景気について
景気が悪い、消費を刺激して経済を活性化させなければならない、そういう声一色だ。自民党と公明党は手を組んで、商品券を配るところまで「堕落」した。たしかに失業率は上がり、タクシー運転手の収入は減ったという事実はまぎれもなくある。
庶民の暮らしへの悪影響を防ぐことと、政治家や企業家がいう経済振興とはきちんと区別しなければ、いつの時代も庶民側が泣きを見る。
景気のよいとき、庶民は銀座のクラブや赤坂の料亭で飲み食いできたのかしら。
つくづく国というものは勝手なことをいうと思うが、かつては「欲しがりません勝つまでは」といい、今は「商品券をあげるから、なんでも買って」である。
拝金主義という言葉があるが、金や物に取り囲まれることは人間をしあわせにしないという知覚を、ぼんやりとではあるが誰も持っていると思われるから(例外はもちろんある)、その人々の善性を、さらに引き出し、その上で、国の成り立ちや経済の確立をはかるのが政治家の本来の役目であり倫理性だと思う。
遠慮なくいわせてもらえば保守政治家を中心に、日本の大部分の政治家は、その倫理性を持っていない。企業家も、それに準ずる。
景気がよくなればなんでもいいというものではないだろう。景気の中身が問題なのだ。
消費の中にも「よい消費」と「悪い消費」があると、わたしは思う。
東京の仕事場の近くに、高級アパレル店があり休日の特売日に、二度も三度も列の後ろに並んで、持ち切れないほどの紙包みを抱えて帰る女性がいるが(同じような愚行の男性も数多いことは承知している)、こういう人とは間違っても結婚したくないね、わたしは。「悪い消費」の見本だろう。
学校図書館にじゅうぶん本があり、「障害」者に手厚い設備が整っている。
これは「よい消費」であることは誰にもわかる。
日本の政治に倫理性がないというのは、その区別なしに税金をかけるという一事を見てもよくわかるのである。
わたしは神戸に保育園をつくるとき、建設費の三分の一を寄付させられたのに、その寄付は所得のうちから控除されなかった。成立前の社会福祉法人だからダメだという。政権党の政治家にいくらかの政治献金をして頼めば、なんとかなると入れ知恵してくれた人がいるが、わたしがそれに応じなかったことはいうまでもない。もし、そういうことが事実だとすれば、政治の腐敗ここにきわまれりということになる。
政治の世界は、それが常識ですよ、とその人はいった。
来年は、どういう年になるのだろう。
銀行再建成って、万骨枯る(庶民の犠牲)は御免こうむりたい。