20 せっしゃのオッサン
三日間はどの車もいっぱいの荷をもってかえってきていたのに、四日めになるといいあわせたように、荷がすくなくなった。
四人の先生はすぐに気がついた。
「おまえさんらまわる家がなくなったんやろ」
足立先生がいって、みんな大笑いになった。四人とも、受持ちの家庭をまわっていたのだ。
四日間の収入を合計してみると、四万八千円になった。
「もうちょっとやで、もう一回、みんなが車いっぱいの仕事をしてきたら、後一日でオーケーや」
「自信ないなあ」
太田先生と折橋先生は顔を見あわせて、ため息をついた。
「あしたから、クズおはらぁーいをやらないかん」
「それ、にが手やなあ」
太田先生はずいぶんなさけなさそうな顔をしている。
五日めは、四人ともひそうな決意をして出発した。
「純ちゃん、きょうはクズおはらいよ。純ちゃん大明神たのみます」
小谷先生は両手をあわせて、純にたのんでいた。
車をひくのはだいぶなれた。ときどき鉄三も前にまわって車を引く。この四日間で小谷先生はいろいろ勉強をさせてもらった。肉体労働というものが、これほど気持のよいものとは思ってもいなかった。汗をながして働いて、やっとありついたいっぱいの水のおいしさはかくべつだった。
子どもたちがよく働くのにも小谷先生はおどろかされた。そうたいにこのごろの子どもは手伝いをしなくなった。小谷先生がそう思って見るからか、小さなみさえや鉄三がけんめいに働いていると、いとしくなってしまう。教室でなんにもしないでじっとしていた鉄三は、いったいどこへいってしまったのだろうと、小谷先生はしばしば思った。
秋がふかいとはいえ日中の日ざしはきつい。小谷先生も子どもたちもすぐ汗ばんでしまう。
「純ちゃん、先生黒くなった?」
「そうでもないよ、気になる?」
「だってまだ若いもん」
「おムコさんにきらわれたらこまるんやろ」
「おムコさんより純ちゃんの方がずっといいよ。もし純ちゃんがおとなだったら、おヨメさんにしてもらうわ」
「うっひ。わかってるよ。おせじをいって、おれにクズおはらいをいわせる魂《こん》たんやろ」
「ちがうわ。ほんとよ。純ちゃんのおヨメさんにもなりたいし、鉄三ちゃんのおヨメさんにもなりたいし、功ちゃんのおヨメさんにもなりたいし……」
「あつかましいなァ先生は」
「先生、あたいらにもお話してえーな。おにいちゃんとばっかりお話して」
みさえがうしろから注文をつけた。
「やくなやくな、みさえ」
純はたのしそうにいった。鉄三はもくもくと車をおしている。キチはあっちにいったり、こっちにいったりいそがしそうだ。ときどき鉄三の方に向かってわんわんとほえるが鉄三は知らん顔をして車をおしている。
「純ちゃん」
「なに」
「きょうはどうせクズおはらいでしょう。だったら校区外に出て、わたしらの顔の知られていない街にいきましょうよ」
「その方が、クズおはらいがいいやすいね先生」
純たちは商店街のうらをつきぬけて、どんどん大八車をおしていった。小さな工場がたくさんあつまっている街に出た。
「先生、このうらに家がたくさんあるで」
「そう、じゃそこでやろうよ」
路地をすこし広くしたぐらいの道があった。両側にびっしり文化住宅がならんでいる。
「ここがいいね、純ちゃん」
「うん」
純は決心してどなりはじめた。
「クズはありませんか——、新聞紙、古雑誌、ボロぎれはありませんか——」
赤ん坊をだいたおかみさんたちが、いっせいにこちらを見た。そしてこの奇妙な組合せにおどろいてひそひそ話をはじめた。
小谷先生はきれいな顔をしているし色が白い。それに子づれだ。ふしぎがるのもムリはない。
じろじろ見られるので小谷先生ははずかしくてしかたがない。つい下を向いてしまう。するといっそうへんなあんばいになって、よけいおかみさんたちの注目の的になってしまう。
「いこ、純ちゃん」
たまりかねた小谷先生は大八車をガラガラおして、とうとうその路地をとび出してしまった。
「あかんやん」
純はうしろから文句をいいながらついてきた。
小谷先生はハンカチを出して顔の汗をふいている。冷汗なんだろう。
「もう、わたし、キチになりたい」
「なにいうてんねん、さ、がんばろ先生」
小谷先生は純にはげまされている。
