11 くらげっ子
十月にはいって小谷学級に奇妙な子どもがはいってきた。名まえを伊藤みな子といった。走るのがとても好きな子どもだったが、走るということとスピードをくっつけて考えるとすこしようすがちがってくる。みな子はなにかうれしいことがあると走る。自分にとって快いことがあれば走る。
みな子は走るとき笑う。天をあおいで笑う。手と足をあおるようにして走る。くらげのおよいでいるのを人間がまねすると、みな子の走り方に近くなる。だから、みな子はいくら走ってもスピードは出ない。スピードが出ないだけでなしによくこける。
みな子が走っていると、小谷学級の子どもたちは、ああ、きょうはみな子ちゃんきげんがええのんやなあと思う。
みな子は朝、おばあさんにつれられて学校にくる。おばあさんに自分の席を教えてもらって、いちどはちゃんとすわるけれど、三分間とじっとしていられない。席を立ってあちこち歩く。友だちのもちものをいじる。ときには消ゴムをくわえて、ごはんをたべるまねをする。
「あかん、みなこちゃん」——と友だちにしかられると、きげんのよいときはククククッと笑って消ゴムをかえす。きげんのよくないときはポイと捨てる。それからまたうろうろ歩く。うろうろ走るときもある。みな子はたえずなにかをしていたい。しかし、みな子がなにかをすると、それはたいていひとにめいわくをかけることであった。
小谷先生が教室にはいってくる。子どもたちは自分の席につく。ひとつだけ席があいている。もちろんみな子の席だ。だけど、みな子は自分の席がわからない。
「みな子ちゃん、あなたの席よ」
と小谷先生はみな子の手をひいて、イスにすわらせる。授業がはじまる。しばらくすると、みな子は立って小谷先生のところへくる。小谷先生の手をもってちょっと笑う。ぶらさがって大きな声で笑うときもある。
小谷先生は子どもたちにすることをいいつけておいて、みな子を席にすわらせる。画用紙をもってきて、クレパスで丸や三角をかいてみせる。色をぬることも教える。
やっと、みな子がクレパスを使い出すと、いそいで前にきて授業をはじめる。そんなことが一時間のうちなん回もある。だから、みな子がきてから、小谷先生はまるで忍術使いのようにひらりひらりとからだを動かして、たいへん重労働だ。
こまることはまだたくさんある。
みな子がオシッコジャアーというときだ。みな子はいろいろおしゃべりをする、歌をうたうときもある。だが、小谷先生にも小谷学級の子どもたちにも、そのおしゃべりの内容はわからない。小さな子どもが早口でむちゃくちゃの歌をうたっているのと同じだ。
たったひとつだけわかることばがある。それがオシッコジャアーだ。しかし、その後がたいへんだった。そのことばをきくやいなや小谷先生は超スピードでみな子を便所につれていかなくてはならない。それでも成功するときはまれである。たいていは、とちゅうでもらしてしまう。オシッコジャアーというよりはやく、その場でもらしているときもある。
「やったァ」と、子どもたちはいっせいにいう。子どもたちはおもしろそうに見ているが、たいへんなのは小谷先生だ。後始末にどうしても五、六分はかかってしまう。そのあいだ授業はおるすになっているのだから、小谷先生はいらいらする。
みな子のおばあさんは毎朝、新しいパンツを三枚、小谷先生にわたしている。三枚も使うことはめったにないのだが、それくらいもらっておかないと安心できないのだ。
「ほんとうに、もうしわけありません」
おばあさんはかわいそうなくらい小さくなって、小谷先生にわびている。
「いいえ、ちっとも」
と小谷先生は明るく笑う。子どもでもそういう小谷先生の顔はとてもいいと思うのか、小谷先生といっしょに頭をさげて笑っている子がいる。
しかし、小谷先生も人間だ。給食前のいそがしいときに、オシッコジャアーの半分くらいでもらされてしまうと、思わず乱暴なことばでどなりつけたくなるときがある。
「このションベンタレのくらげ野郎め」
でも、小谷先生はしからない。笑顔もたやさない。小谷先生はみな子をあずかるとき自分にちかったことがある。かならずおしまいまでめんどうをみること、だれにもぜったいぐちをこぼさないことのふたつだ。泣かないということもいれたかったのだけれど、泣虫の小谷先生には、これはちょっとむりなように思われたのでやめにした。
願をかける、と昔の人はいう。自分の願い事がかなうまで、どんな苦しみにもたえると神さまにちかうことだ。そのあかしとして、いっさい牛肉はたべませんとか、お茶をのみませんとか約束ごとをする。もちろん小谷先生は若いのでそんな古くさいことはしないけれど、ちかいごとをしたという点では昔の人によくにている。
