人間の輪
自分さえよければよいという考え方は、個人にあってはエゴイストを生み、企業やメディアにそれが生じると、あくどい商業主義と文化の退廃を招き、結果として、人命や自然を破壊する勢力となる。
国家は……?
これがいちばんこわい。戦争の原因は、すべて国家(一部、民族も)のエゴイズムによるものと断定してさしつかえない。いうまでもなく戦争はいのちの抹殺である。
沖縄の環境を守る運動、軍事基地反対運動の根底には、この分析と、思想があることを理解しなくてはならないだろう。
さる五月十七日、周囲十一・五キロの普天間《ふてんま》基地を一万六千人の人々が、互いに手をつなぎ合って囲み、見事に「人間の輪」を成功させた。
その目的は、直接的には普天間基地の無条件返還、米海兵隊の削減などであるが、その心は、みな(世界中の友よ)仲良くして楽しく暮らしましょうという、あらゆるものを包みこむ、いわゆる「沖縄の心」そのものの具現である。
はじめ「人間の鎖」としていたものを「人間の輪」に改めたのも(間に合わず「鎖」とした新聞記事もあった)その心だし、今、新たに海上軍事基地建設案が持ち上がっているもともと運動に無縁だった名護《なご》市|辺野古《へのこ》の女性やオジイ、オバアの参加もそうだし、この包囲そのものが多くの子ども、若者のお祭りの観を呈したのも、その表れである。沖縄の新聞に報道された写真を見ても、人々の笑顔が咲き乱れていた。
「人間の輪」は、三度結ばれ、その合間には歌と踊りがあり、有意義に終了した。
有意義にしようとしなかったのは日本政府である。翌々日の『琉球新報』によると、政府高官の分析として「予想より参加者が少なかった。沖縄県民は普天間の返還問題を冷静に見ている。現実的対応が必要だという意思の表れではないか」とあった。
そして次に、こうある。
(包囲行動について)那覇防衛施設局が現地情報を橋本龍太郎首相ら官邸サイド、防衛庁首脳まで報告。それによると警察情報として一回目の包囲行動に六千三百人、二回目に八千人、三回目に九千人が参加し、人の輪は「三回ともつながらなかった」と分析している。
もちろんこの報告は事実に反するが、一回目、人の輪にダブリがあり、三十五ポイントに配置された連絡員が本部と連絡をとり、二回目、三回目は成功させたという経緯がある。ミスともいえないミスをとり上げ、捏造《ねつぞう》の報告をしたわけである。
基地従業員が組織的に参加しなかったことを、鬼の首でもとったようにいうが、個人が二百人も参加した事実はどう考えるのだろうか。こんなひどい報告をする方もする方だが、これを受けて政治上の判断をする政府要人の存在を思うと、ぞっとするのはわたしだけではあるまい。
くり返すが、沖縄の基地の問題は、直接、いのちと、国の倫理の問題なのである。沖縄の人は沖縄のためにだけ行動しているのではない。