7 こじきごっこ
鉄三がおしゃべりをした。鉄三ちゃんがとうとうしゃべってくれた。小谷先生はかえりの電車の中でなんども笑い出しそうになり、あわてて口のあたりをおさえた。
小谷先生の家は共かせぎだ。学校のかえりにいつもスーパーマーケットによる。夕食の買物をしていて自分がうわの空だということを感じた。おつりを受けとらないで行きかけて店員に笑われた。
人間っていろいろなことによろこびを感じる動物なんだわ、と小谷先生は思った。
家にかえると、先にかえっていた夫が話しかけた。
「さっき、おとうさんから電話があって、土地の手続きがすんだから書類をとりにくるようにって」
「そう」
「これで自分の家が建てられるぞ」と、夫はよろこんでいる。
小谷先生の家は代々、医者だったのですこしばかり資産があった。援助をあてにしないで独立するようにいわれていたが、土地の値上りがはげしくなって、若い夫婦ではむりだと思ったのか、いくらか土地をわけてくれることになったのだ。
「わたしもきょう、うれしいことがあったの」
小谷先生から鉄三の話をきいて、夫はへんな顔をした。妙なこととくらべる、と思ったのかもしれない。
その夜、小谷先生の家では久しぶりに、どちらもきげんがよかった。そんな夜が、ずっとつづいてくれればよかったのだが……。
*
九月はどこの学校も、秋の運動会のれんしゅうにいそがしい。子ども、教師ともどもつかれてくたくたになる。
よく事故がおこるのは、そんなときだ。この姫松小学校でも三件の交通事故がつづけておこった。
小谷先生の学級もいやなできごとが二つつづいた。
昼の休み時間のことだ。
職員室にいた小谷先生は、わすれものを思い出して、それを教室にとりにいった。教室に残っている子が十二、三人いてキャッキャッさわいでいる。なにをしているのだろうと小谷先生は眼をやった。
諭が広げたハンカチを前にして、きちんとすわっている。その前を一列にならんでいる子どもがいて、先頭の子どもがハンカチの上になにかを投げた。諭は、
「おありがとうございます」
と頭をさげて、投げられたものを、うしろにかくした。そこで子どもたちはキャッキャッと笑う。
つぎの子は女の子で、
「はい、おこじきさん」といって、諭の前に白いものをおいた。
諭はまた、おありがとうございますといって、頭を下げた。
「かわいそうなおこじきさん。ちゃんとおちょうだいをしなさい」
これも女の子がままごとするような調子でいった。諭はにやにや笑いながら、いわれたとおり、手をかさねておちょうだいをした。
そのとき小谷先生は諭に近づいてそれを見ていたので、手の上におかれたものが給食のパンであることを知った。
「なにをしているの!」
思わずするどい声になっていた。諭があわてて、うしろのものをかくした。
「諭ちゃん、それを見せなさい」
諭はしぶしぶそれを前に出した。十四、五枚の給食のパンだった。
小谷先生はこわい顔をしていた。
「だれがこんな遊びをはじめたの、え、いいなさい照江ちゃん」
「だれって……みんながしているから、わたしもしたの」
照江はべそをかいて、半分泣き声でいった。
「諭ちゃんも諭ちゃんじゃないの。こじきのまねをするなんて。そんなこと、はずかしいことなのよ!」
諭がにやにやしていたことが小谷先生にはたまらなくいやだった。ききただすと、四、五日前からそんな遊びがはやっていること、諭はいつも二十枚近くのパンを家へもってかえっていることなどがわかった。
足立先生といっしょに、きみ、諭のきょうだいの家をおとずれてから、小谷先生は諭の生活のようすに、たえず気をつけていた。給食のパンをもってかえらなくてはならないほど、ひどいくらしに落ちこんでいるとは思えなかった。
小谷先生は足立先生に相談をした。
「うーん。ぼくにもよくわからないけれど……なんなら、きょう、きみの家へいってみようか」
小谷先生はその日、用事があったので、足立先生にいってもらうことにした。