「はずかしいのん」
みさえが小谷先生の顔をのぞきこんだ。
「鉄三ちゃんあんたはずかしい?」
みさえがきくと鉄三は首をふった。
「みんなはずかしくないのに、先生だけはずかしがっている。おとなはやっかいやなあ」
小谷先生はげっそりした。
勇気を出してまた路地にはいっていった。
「純ちゃん、こんどは声を出さないで、一けん一けんたずねていきましょうよ」
「それでもいいで」
大八車を道のはしにおいて、ご用聞きのようにいちいちたずねて歩いた。
「すみません、新聞紙や古雑誌はありませんか」
わりあいすらっといえたので小谷先生はほっとした。後がいけなかった。
「クズ屋さんなら勝手口にまわってよ。玄関からくるなんて……」
小谷先生はあわててその家をとび出した。
失敗失敗、クズ屋というものは勝手口からはいるものなんだナ、学校の先生なんてものはなんにも知っていない、小谷先生はまた冷汗をかいた。
「ごめんください」
「なんじゃ」
ステテコ姿の大男が出てきた。
「古い新聞紙や古雑誌はありませんか」
「クズ屋か」
「はい」
クズ屋じゃないが、この場合ちがうといってもはじまらない。
「その縁の下にビンがあるやろ。もっていけ」
ずいぶんきたない縁の下だ。いまさらけっこうですともいえず、小谷先生はしかたなしに縁の下にもぐって、古いビンをとり出してきた。きれいな顔がいっぺんにどろどろになった。
小谷先生はいくらか代金をわたそうとすると、大男はいった。
「いらん。くれてやる。おまえさん若いのにくだらん仕事をしとるな。ほかにすることないのんか」
ほっといてちょうだい、と小谷先生はいいたくなった。
「こじきじゃないからお金はおいときます」
そうそうにとび出した小谷先生は、腹の中はにえくりかえる思いだ。熊野郎、すかたん、アンポンタン、無知、アホ、まぬけ、と小谷先生は思いつくかぎりの悪たいをついた。処理所の子どもたちの口の悪いのがなんとなくわかるような気がした。
純もみさえもご用聞きをしている、鉄三まで出かけていくので小谷先生はびっくりした。
「おばちゃん、古い新聞紙や雑誌はありませんか」
みさえはていねいにいっている。
鉄三はガラッと戸をあけると首だけ中に入れて、
「新聞」と、ぶあいそうにいう。
「新聞ってなに」
なんのことかわからないので家の者が出てくると、鉄三はだまって大八車を指さした。
あれだったら新聞というだけでもだいたい用はたりる、と小谷先生は思った。鉄三は鉄三なりにやっているのだ。
みなの奮闘むなしく、収かくははかばかしくなかった。やはりクズ屋でもなわばりがあるらしい。顔見知りでないとなかなかクズは出してくれない。四人ともがっかりしてつかれてしまった。
大きな土管のある空地にきた。小谷先生はアイスキャンデーを買ってきた。よっこらしょと土管を背もたれにして腰をおろした。
「休けいしましょう」
のどがかわいているのでアイスキャンデーはめっぽうおいしいけれど胸のうちはなんともさえない。
「まだちょっとやなァ。徳ックンらはうまくいっているかなあ」
純は心細い。
「クズ屋さんってあんがいむずかしいね先生」
みさえがいう。
「ほんとねえ」
小谷先生は笑ってみさえの頭をなでた。ほんとにみさえのいうとおりだ、クズをあつめるだけのことだが、はずかしいことだってあるしなさけないこともある、仕事というものはどんな仕事でもたいへんなもんだ、クズ屋をバカにする者にはクズ屋をやらせればいい、そうすればそのことがよくわかると、小谷先生はあの熊野郎を思いうかべて思うのだった。
土管の入口から、なにかのそのそと出てきて、きゃあと小谷先生はとびあがった。
純が小谷先生をかばうように立った。
「やあやあ、坊ちゃんこんにちは」
けったいなオッサンが出てきた。髪の毛は肩までたれている。ひげの中から顔がちょっとのぞいている。服なのか着物なのかよくわからないものを着ている。ずいぶん派手につぎがあたっているが、見ようによってはなかなかしゃれたデザインでもある。
「オッチャンこじきか」
えんりょのないみさえが、あっけらかんとたずねた。
「むかしはこじきでありましたが、いまはこじきではありませぬ。おじょうさん」
