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アメリカ嫌い34
日期:2018-10-27 00:01  点击:250
    便利さの裏側で
 
 
 きつい問いをするようだが、もし、あなたの子どもが交通事故を起こし、あるいは起こされ、死亡したり、意識不明の重体におちいったりしたら、あなたはそれに対して、車に乗る限りは、それも覚悟の上のこと、運命として受け入れよう、と思いますか。
 わたしは親になったことがないので推し量るしかないが、親の身として、とてもそう潔くは考えられないというのが、ふつうではないか。
 車さえ乗らなければ、車さえ持っていなければ……とあれこれ思い、こんにちの車社会を呪ったとしても、それを非難することは誰にもできないだろう。
 わたしは甥《おい》を交通事故で亡くしている。結婚式があと数日というとき、ものいわぬ人間に変わり果てた。
 そんな悲しい確率は、ほんのまれなことだと思っていたのに、別の甥が、またもや交通事故を起こし、現在、意識はいまだ戻っていない。
 甥のいのち、親の憔悴《しようすい》を目の当たりにするのは、ほんとうにつらく、気も、うつろだ。
 人はそんなときにも仕事をしなくてはならず、もの書く人間のせつなさを今、じゅうぶんに味わっている。
 わたしは一九三四年の生まれだが、おそらくこれほど急速な文明の発達に遭遇している世代はない。
 わたしの子どものとき、そう数は多くなかったが、まだ馬車が荷を運んでいた。今は他の天体に、人や人工物が到達する。
 機械文明の発達は、わたしたちの生活を著しく変えた。人は便利さというものにきわめて貪欲《どんよく》になっていく。
 携帯電話などというものは、その最たるものであろう。
 わたしは、車も、その手の電話も持っていないが、タクシーにも乗るし、家に電話もある。便利さを享受しながら、それを批判する資格はないだろうといわれれば一言もないが、これ以上の便利さの追求は、さらに人のいのちを食っていくだろうという警告は、どうしても発しておきたい。
 車を作ること、売ること、買うことに狂奔するのではなく、どうすれば車を減らせるのかということに、人間のエネルギーを使う時代を迎えているのだと認識してほしい。
 政治、企業の倫理もそこに向けて再構築してほしい。政治家と企業家が結託して、ひたすら物を作りつづけることは、おそらく近い将来、わたしたちの社会を滅ぼすであろう。
 わたしは権力が、なにかを規制することに反対の立場をとる者だが、例えばシートベルトの着用を義務づけているように、携帯電話の使用も車中のような、それによって人命が損なわれる可能性があるような(可能性ではなく実際に携帯電話による交通事故は増加し続けている)場所では禁ずるべきだと思うし、教育の場においても子ども、若者が携帯電話を持つことの是非を、もっと真剣に議論すべきだと思う。物にかけがえはあっても、いのちに換えはないのだから。

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