小谷先生がみな子をあずかる決心をしたのは、バクじいさんのあのすさまじい話をきいてからだ。西大寺の善財童子の美しさ、バクじいさんのやさしさを、小谷先生は自分にもほしいと思った。それを生きることの目的にしてもいいと思った。
おおげさにいえば小谷先生は自分の人生をかえるつもりで、みな子をあずかったのである。そういうわけだから、少々苦しいことがあっても音をあげるわけにはいかない。オシッコくらいで笑顔をわすれていたら先が思いやられる。
みな子の世話のうち、いちばんたいへんなのは給食だ。みな子はスプーンがうまく使えない。はじめのうちはスプーンを使おうとしているが、思うようにいかないと、あっという間に手づかみだ。それが熱いものだったらおおごとになる。つかんだものを投げ捨てる。汁がついていると手をふりまわす。そばにいる子どもたちはたまらない。さけようとしてミルクをひっくりかえす子ども、キャアとおおげさにさわぐ子ども、てんやわんやの大さわぎになってしまう。
それにみな子は、自分のものと人のものの区別がつかないので、ときどき、となりの子の分をとってたべる。
「淳《じゆん》一《いち》くん、かんにんしてあげなさいね」
小谷先生は隣の淳一にいって、とられた分だけ食器に入れてやる。淳一はいやな顔をする。それはそうだろう、いっぺん手をつっこまれた食べ物をふたたびたべるのは、だれだって、そうとう勇気がいる。
小谷先生はあわてて食器ごと自分の分とかえてやることがある。
なによりもこまるのは、みな子が教室から外へ出てどこかへいってしまうことだ。ちょっと眼をはなしているすきに風のようにとんでいく。
みな子は教室より外の方がいいのである。うれしそうに笑って、くらげのようにゆらゆらかけていくのだろう。
小谷先生はあわててさがしにいく。そういう子だから自転車がこわいわけでない、マンホールの穴がこわいわけでもない。きけんがいっぱいだ。
小谷先生が青ざめてさがしまわっていると、みな子は学校に飼っているヤギとのんきに遊んでいたりする。学校の池に腰までつかって金魚をおいまわしていたこともある。そういうとき、小谷先生はこまるけど、みな子はほんとうにしあわせそうだ。みな子の笑い顔を見ていると、小谷先生はどうしても叱ることができない。
*
みな子がきて一週間たった。
小谷先生は考えがあって、みな子はどういう子でなぜこの学級であずかっているか、いっさい子どもたちに説明しなかった。一週間たって、はじめてみな子のことを学級の話題にした。
ちょうどみな子はかぜをひいて休んでいた。話をするのにつごうがよかった。
みな子がどのようなめいわくをかけるかということを話し合ったあと、春子という子がいった。
「みなこちゃんはアホやろせんせい」
「みなこはアホのおやぶん」
と、いたずら者の勝一がいって、みんな笑った。
「アホいうてなんやの」
小谷先生はきいた。
「あたまのわるいこ」
「べんきょうができへんこ」
と子どもたちはこたえた。
「それだったら、あんたたちもおかあさんから、いつも、そういわれているじゃないの」
子どもたちはうへっという顔をした。
「むかしアホの子が生まれると、みんな殺したり捨てたりしました」
小谷先生は絵本でも読むような調子で、恐ろしいことをいった。
「うそォ」と、子どもたちはどよめいた。
「うそなんかじゃないわよ。ギリシャの国ではそういう子どもを捨てるクエゲストという山がちゃんとあるのよ。日本ではおじいさんやおばあさんを捨てる山があって、うばすて山という名がついているでしょう。子どもの方はあし舟にのせて川に流したんですって」
女の子はこわそうにだきあって小谷先生の話をきいている。
「でも、どうして殺したりしたんでしょうね」
「ひとにめいわくをかけるからとちがうか」
たけしという子どもがいった。
「みな子ちゃんも、すごくめいわくをかけるわねえ」
と小谷先生はいった。子どもたちはこの先生いったいなにをいい出すのだろうという顔をして、しーんとしてきいている。
「ぼくらもおかあさんにめいわくをかけとるで」
たけしは自分のいったことをとり消すように、あわてていった。
「みなこちゃん、あしたくるかせんせい」
みな子と呼び捨てにしていた勝一がそんなことをいった。
「さあ」と、小谷先生はいじがわるい。
「くるよ、な、せんせい」
二、三人の子がたまりかねたようにいった。
「きてほしい?」
「うん、きてほしい」
子どもたちは声をそろえていった。
「めいわくをかけられてもきてほしいの」
「いいよ」
たけしが、ひときわ大きな声でいって、みんなはいっせいにうなずいた。
みな子が、そのクエゲストとかいう山につれていかれてはたまらないと、子どもたちは思ったのかもしれない。
さいしょの試練が小谷先生にやってきた。職員室で子どもの作文を読んでいると、教頭先生がちょっとと呼びにきた。
