22 波 紋
鉄三が学校を休んだ。一回の欠席もなかった子だったので小谷先生は心配した。休み時間に小谷先生はなにげなく足立先生にそのことをしゃべった。
「あれ、ぼくとこのみさえも休んでいるで」と、おどろいた顔をした。
折橋先生のクラスの恵子も休んでいることがわかって、あわてて、処理所の子どもたちの出欠を調べた。
教頭先生はろうばいした。いそいで校長室にはいっていった。
しばらくして、足立先生が呼ばれた。
「足立君、処理所の子どもたちが全員、欠席している」
「そのようですね」
「君、これは同盟休校だろうか」
足立先生は首をかしげた。足立先生にもよくわからない。処理所の親たちが学校になんのれんらくもしないで子どもたちを休ませるだろうか。足立先生ら心を許した教師にも伝言がない。足立先生にはちょっと考えられないことだった。
「ともかく君、いますぐ処理所にいって事情をきいてきてくれんかね」
教頭先生がわたしもいきましょうかといったが、足立君ひとりの方がことが荒立たんでよろしいと校長先生はいった。
足立先生はなかなかかえってこなかった。校長先生はいらだつ心をおさえかねて、なんども校長室をうろうろ歩いた。
小谷先生も折橋先生も授業がすむとすぐ職員室におりてきた。なんの情報もはいらないので、不安気な顔をしてまた教室にもどっていった。
図工の時間で、専科の教師に授業をしてもらっている太田先生はふたりにいった。
「かわったことがあったら、教室まで知らせにいってやるよ。落ちついて授業をしろよ」
昼近くになって、足立先生はやっとかえってきた。
「どうだった足立君」
まちかねて校長先生はたずねた。
「まずいです」
ぶっきらぼうにこたえた。たいへんきげんがわるい。足立先生はことばをつづけた。
「きのう、役所から人がきて処理所の移転について説明会があったそうです。たった二名できて、それもずいぶん若い男だったといいます。結論からさきにいうと、処理所の親たちは二つの点で腹を立てています。一つは、移転の決定がきゅうで一方的であること、それも、正式職員には一カ月も前から本庁でくわしい説明があったのに、臨時雇員には通告ていどの話しかなかったこと、二つめには、徳治の父親が子どもの通学はどうなるのかという質問をしたのにたいして、決められたとおりの学校にいってもらうといったこと、つまり転校しろということです。埋立地は道路もじゅうぶんでないし、ダンプカーの出入りもはげしい、子どもにとって、たいへんきけんだと功の親がいったら、その男たちはどうこたえたと思います」
「なにかいったのかね」
校長先生は身をのりだした。
足立先生はいっそう不きげんな顔になっていった。
「きょうび、犬でも車をよける、いいですか校長、ようきいといてくださいよ。きょうび、犬でも車をよける、といったんです」
「バカなことをいいくさって」
校長先生もにがい顔をした。
それから、足立先生と、校長、教頭先生は一時間あまりもこまごまとした話をつづけていた。
その日は水曜日だったので、小谷先生は昼からの授業がなかった。専科であき時間のできた折橋先生とふたりで処理所にいってみた。
子どもたちは例の基地にあつまっていた。勉強道具がちらかっているところをみると、勉強のまねごとをしていたようである。
ふたりが姿を見せると、子どもたちはかん声をあげてとびついてきた。
「さっきアダチがきとったで」
「うん、知ってるよ」と、折橋先生はいった。
「えらいわね。みんなで勉強してたの」と、小谷先生がいうと、
「おれと純としげ子が先生」と功はえらそうにいった。
「おにいちゃんはね先生、わからへんかったら、ゴムのホースであたいらをぶつの。鉄三ちゃんも一回ぶたれた」と、みさえがうらめしい顔をしていった。
「三つもたたかれたァ」と、浩二がいっている。
「そやかて、こいつらものおぼえがわるいんやで先生」
と、純は半分にげごしでいった。
五たす八は、ときかれて、まごまごしている鉄三を思うと、小谷先生はしぜんに笑えてくる。ゴムのホースでぶたれて、鉄三はどんな顔をしているのだろう。
「それにしても、ストライキやなんて、おまえら、かっこのええことやりよったなあ」
折橋先生がいうと、功は口をとんがらせていった。
「なにがかっこがええんじゃ。チビらに勉強は教えてやらないかんし、時間は長うてたいくつやし、ええことなんかちっともないわい。学校にいきたいワ」
「そらそうや、すまん」
折橋先生はすなおに失言をわびた。
