8 わるいやつ
「六ページをあけてごらん」
足立先生は大きな声でいった。図工の時間である。『動物をならべる』と教科書にかいてあって、赤いカニをならべた児童作品が印刷されてあった。
「この絵はどうや」と、足立先生がたずねると、
「あかーん」
とおおぜいの子どもたちがいうので、うしろで授業を見ていた小谷先生はびっくりした。教科書にのっている作品をだめな絵といわせて、いったいどうする気だろう。
「どこがあかんのや」
半分くらいの子どもが手をあげた。
「ほい、春子」と、足立先生は指名した。
「同じことばっかりしてるからあかん」
「もうちょっとくわしくいうてみ、春子」
「形が同じやろ先生、色もみんな同じやからたいくつ」
「はー さよか」
と足立先生はいった。つぎの子を指さした。
「カニは生きとんやろ。そやのにリンゴやミカンみたいに、きちんとならんでたらおかしいで。うじゃうじゃしとかんとあかんな先生」
「さよか」
とまた足立先生はいった。さんせいしているのかはんたいしているのかよくわからない。足立先生はつぎつぎ子どもたちに発言させていった。小谷先生は感心した。二年生の子どもがちゃんと批判をする。
「みんなよう知ってるな。わしゃ、教えることがないからここで昼ねをする」
足立先生がそういうと、あかん、ずるいという声があちこちでした。
「月給もろとんやからちゃんと教えなさい」
いちばん前の席にすわっていた子がいった。みんな笑った。なごやかな空気がじきうまれた。子どもたちの心をほぐすのに足立先生は独特の才能があるようだ。
足立先生は三人の子どもに一匹ずつカニをかかせた。
「はい、これとちがうカニのかける人」
また四、五人の子どもが黒板に向かった。そういう調子で、黒板はじきカニの絵でいっぱいになった。そこにはいろいろなカニがいた。なるほど、これでは教科書の絵はたいくつなはずだ。
「まねさえしなかったら、だれでも、いいカニがかける」
と足立先生はいって黒板の絵を消してしまった。
「カニもいろいろある。デブチンもおるしガリガリもおる。じき、おとうさんやおかあさんにだいてえというあまえんぼうもおる。けんか好きでけんかばっかりしているカニもおる。つまみぐいをして、おかあさんにおいかけられているカニもいる」
足立先生は子どもたち自身のことをいっている。自分のことをいわれているので、子どもたちはてれくさそうにしている。
「どんなカニをかいてもいいから、そのカニがなにをしているのか、あとから先生に説明ができること、それがきょうの絵の約束や」
カニをどうならべるかという話し合いのときも子どもたちはなかなかよい意見を出した。うずまきにならべるといって、ありきたりと足立先生に批判されると、すもうやサーカスを上から見た形を考え出した子どもがいた。ことば遣いは乱暴だが、この学級の子どもたちはみんないきいきしている。足立先生もふだんとすこしもかわっていない。
頭のてっぺんにまでよじのぼってくるようなあまえ方をしていたが、そういうのは教室でどうなっているのだろうと小谷先生は思った。子どもたちが絵をかきはじめると、そのことはじきわかった。
仕事のとちゅうで、これでいい、と足立先生にすくいを求めるように絵をもってくる子どもがいる。そういう子どもには足立先生はとてもつめたい。
「これでいいかどうかは自分で決めなさい。自分の絵やろ」という。
あまえさせてはいけないところは、ちゃんとわきまえているらしい。ひとりの子どもが足立先生のところへ絵をもってきた。また、おいかえされるのかと小谷先生は注目していた。
「水色と白で、カニのあぶくをかきたいんやけど先生の考えはどうや」と子どもはいった。
「ええ考えやなァ、あぶくはなるべく小さい方がおもしろいで」
と足立先生は親切にこたえてやっている。なるほどと小谷先生は思った。ちゃんと自分の考えをもってくればいくらでも相談にのるということらしい。
小谷学級の子どもたちは、ちょうど二時間つづきの映画会だったので、小谷先生はそのまま残って、つぎの授業も見せてもらうことにした。
作文の授業だった。どの先生もにがてとみえて十名ほどの参観者があった。折橋先生や太田先生もねっしんにメモをとっていた。
ひとが見ていても足立学級の子どもたちは平気だった。あいかわらず、のびのび学習していた。
「きょうはみんなに特別大サービスをする」
足立先生は市場の商人のようなことをいう。
「苦労をしなくても一発でよいつづり方をかく方法をおしえてやる」
「うそつけ。いつでも苦労をして文をかけっていうてるやんか」
この学級の子どもたちはすこしもえんりょがない。
「そやから、きょうは特別大サービスというとるやろが」
「うしろで先生が見ているからか」
「なあーに、うしろで見ている先生なんか鼻クソみたいなもんや。あんなもん関係ない」
とうとう小谷先生たちは鼻クソにされてしまった。子どもたちは笑って、それから気のどくそうな眼をして、うしろの先生を見た。先生たちはにが笑いをしている。
「ともかく、これはわたしの長年の苦労のけっか、ついに発明した偉大な方法である」
足立先生は大道芸人のようなことをいった。
「そやから、ほんとうをいうとあんまりひとに教えたくない。しかし、かわいいみんなのためや。本日、涙をのんで教えてやることにする。一発でよいつづり方がかけるということは、一発でよいつづり方かどうか見分けることもできるというわけだ。つまり、二つの方法を同時にしかもタダで教えてもらえる。みんなはしあわせじゃなァ」