けったいなオッサンは両手をひろげて芝居のまねをした。みさえはよろこんで、オッサンの前にきてしゃがんだ。
「おじょうさん、わたしにほどこしをいたしませんかな。そのアイスキャンデーまだ半分のこっておりまするぞ。富める者はまずしき者にほどこしをしてこそ神さまの意にかなうというものじゃ。バクシー」
「なんやオッチャン、そのバクシーというのんは」
「よくぞきいてくだされた。バクシーはインドのことば、神さまのみ心のままに——、おじょうさん神さまのみ心のままに、そのアイスキャンデーを……」
「なんや、けっきょくちょうだいということか」
「なんとそう明なおじょうさまか」
オッサンはおおげさな身ぶりでまた両手をひろげた。
「けったいなオッチャンやな。はい」
みさえはたべかけのアイスキャンデーをオッサンにわたした。小谷先生は気味がわるくてしかたがない。
「そちらのおじょうさまはこれまたなんとお美しいお方か、わたしはいまにも眼がくらみそうじゃ」
どうやら悪人ではないらしい。純はふたたび腰をおろした。小谷先生もしゃがんでみたもののなんだか落ちつかない。
「みなさんのご関係は。まさか親子ではありますまいな」
「学校の先生、おれは生徒」
アイスキャンデーをしゃぶりながら純はいった。
「これはまたおどろきいった。またまたなにゆえに、学校の先生がクズ屋をやっておられるのか」
純はじゃまくさそうにあらましの話をした。
「おどろきいったる美談、せっしゃいたく感激もうした。いやいやみあげたご心底」
「オッチャン、オッチャンは時代劇みたいなもののいい方するねんなァ」
みさえがいった。
「せっしゃは現代がきらいでこざる。電気も自動車もみんなきらいでな、しかしアイスキャンデーは好きでござる」
みさえは笑った。
「よし、それではせっしゃにまかされよ」
けったいなオッサンはそういって立ちあがった。そして大八車を自分で引いて歩きはじめた。オッサンはさっそうとしていた。
純たちはオッサンの後につづく。
「いいのかしら純ちゃん」
「べつに悪い人でもなさそうやで」
「先生もそう思うけれど」
オッサンは、純たちがさいしょにはいっていって逃げ出してきた例の路地にはいっていった。なかほどで車をとめると、オッサンは大声でしゃべりはじめた。
「せっしゃのオッサンがまいったぞ。クズを出されい、クズを出されい。せっしゃのオッサンがまいったぞ」
あちこちから子どもが出てきた。せっしゃのオッサンがきたァとかけてくる。たいへん人気者だ。
「遠からん者は耳をすましてよくきけよ。本日はせっしゃがクズをちょうだいするのではござらん。せっしゃ一生一代の善行。ここにおられるのは、その名も高き姫君先生じゃ。クズ屋は世をしのぶかりの姿。先生は慈悲も大慈悲観音菩《ぼ》薩《さつ》、小児マヒの教え子のために連日連夜、入院資金を調達してござる」
「オッサン、おれ、そんなこというてへんで」
純が眼をむいて文句をつけた。
「まかしとけ、まかしとけ」
オッサンはまるで平気だ。
「こんにち現代、かかる美談があったらお目にかかりたい。六根清浄六波羅蜜《みつ》寺《じ》おぬしらにも美談のはしくれにぶらさがらせてやりたい。さあさあいそいでクズをもってまいられい」
小谷先生はあっけにとられている。よくまあ口から出まかせにつぎからつぎへことばがでてくるものだ。ふてぶてしいところは足立先生ににている。
たちまち廃品があつまって、純たちはいそがしくなった。小谷先生も目方をはかるのにてんてこまいだ。
オッサンは向こうの路地へいって同じことをどなっている。
一時間もすると、車に積みきれないくらいの荷ができた。
「ありがとうございます。もういっぱいですわ」
小谷先生は礼をいった。
「せっしゃのオッチャンおおきに」
純もみさえも礼をいった。
「オッチャン、あたいらS町の処理所の子やねん。いっぺん処理所に遊びにきて」
「かたじけのうござる」
けったいなオッサンはそういうと、ひょうぜんときびすを返した。
「オッチャンありがとう」
「オッチャンまた会おうね」
「さらばじゃ」——オッサンはまだ気どっている。
その日は純たちの車が文句なしの一等賞であった。足立先生も折橋先生も太田先生も眼を丸くしておどろいている。純はそれが痛快でならなかった。