「はじめはおとうちゃんやおかあちゃんらとけんかして、なんでぼくらが学校を休まないかんのやいうとったんや」
この子どもたちがいっせいに両親にくってかかるようすを想像して、折橋先生はいっしゅんたじろいだ。
「そやけど、おれらかて島ながしはいややもん」
だれがいい出したことばか知らないが、島ながしとは、うまいことをいったものだ。まさしく現代の島ながしだ。
「先生らに会えんようになるし……」
純がしょんぼりいった。
「そいでがんばっとんや」
「すまんすまん、先生がわるかった。ごめんして」
大きなからだの折橋先生が小さくなっている。
処理所からかえった折橋先生はすぐ校長室にいった。
「校長さん、ぼく、考えたんですが、処理所の子が学校を休んでいたら、教師は出張授業をせんといかんと思ったんです。子どもが休んでいるのを、教師がじっと見てるというのは犯罪です。ちがいますか」
「あんたのねっしんさはたいへんけっこう。けれど、じっと見てるということばはとりけしてもらいたい。わたしもいろいろ手をつくしている。これでもそうとう苦労をしているつもりだ」
と、校長先生はいった。
「そりゃすみません。ことばがすぎていたらあやまります。だけど、その出張授業というぼくの案、考えてみてくれませんか」
「うーん」
校長先生は考えこんでいた。
三時ごろ、学年主任と処理所の子どもの担任がそれぞれ校長室に呼ばれた。そこで折橋先生のいいだした話がけんとうされた。
とくべつな勤務をむりじいするわけにはいかない、気持のある先生がいくことはさしつかえない、ということになった。折橋先生ははなはだ不満だ。
その日、処理所に勉強を教えにいったのは、けっきょく、四人の先生だけであった。
小谷先生は思った。この処理所をさいしょにおとずれたとき、四郎がこわい顔をしてさけんだことがある。
「おおかたのセンコはわいらをばかにしとんじゃ。わいらのことをくさいいうたり、あほんだれいうたり、だいたい人間あつかいしてえへんのじゃ」
ざんねんながら、四郎のいったことは正しかったのだ。
「姫松小学校でええセンコいうたら、アダチとオリハシとオオタくらいやな」
子どもたちはとうから、見通しだったといえる。
処理所の子どもたちが同盟休校をはじめて三日めに、皮肉なことがおこった。
「六歳のハエ博士、おとな顔まけの業績、保健所も手をやくハエ、一目で発生場所を見破る」
新聞は大きな活字で、鉄三の研究を報道した。鉄三がハエのビンをのぞきこんで、記録をとっている写真ものせてあった。
ハム工場のハエ退治の話、一年生の鉄三がハエの生態を系統的に調べていること、いま研究しているのは、ハエに色の好みがあるかどうかということなど、新聞の記事にしてはかなりくわしくかかれてあるのだった。
同じ新聞の社会面にやはり大きな見出しでつぎのような記事が報道された。
「ぼくたちはごめんだ、塵《じん》芥《かい》処理所の移転に反対して登校を拒否」
新聞を読んだ人たちは、この二つの記事に同じ人間が出てくることなど思ってもみなかった。
校長先生は新聞を読むと頭をかかえこんでしまった。一つの新聞に名まえが二度も出たのはこの校長先生がはじめてだったろう。
足立先生は、ぽんぽんひざをたたいてよろこんだ。鉄三の記事はもちろんうれしい、処理所のこともこうなれば、おおやけになって黒白をつけてもらう方がすっきりしていい、そんな気持らしかった。
小谷先生はいつまでも鉄三の写真をながめていた。いろいろな思いがいちどにおしよせてきたのだろう。
処理所の子どもたちは新聞をうばいあって読んだ。鉄三やみさえには功が読んできかせてやっていた。
わからないことばが出てくると純が説明してやった。
「鉄ツン、おまえのことがかいてあるねんで。ちょっとはうれしそうな顔をせんかい」
「ん」
鉄三はしりをぴょこんと立てて、いっしょうけんめい漢字をかいている。
「ほんまに鉄ツンはあいそないなァ」
四郎があきれかえった顔をしていった。
事件が新聞記事になって、はじめて役所から人がきた。こんどは課長が出席した。
ちょうど子どもたちに勉強を教えていた四人の先生と校長、教頭先生が学校側の出席者になった。
「さいしょにみなさんの日ごろのご苦労にたいして深く感謝の意を表します」
課長は深ぶかと頭をさげた。処理所の人たちもていねいにおじぎをした。
