もの書きの嘆き
知人が、どうにも納得いかない、といって、模擬テストの答案用紙を持ってきた。
冒頭、拙著『天の瞳《ひとみ》』が出題されていた。
蛇の傍らに落としてしまった老婆の財布を、主人公倫太郎が拾うことから起こる教師との確執を描いた部分が掲載されていて、いくつかの設問がある。
そのうちの一つに「問題文から読みとれる倫太郎の人物像を簡潔にまとめよ」というのがあり、解答者(知人の息子で高校生)は、「少林寺拳法《しようりんじけんぽう》を習っている物事の本質を見ぬく目をもった強くやさしい小学生」と書き、減点されていた。
朱が入っていて、「ここはおばあさんの巾着《きんちやく》を拾い上げた行動からわかる人物像」と添え書きされている。
わたしは、うーんと唸《うな》った。
解答者は出題そのものに疑問を抱き、減点されることを覚悟の上、先の解答をしたものと思われる。
彼は、答案感想欄に、次のような文章を書いている。
「小説を読むという問題を、受験で必要と理解していないから、僕のプライドが解かせまいとする。どうすればいいのか。それにしても下らない。僕の価値観に合わない問題が多い」
わたしには、こう書いた少年の気持ちがよくわかる。
彼は、この時点で『天の瞳』㈵と㈼を通読している。そんなわずかばかりの部分で、倫太郎像を想像させるのは矮小《わいしよう》に過ぎる、と彼は憤慨しているのだ。
作者としてありがたいのは、彼のような読者を持つことであり、はなはだ迷惑なのは、このような問題の作成者であり、添削者の存在である。
一度、公刊してしまった作品は、どう使われても仕方がないという認識はあるというものの釈然としない。
こういう「被害」は、しょっちゅうである。
『ろくべえ まってろよ』という小学二年の国語教科書に載っている童話作品がある。
穴に落ちた犬を、子どもたちが知恵を出し合って助けるというストーリーだが、テストで、こんな問題が出た。
「ろくべえの落ちた穴は、どれくらいの深さですか」
ある子どもが「三メートル四十五センチ」と書き、バツをもらっていた。
四十五センチというところまで、いっしょうけんめいに考えてくれたのだ。
わたしは、そこまで考えてくれた子がいとしい。
なぜ、ペケなのか、きいてもらったところ、文中どこにも、三メートル四十五センチの記述はない、というのが、その回答だった。
わたしは学校とか教師の冷たさを感じた。
出題者は出題者の言い分があるだろうと思う。しかし、性質上、事前に許可を求めるわけにはいかないといわれ、いのちを削るようにして書いた作品を、本意でない使われ方をされ、傷つく子どもや若者を見なくてはならない、もの書きの嘆きを、いくらかは察してもらいたい。
誰も、他者の人生の添削はできない。