つぎの日、足立先生から話をきいた。
「とくに理由があるわけじゃなさそうだったよ。たしかに諭はたくさんの食パンをもってかえってくるそうだけれど、四、五枚たべて後は捨ててしまうそうだ。ぼくはまたパン屋にでも売りにいくのかと思って、ちょっと心配したけど、それは、げすのかんぐりだった」
といって頭をかいた。
「だけど、ぼくは諭の気持がなんとなくわかるような気がするなあ。そりゃ二十枚のパンはむだなんだろうけれど、これだけあるということで安心していられるのとちがうか。たとえ二、三日父親がかえってこなくても、これだけのパンがあればくらしていける、そう思って、まい日パンをもらい、まい日パンを捨てている、そんなに思うのはぼくの思いすごしやろか」
「………」
「それからな小谷さん、あんた諭がにやにやして、こじきのまねをしたというて腹を立てているけど、そらあんたの方がまちがってるな。にやにやでもせんことには、あんなことはずかしくてできんというのが、諭のほんとうの気持やろ」
小谷先生はかえすことばがなかった。
なさけないことは、つぎの日にもおこるのである。
器楽合奏のれんしゅうがすんで、音楽室へ楽器をかえしにいったかえりだった。めずらしいことに教室の前の廊下で、みんなが鉄三をとりかこんで歌をうたっていた。小谷先生は歌のれんしゅうをしているのだとばかり思っていた。さっき、けいこをしたばかりの「ブンブンブン」のメロディーだったからだ。それでにっこり笑って教室にはいろうとした。きくともなしにきいていて、小谷先生は思わず立ちどまった。
メロディーは「ブンブンブン」にちがいなかったが歌詞がまるでちがう。
ブンブンブンハエがとぶ
うすいのまわりに
キンバエギンバエ
ブンブンブンハエがとぶ
臼井は鉄三の姓である。さすがに小谷先生はかっと頭に血がのぼった。
「やめなさい!」
小谷先生はからだを小さくふるわせていた。なにかいいたいのだが、怒りのためにことばが出ないのだ。小谷先生に人をぶった経験があれば、そのとき、子どもをぶっていただろう。
なんという子どもたちだろう、きのうの諭の事件といい、きょうといい、いったいこの子たちにはひとの心があるのだろうか、やさしさとか思いやりとかそんなものが、ひとかけらでもあるのだろうか。
くやしさがいちどに吹きあげてきた。
「あんたたち……」
ことばにならず涙の方が先に落ちた。
小谷先生は眼に涙をためたまま、いつまでも子どもたちをにらみつけていた。
その日の夜ふけ、小谷先生はおそい風呂からあがって鏡の前にすわった。
——つかれたなァ、かわいそうにおまえ、眼にくまができているゾ、まだ二十二歳なのにこんな顔になっちゃって。
その夜、小谷先生はまた夫とかるい口論をした。夫の友だちの建築士が家にきた。これから建てる家の構想をきいてもらって設計図をひいてもらうことになっていたのだ。夫はねっしんだったが、小谷先生は身が入らなかった。
建築士がかえってから、失礼じゃないかと夫は怒った。おれたちのためにわざわざ出向いてくれているのに、かんじんのおまえがいいかげんな返事をして、と小谷先生をなじった。すみません、と小谷先生はすなおにあやまった。どうしてか身が入らなかったの、なんだかどうでもいいような気になってしまったのよ、といった。どうでもいいとはなにごとだ、と夫はいっそう腹を立てた。悪いと思ったけど、そう思ってしまったんよ、もうかんにんしてと小谷先生はいった。
夫はかるいいびきを立ててねむっている。
ごめんね、と小谷先生は心の中でわびた。結婚してからすこしもやさしくないわね、ごめんなさい、どうやら、わたしは悪い子のようよ。
つぎの日は日曜日だった。夫は日曜出勤だった。送り出してから、小谷先生は出かけるしたくをした。奈良へいくつもりだった。学生のころ、古美術クラブにはいっていたので、京都、奈良のお寺はよく歩いていた。結婚してからいちどもお寺にいっていない。結婚と学校につとめたのがいっしょだったのでしかたがなかったのだが、なんだかさびしい気がしていた。
