嗚呼《ああ》 武田イクさん
武田イクさんが亡くなった。しばらくお会いしていなかったが、お元気で講演などに走り回っておられるものとばかり思い込んでいたので、たいへんショックを受けた。
もう、お会いできないかと思うと涙がこぼれた。
わたしが武田イクさんと知り合ったのは武田鉄矢さんの引き合わせによるが、わたしは鉄矢さんの方は放りっぱなしで、イクさんと神戸におられた鉄矢さんのお姉さんらと親戚《しんせき》づきあいをさせてもらっていた。
毎年のように海外旅行に出かけた。
台北《タイペイ》の龍山寺前を、イクさんと手をつないで歩いていたら、後ろからアサコ姉さんが、まるで親子みたい、といった。
「なんばいうちょるか。恋人同士っていえちって。センセには悪かけど」
イクさんはそういってカラカラ笑った。
イクさんの話をきくのは楽しかった。勇気のようなものを、わたしはいつももらっていた。
「半年ぐらい給食費をもっていかんでちゃ、学校ちゅうとこは倒産しゃせんばい」
昔、日本の母は貧乏だった。イクさんとて例外ではなかった。
子どもを育てるのに、大変な苦労をしたが、いつも明るく前向きに振る舞った。
給食費を子に持たせてやれない親の気持ちはつらい。けれど、イクさんは踏んばる。
そこで、へこたれて、ぐずぐずしよったら、人はどうにもならん、と。
学校は倒産せんばい、といいきることで、イクさんは自分自身と子どもたちに活を入れた。
武田鉄矢さんは、あれだけは人前でやってくれるなと嫌っていたが、タワシを前にぶら下げて踊る「タワシ踊り」というのを、イクさんは息子に隠れて、ちょこちょこやって見せてくれた。抱腹絶倒だった。
そうしておいて、イクさんはいった。
「貧乏に落ち込んだとき、思いよったってどうしょうもないから、楽しみをみんなで見つけよりましたよ」
強い。筋金入りの庶民は強い。
イクさんは貧乏はすればするで、いろいろな知恵がわいてくるもんだといっていた。
あしたが、どうしょうもないときでも笑顔でおれちって、わたしは、ばあさんに教えられたともいっていた。
人には頭を下げておれ、頭下げたって税金はかからんといって、子どもにあいさつや礼儀というものを教えた。
イクさんの話は深い哲学を含んでいるようにわたしは思えた。
——人間という仕事が一番むずかしい。
——信頼していないから親は子をごしゃごしゃかまいたくなる。
——何がなかろうと、なくなったら人というもんは強い。
今にして晩年ということになってしまったが、イクさんは、年とってからの畑づくりを、実がなって熟れてね、子育てのような気がする、といっておられたのに……。合掌。