小さな小さな話
やんちゃ坊主が、こんな詩をつくった。
せんせいのちち
あおき かつじ 6歳
せんせいのちちいろた
せんせいがとばんに
じいかきよってんとき
いすのうえにあがって
うしろからつかんだ
しろいたいそうふくのうえから
てをいれた
まるこて
やろこて
ぬくかった
子どもは母親ともども呼び出され、セクハラ行為だと、きびしく叱責《しつせき》されたか。
そうならなかった。いや、このやんちゃ坊主を受け持った若い先生は、そうしなかった。
そのことを詩に書かせ、印刷して子に渡し、その文集を家庭にとどけさせた。
親は恐縮し、その若い先生の寛大さと、子どもへの愛情をしみじみ感じた。
やんちゃ坊主は、この先生を一生忘れないだろう。
そんなふうなことを思う。
こんどは保育園の若い保母さんの話だ。
菜っ葉がどうしても食べられない子がいた。
お菜っ葉は体によいから、がんばって食べましょうね、とその保母さんはいわなかった。子どもたちと話をした。
「お菜っ葉はどうして緑色なのか知ってる?」
「どうしてかな、どうしてなの」
「それはね、お菜っ葉はね、お日さまを食べるからなの」
「お日さまを食べるの」
「お日さまの光を、いっぱいいっぱい食べて、こんなきれいな色になるの」
利発な子がいった。
「じゃ、お菜っ葉を食べたら、わたしらもお日さまを食べたことになるゥ?」
「そうね。お日さまの光を食べたことになるんでしょうね、きっと」
「わたしらはお日さまの子?」
「そう。子どもはみんな、お日さまの子よ」
菜っ葉の食べられない子は、そのやりとりをじっときいていた。
まわりの者が、なにもいわなかったのに、その子は菜っ葉を少しずつ口に運ぶようになった。
この話をきいてから、わたしはサイン会などで色紙を頼まれると
いつも
太陽の子で
と書くようになった。
若い先生の、ほんの小さな小さな話ではある。ほんの小さな小さな話をわたしは書き、それをみなさんが読んでくださる。
平和というものはありがたいもので、ふと気がつくと、そのことに感謝する自分を発見する。
一方、同じ地球上でトルネードだのミサイルだの経済封鎖などという、おぞましいものの下で傷ついたり、死んでいった子がいる。
政治の指導者に、どうか、この小さな話がとどきますように——。