃的なニュースであった。
次から次へと新しいニュースが前から伝えられてきて、またたくまに、真相が明らかになってきた。
一人は関東軍のある部隊の営外居住の曹長が、現地でできた看護婦の愛人と別れるにしのびなくて、丸刈りにしてそっと連れてきて、部隊長の英断で炊事係にしていたのだそうだ。
今日裸にされるまで、部隊の人間は誰一人気がつかなかった。その部隊は、初めに入った収容所から動かず同じ作業をやっていたし、その炊事係も外に顔を出さないようにしていたらしい。
もう一人の女のニュースは、ぼくを完全に仰天させた。
その女はアムラルト病院で薬局の事務をやっていたというのだ。民団の男と結婚して満洲にやってきたばかりで、俘虜になったとき、夫と別れるのがいやで、やはり頭を丸刈りにして入ったのだという。
ぼくは半年以上も病院におり、そのうち三カ月は、内勤者だった。病院といっても、さして広いわけではない。それでいて、全くその女性の存在にも気がつかなかった。噂にもきかなかった。すれ違ったり、話をしていたりしたら、必ず気がついたはずだ。
何だか信じられずに、呆然としてしまった。あれこれと、少年兵や、女っぽい勤務者の顔を思い浮べてみたが、全く見当がつかなかった。
その間も、五十人ずつの列はどんどんと丘を登り、監視小屋に入って行く。ついにぼくたちの前のあたりも、立ち上って、丘を登り始めた。女がいたというニュースは、この集団の群に、かなり強烈なショックをあたえたが、同時に一種の甘いやるせない郷愁もかきたてた。日本へ戻りさえすれば、すぐにでもかあちゃんや、愛人に抱きつける。そんなものが居なくても、遊郭や、カフェーに行けば女たちを抱くことができる。まる二年、触れるどころか、蒙古娘の姿さえ、ろくに見ることのなかった乾いた生活が、砂漠の旅で、オアシスを見つけて水をたっぷり飲むときのように、あともう何日かで手軽くいやされるのだ。
「まず銀シャリに、魚の切り身で、腹一杯飯をたっぷり喰うぞ。終ったら次にはかあちゃんをそこへおっぺして、着物と腰巻きを物もいわずに、ひっぺがしてしまうぞ」
一人が思いのたけをこめてそういった。他の男が大声で
「酒は飲まないのか。おれなら一杯やった後だ。刺身に熱燗だ。かあちゃんは、そのあとゆっくりでええ」
とやり返した。前の男が皆にきこえるようにいった。
「そいつがやせ我慢ってやつよ」
皆がわーっと笑った。
死体を置いたまま、ぼくらの列も動き出した。頂上への道はかなりの傾斜だが、足はひどく軽かった。
遮断機の前には、佐官の肩章をつけた蒙古共和国軍の高級将校と、その副官らしい、女の中尉が立っていた。若いが偏平な蒙古顔だ。馬に乗るせいで足はガニ股だった。
遮断機を越えると広場であった。そこにいるのは、この国の北の宗主国の西洋人じみた顔の兵士たちであった。
同じ軍服でも、型が少し違ってスマートで生地もよかった。女の将校が二人いた。
頭は金髪で、肌は白く、胸も腰も大きく、足もすっきり長かった。
五十人の数の点検は五列の十人で簡単だ。一分で終る。そのまま広場を横切り、また向う側の遮断機を出た。なだらかな下りのスロープが目の前に展開した。
はるか下の平地には、長い編成の列車が、引込線のレールに、何編成も並んでいた。
ぼくが子供のころ、よく遊びに行った上中里《かみなかざと》の丘の上から、手すりによりかかって眺め下した、田端駅の鉄道敷地を、急に懐かしく思いだした。
汽車はどれも今にもすぐ出発するかのように白い蒸気を吹き上げていた。