日语学习网
アメリカ嫌い22
日期:2018-10-26 23:53  点击:330
    ある生き方
 
 
 東京の仕事が長引き、やっと島へ戻ることができた。ほっとする。
 夕方、ランニングをしていると、クノ君と伴侶《はんりよ》の千晴さんが、稲刈りをしている(島は二期作)姿を見つけた。
「食べものを生産すること、料理することは、ぼくの表現なんです」といった、あの青年久野裕一さんだ。
 もう、しっかり島の生活に溶けこんでいる。
 おーいと手を振ったが、先方は気づかない。そうか、稲作までやっていたのか、と感心し、安心もする。
 この八月、毎日のように野菜を運んでもらって、おかげで、わたしはみずみずしい葉菜《ようさい》類を堪能《たんのう》した。
 夏の盛りに、葉菜をつくるのは大変なのである。その中にエンサイがあったので、クノ君、なかなかやるな、と思った。地の言葉でエンサイのことをウンチェバーという。
 中国野菜の一種で、もともとは水草である。先年、ベトナムのフエで、お城の堀を利用して栽培しているのを見た。
 渡嘉敷島の畑は、水はけの悪い所が多い。ふつうは悪条件になるのに、それを逆手にとってウンチェバーをつくっていたのだ。
 
 わたしは前々から、島の、野菜の自給率の悪さを、なんとかできないものかと思っていた。外から運ぶと値段も高い。
 クノ君も同じ思いだったのだろう。
 夏に、小松菜、チンゲンサイ、モロヘイヤ、エンサイなどをつくって、島の家々へ配り、たいへん喜ばれた。
 それはそうだろう。夏場に野菜といえば、せいぜいゴーヤー(にがうり)くらいしかなかったのだから。
「あの青年はたいしたものだ」
「あの二人は筋が入っている」
 そんな声を、わたしは何度も耳にした。自分のことのようにうれしかった。
 
 わたしはクノ君の家へ寄った。家は民家を借りたもので、よほどの信頼がないと、それはできない。
「どう? うまくいってるみたいだね」
 駄目ですよ、と彼は言下にいった。
 継続供給が果たされなければ……と、クノ君はいうのだ。
 うーんと、わたしは唸《うな》る。
 十月四日、渡嘉敷島に五百ミリという記録的な大雨が降った。
 田畑は冠水し、農作物は壊滅状態になった。
「そうか」
 わたしは呟《つぶや》いた。
 わたしのノー天気な質問に、クノ君は怒りもしないで、あれこれ話してくれた。
 ニワトリが卵を産む率も半分に落ち、ジャガイモは大半、土の中で腐るだろうという。
 横で千晴さんが微笑みながら、その話をきいている。
 話が一段落したところで、彼女はいった。
「でも、これ以上は悪くはならないでしょうから」
 うーんと、わたしはまた唸った。すごいな、この根性。

分享到:

顶部
11/28 16:45