鶴橋から私鉄にのりかえて、西大寺駅でおりた。駅前に大きなビルが建っている。そのビルを見ながら、大学の先生のつぶやいたことばを小谷先生はいま思い出した。
「ぼくの学生のころは、ここはひなびた田舎駅でね。くされかかった木のさくをとびこえておりたもんだ。細い土の道と小川と、あとは広びろした田んぼだけだった。この駅をおりただけで西大寺の土べいのにおいがひたひたとおしよせてくる感じだったよ」
小谷先生は西大寺が好きだ。さいしょにつれてきてもらったお寺が、西大寺ということもあったのだろうが、その後いろいろお寺を見て歩いてやっぱり西大寺がいちばん気に入っていた。
電話ボックスのところを曲がると、なつかしい土べいが見えた。
西大寺は土べいがいいと小谷先生は思っている。白壁の落ちているところがある。ちょっと柿の色ににている。雨にうたれてぽこぽことしたおうとつがついている。それは光った壁よりもずっとやさしい。古い山門をくぐって中にはいると、白い砂利がしかれてある。ふみしめて歩くと、しゃがれた声で話しかけられているような気がするのであった。
西大寺は竹がいいと小谷先生は思う。お寺の中に竹におおわれた細い道がある。そこにはまだ白壁が残っていて竹の青によくにあうのだった。その場所で深呼吸をすると爪の先まで青くそまった。
本堂の中は夏でもひんやりしている。ここは素足にかぎる。小谷先生はソックスをぬいで、その冷気にふれた。そして、まっすぐに堂の左手の方に歩いていった。そこに善《ぜん》財《ざい》童《どう》子《じ》という彫像がある。
「こんにちは」——と小谷先生は呼びかけた。
「ちゃんとまっていてくれましたね」
小谷先生はほほえんだ。
あいかわらず善財童子は美しい眼をしていた。ひとの眼というより、兎の眼だった。それはいのりをこめたように、ものを思うかのように、静かな光をたたえてやさしかった。
小谷先生は小さなため息をついた。
長い時間、善財童子を見つめていた小谷先生は、ほっとつぶやいた。
「きてよかったわ」
本堂の廊下は涼しくて広い。ときどき、ここでぼんやり考えごとをしている人がある。小谷先生もそこにすわりこんだ。きょうはだれもいない。五重塔あとや正門が緑にかこまれて涼しそうだ。
「どうしてあんなに美しいのでしょう」
小谷先生の眼のおくに、まだ善財童子の姿がやきついてはなれない。
「美しすぎるわ、どうしてあんなに……」
どうしてだろうと小谷先生は思った。
とつぜん、なんのつながりもないのに、高校時代の恩師のことばが思い出された。その教師は生徒たちから東大ボケといってバカにされていた。まるで風さいのあがらないことや昼休みにきまって貧乏ゆすりをしながら、かけうどんをたべることなどが、バカにされる材料だったようである。生徒たちはその教師の前では平気でカンニングをしたり、おしゃべりをした。
小谷先生はどうしてもその教師をバカにすることができなかった。
授業中ふいにその教師はいった。
「人間は抵抗、つまりレジスタンスが大切ですよ、みなさん。人間が美しくあるために抵抗の精神をわすれてはなりません」
生徒たちはみんなポカンとしていた。小谷先生もなんのことをいっているのか、さっぱりわからなかった。それっきりそのことはわすれていた。
それを、いま思い出したのだ。
「人間が美しくあるために抵抗を……」
小谷先生は口の中でつぶやいて、どきっとした。
鉄三や諭、処理所の子どもたちを思い出したのだ、それから足立先生も。
善財童子になぜあなたはそんなに美しいのと問いかけた、それと同じ問いができるのだ。わたしはなぜ美しくないの、きのうの子どもたちはなぜ美しくなかったの、と。
処理所の子どもたちのやさしさを思った。ハエを飼っている鉄三の意志のつよさを思った。パンをもってかえる諭のしんけんさを思った。
わたしは……
小谷先生は青ざめて立ちあがった。その背にセミのなき声がむざんにつきささった。