「さて、このたびはわたしどもの不手ぎわから、みなさんのご不興をかい、まことにもうしわけしだいもございません。先日こちらにうかがわせました係員からみなさんのご不満をおききしました。いちいちごもっともであります。みなさんに説明がおくれましたのは、みなさんに動揺をあたえてはいけないという心くばりからでございます。決して職員と差別をしたわけではございませんので、その点ごりょうかいをいただきたいと思います。それから、子どもさんの通学の件でありますが、ごぞんじのように通学区域というものははじめから決まっておることでありまして、わたくしどもの一存ではどうにもならないことでございます。交通事故のご心配は親ごさんとしてとうぜんのことです。関係方面にれんらくをとりまして、できるかぎりのことはいたしますので、なにとぞ処理所の移転にご協力をたまわりますようにおねがいいたします」
課長はまた頭をさげた。
「ものの言い方だけはバカていねいやな」
きこえよがしに足立先生はいった。
徳治の父が先日の係員の無礼な態度をなじった。課長はそばの男になにか耳うちした。男は席を立っていった。
「それは、いまはじめてききました。もうしわけありません。若いものですから、つい口がすべったと思います」
「それはどういう意味です」
徳治の父はいった。
「つい口がすべったということは、本心はそうだというてるのと同じことではありませんか」
「いや、決してそういう……」
「課長さん、あんた息子さんがありますか」
「あります」
「あの男にわたしらと同じことをいわれたらあんたどう思います」
「みなさんと同じです。腹を立てるでしょう」
「ところが、あの男はあなたには決してそんなことはいわない。だれにいっても腹を立てることばを、わたしたちにはいう、あんたらのように力をもっている者にはいわない。それが差別というんです」
「課長さん」
バクじいさんが手をあげた。
「じつは、ここにおるもんは子どもに学校を休ませる前に、自分たちでストライキをしようというたんですわい。こんなきたない仕事はきょうびだれもやらん。わたしらがストライキをやったら、たちまちこまってしまいます。わかりますか課長さん、わたしはみんなにいいましたわい。そんなだれでもやるようなことはやるな、たちまち人がこまるようなことをとくとくとしてやるな。どんなに苦しくてもこの仕事をやりぬけ。それが抵抗というものじゃというたです。けんど課長さん、人間には限度というものがありますわい。労働者はストをする権利をもっておりますわい。さっき足立先生がことばだけていねいやとおっしゃったが、わたしも同じ意見です。あなたはほんとうに、わたしらのいうことに耳をかそうという気持をもっとらんように思いますのじゃ」
バクじいさんは課長の顔を見てゆっくりとしゃべった。
「課長さん、この新聞を見てくださいましたか。六歳のハエ博士というのは、じつはわたしの孫ですわい。この子は学校にあがりたて石みたいな子でした。ものはいわない、字はかかない、本もノートもさわったことがないという子でしたんじゃ。石なら害はせんけれど、この子は自分の気に入らないことがあると、だれかれなしにひっかく、かむというありさまじゃ。課長さん、そちらに色の白いきれいな女の先生がおいでじゃろ。わしの孫に、なんども顔をひっかかれて、いつも泣いておられた。その先生がいうにいわれんご苦労をなさって、わしの孫をハエ博士といわれるようになるまで育ててくださったんじゃ。そんなとおとい美しいものを、あんたは、はじめから決まっておることでしてと、あんた自身なんの苦しみもないことばで、かんたんにひきさいてしまおうとされている。わたしらはそれを許せんというているのですわい」
小谷先生はせなかが寒くなった。口調はおだやかだが、バクじいさんのことばはきびしかった。
「わたしと孫はふたりっきりですわい。身寄りというものはない。この処理所で働いている者は多少とも人生の重さを背おっておるもんばかりです。同情はいりません。ふつうの人間がふつうのことをいっている。あなたはそれをふつうにきいてくださるだけでいいんです」
そのとき、若い男がつれてこられた。
「白井くん、先日の君の失言をここでおわびしなさい」
課長は芝居がかったきびしさでいった。
「もうしわけありません。重々おわびいたします」
男はなんの抵抗もなしにわびた。まるで打ち合わせてきたようであった。
バクじいさんはだれにともなく、いやいやをするように首をふった。
「すこしもわかっておらん」
バクじいさんはかなしそうだった。