「校長室や」
教頭先生はあまり、きげんがよくない。
校長室にいくと、小谷学級の子どもの親たちが十四、五名も立っている。
「ご父兄があなたと話をしたいということでみえられているんだが……」
校長先生はこまったような顔をしている。
「どういうことですか」
「例の伊藤みな子のことで、あなたの意見をきかせてほしいというのです。わたしはいろいろ説明をしたんだが……」
校長先生がひたいの汗をぬぐっているのは、まんざら暑さのせいばかりではなさそうだ。
「さいしょに小谷先生はどういうお考えのもとで伊藤みな子さんの教育にあたられているのかおきかせください」
鉄工所を経営している淳一の母が、切り口上でいった。
「べつにみな子ちゃんだからといって、特別な考えをもって教育にあたっているわけじゃありません。みなさんの子どもさんと同じですわ」
「じゃうかがいますが、先生は特別に校長先生におねがいをして、伊藤さんを先生のクラスにひきとられたそうですね。さきほどうかがいましたら、伊藤さんは十一月には養護学校にはいられるそうですね。一カ月のブランクができるので、そのあいだ、この学校であずかってほしいと、伊藤さんは申し出られたらしいのですが、なんですか学校ではいちどおことわりになったとか、それをわざわざ先生がたのみこんでひきとられたというふうにききました。それだったら、先生に特別なお考えがなかったら、おかしいじゃありませんか?」
「あなたの意欲をじゅうぶん説明したんですがねえ」
校長先生はもたもたした調子でいった。教頭先生はにがい顔をしている。はじめからみな子をあずかることに反対だったからだ。
小谷先生は思った。もちろん返事はできる、しかし、わたしの考えをまちがいなく伝えようとすれば、一時間や二時間の話し合いではむりだ、万一それができたとしても、納得してもらえるかどうかわからない。けっきょく小谷先生はかんたんなことしかいえなかった。
「みな子ちゃんをひきとったのは、みな子ちゃんをわたしたちの仲間にすることで、この学級がよくなると思ったからです」
「じょうだんじゃありませんよ。あなた、気はたしかですか。一日中、勉強もなにもできないって、うちの子どもはいっていますよ」
うしろの方でヒステリックにさけんだ親があった。小谷先生はひどいことをいうと思ったけれど、だまっていた。
「先生の趣味でなにをなさるのもかってですが、そのために、ほかのものにめいわくがかかるとしたら、話は重大ですわよ、ね、みなさん」
小谷先生も若い。だんだんくやしさがこみあげてきた。
「趣味でやっているんじゃありません。わたしはわたしなりに力いっぱいやっているんです」
べつの親は、おだやかにいった。
「先生の情熱を否定しているわけじゃありませんよ。伊藤さんのおかあさんがみな子さんを大事になさっていられるのと同じように、わたしたちも自分の子どもをなによりも大切にしています。いまのような学級の状態で、もし学力が落ちたらと、それを心配しておねがいにあがっているんですのよ」
また、べつの親はいった。
「先生はえこひいきをしていますね」
さすがに小谷先生はきっとなった。
「先生はわたしたちの家を訪問されるときは、規則だからとおっしゃってどんなにおすすめしても、お茶ひとつ飲んでくださいませんね。だけど、あるところでは、お茶どころか、あがりこんで食事までなさるというじゃありませんか」
小谷先生は頭をかかえたくなった。
「そういうことで先生にたいして感情的になっているおかあさんたちもいるんですよ」
なんだか小谷先生をつるしあげる会になっていくようだった。
たまりかねて教頭先生はいった。
「どうです先生、この問題、もういちど考えなおしてみては……」
小谷先生はまっすぐ顔を教頭先生に向けた。
「わたし、みな子ちゃんを手ばなしません」
「しかし……」淳一の母がいった。
「先生はいったい、だれのためにそんなにみな子ちゃんにこだわるのですか」
「わたしのためです」
小谷先生は、きっぱりいった。母親たちはざわめいた。
「おどろきましたわ。学校の先生は子どものために仕事をなさるのではありませんの」
「わたしは自分のために仕事をします。ほかの先生のことは知りません」
話にならないわ、と親たちはあきれて口ぐちにいった。
バクじいさん助けてください。わたしは正直にしゃべりました。おじいさんのあやまちを、わたしのものにしたら、そんなふうにしかいえなかったのです。おじいさん、わたしはまちがっていますか、おじいさん、教えてください……小谷先生は、じっと眼をつぶった。
さすがにその日は、子どもたちの家をたずねる気はなかった。
鉄三ちゃんごめんね、きょう先生をなまけさせてね。