しっかりしているようでも、やっぱりまだ二年生だ。足立先生のペースにまきこまれて、おおかたの子は、口をあんぐりあけてきいている。
授業中というものは、たいていだれかがおしゃべりをしたり、よそごと、よそ見をしているものだ。それを注意していて、さっぱり勉強がすすまなかったという経験は、学校の先生ならみなもっている。
足立学級はそういう心配がすこしもないようだ。
「文の中にはわるいやつとええやつがいっしょに住んでいる。それをみつけて、わるいやつをおい出したら、じき、ええ文になる。かんたんなこっちゃ」
それから足立先生は一枚のプリントをくばった。
「健治、さいしょの文を読んでごらん」
「……『あさ七時におきました。まい日、うんどう会のけいこをしています。きょうはおかあさんについてかいものにいきました。おとうさんが八時三十分にかえってきました。テレビをみてねました』」
健治が読みおわると、みんな笑い出した。さすがにひどい文だと子どもごころに思っているのだろう。
「つぎの文、明《あきら》、読みなさい」
「……『ぼくは学校のかえり、工事をしているところで、ブルドーザがうごいているので、それを立ちどまって見ました。ブルドーザにひかれたら、せんべいみたいにペッチャンコになると思いました。ブルドーザがとまったので、足をどうろにつけたらあつかった。ぼくはなんであついんやろと思いました。ひもでんきもついてないのにふしぎやな』」
「それではいまから、いよいよ先生がええやつとわるいやつを教えてやるから、よう耳の穴をほじくってきいておれよ」
と、足立先生はいって黒板につぎのようなことをかいた。
〇したこと
〇見たこと
〇感じたこと
〇思ったこと
〇いったこと
〇きいたこと
〇そのほか
そして、「したこと」の上に×をつけ、あとはみな〇をつけた。
「先生、したことはわるもんか」
子どものひとりはまちかねたようにたずねた。
「そうや」——足立先生はすましている。
「それじゃ、さっきみんなが笑った方の文を調べてみることにしよう。『あさ七時におきました』これは、したことか、見たことか、思ったことかどっちや」
「したことや」
子どもたちはいっせいにこたえた。
「そやから、これはわるいやつや。×をつけておけ」
子どもたちはよろこんで×印をつけた。
「つぎ、『まい日、うんどう会のけいこをしています』これはどうや」
「したことやからわるいやつや」
「じゃ、これも×」
「『かいものにいきました』」
「わるいやつ、わるいやつ」
足立先生がなにもいわないうちに、子どもたちはさわいでいる。
けっきょくみんな×印がついた。ヒャーといって子どもたちは感心している。
「さっき、わるいやつをおい出したら、ええ文になるっていうたけど、わるいやつをおい出したら、この文、なんにもなくなってしまうやん先生」
「そうや。こんな文はいくらかいても消えてしまうから、こんなものをかくくらいなら、家で昼ねをしとる方がずっとましやということや」
子どもたちはげらげら笑った。
つぎの文はみんな〇印がついた。一雄という子どもの文だったので、一雄はうれしそうな顔をした。わるい文にならないかとひやひやしていたのだ。
「ここでちょっと大切なことをいうておくけれど、世の中には、ええやつもわるいやつもおる。わるいやつがおるから、ええやつもひき立つ。文も同じで、ええやつばっかりだと味がない。わるいやつもちょっといれておくと味のある文ができる」
足立先生はうまいことをいう。したことをみんなはぶいてしまうと文が成り立たない場合があるので、先まわりして子どもに注意をうながしているのだ。
「文はええやつとわるいやつがじき区別できてつごうがいいけど、人間は、なかなかそうはいかんなァ。ええやつと思っとったら、わるいやつだったりする。ええやつなのに、わるいやつだと思われたりするし……」
足立先生はうしろできいている先生たちに皮肉をいっているようだ。
折橋先生がへへへ……と笑った。
職員室へおりてきた足立先生は、ご苦労さまとお茶をふるまわれた。
「そんなもんいらん」
と足立先生は自分の机からなにか黒いビンをとり出した。
「やめときなさいよ」
と、となりの先生は、教頭先生の眼を気にしながら足立先生をこづいた。
「ちょっと」
足立先生は赤ん坊みたいな顔をして、その悪い飲みものを一口のんだ。
ほんとうに、この教師はええやつかわるいやつかよくわからない。
「先生、さすがに名授業やわ。すごく勉強になりました」
なんでもほめるので、おほめのアネゴとあだなされている木村幸子先生がいった。
「そうでっか」
足立先生はバカにしたようにこたえた。なんでもほめるけど、自分はすこしも努力しないので、足立先生はその先生が大きらいなのである。
「とても勉強になりました。ありがとうございます」
小谷先生もお礼をいった。
「はい」
足立先生はまぶしそうな顔をした。足立先生も多少、えこひいきをするようだ。
「でも先生のまねはしません」
「うん」
足立先生はうれしそうな顔をした。たいていの先生は、まねをさせてもらいますとか、教えてくださいとかいうのだ。足立先生はそういう人にへきえきしている。
「苦しんでも自分で考えて、自分でつくりだすようにします」
「うんうん」
足立先生はいっそううれしそうな顔になった。そしてこのひと、だいぶかわってきたぞと思った。
「小谷先生」
「えっ」とふり向くと、足立先生の声がとんだ。
「きょうの先生、きれいな」
「バカ」
と小谷先生はいって、自分の乱暴なことば遣いに顔を赤くした。
だいぶ足立先生ににてきた。