24 つらい時間
同盟休校がはじまって、ちょうど一週間たった日に、二つの総会があった。一つの方からのべる。
姫松小学校の臨時PTA総会は、午後二時きっちりにはじまった。さいしょ議長がえらばれた。
かんたんなあいさつの後、議長はいった。
「本日のPTA総会は、議案にありますとおり、S町塵《じん》芥《かい》処理所移転問題にたいする本校PTAの態度表明に関する件、ただ一つであります。じゅうぶんのご審議をねがいます。本日の総会はたんにPTAの総会というにとどまらず、住民大会の性質をもつものでございまして、わたしどもの態度表明はこんごの移転問題に重大な影響をあたえるわけであります。本日は話し合いに必要と思われる当事者は全員出席をしていただいておりますので、ご不審の点は、よくききただしていただきたい。なお、ただいまのところ、新しいニュースがはいっておりますのでお伝えいたします。処理所移転にさいして、紛糾あるため移転予定を一カ月、おくらせるとのことであります」
会場からざわめきがおこった。
おおかたはそれを非難する声だった。
それぞれの立場の者がかわるがわる立って説明をした。役所、処理所現業員の言い分は平行線のままだった。学校側は、子どもの教育にさしさわりのあるトラブルは一日もはやく解決してもらいたい、と他人事のような発言をして、小谷先生や足立先生をくやしがらせた。
住民代表といわれる主婦は立ってつぎのような説明をした。
「さきほど議長さんから、処理所の移転が一カ月延期されたと報告をうけました。これはいったいどういうことでしょう」
拍手がおこった。そんな延期は延期してもらえというヤジがとんで、会場は笑いにつつまれた。
「わたしたちが、処理所の移転を要求して運動をはじめたのは、きのうやきょうのことではないのです。もう四年前から署名や陳情をくりかえしているのです」
そうだそうだという声があちこちでした。
その主婦は、役所の人のすわっている方を向いていっそう声を高くした。
「あなたたち、いちど、この校区のどこでもいいから住んでごらんなさい。せんたくものは灰だらけ、黒いシミだらけ、食事のときに灰がとんでこようものなら、どんなに暑くても窓をあけるわけにはいかんのです。そんな生活を、ちゃんと税金をはらっているわれわれにおしつけておいて、あなたたちはそ知らぬ顔をしている。紛糾あるため一カ月延期とはなんですか。人をバカにするのもいいかげんにしてください」
また、拍手が高くなった。
「紛糾をおこしたのはだれですか、あなたたちではありませんか。あなたたちの紛糾のためになぜ、わたしたちが被害を受けなければならないのです。だいたい役所側とか処理所の現業員側とかいっているのがおかしい。処理所の現業員さんはあなたたちがやとっているんでしょ。つまりあなたたちは身内じゃありませんか。身内のけんかを、なんの関係もないわれわれになぜ、おしつけるんです。すこしははじをしりなさい、はじを」
たいへんな拍手だった。役所の人はにがい顔をしている。
「問題をすりかえてもらってはこまります。わたしたち住民のねがいは一日もはやく塵芥処理所を移転してもらいたい、ただそれだけです。ほかに問題はありません。あるような顔をして問題をもちだしてくるのはあなたたちの陰謀です」
議長はいった。
「これで、それぞれの説明はおわりました。ただいまから討論にうつります。ご意見のある方は手をあげていただきます」
ひとりの母親が手をあげた。
「わたしはさきほど、瀬古さんがおっしゃったことに全面的にさんせいしますわ。これほどはっきりした公害はありません。この学校の給食室はガラス戸と金網の二重窓になっています。ハエの多いときは金網を、灰のふるときはガラス戸をとつかいわけていらっしゃるんです。給食のおばさんのご苦労もさることながら、食物によその学校以上に神経をつかわなくてはならないというのは、われわれ父兄としてほうっておくわけにはいかない問題です。一部の人の待遇の問題で、この地区全体の人が不利益をこうむるというのはおかしいと思うんです。全体のことを考えていただきたいですわ」
二、三人が発言をしたが、いずれも同じような意見だった。
「ほかにちがった意見をおもちの方はおりませんか」
と議長がうながした。
うしろの方で手をあげた者があった。勝一の父だった。
「ひとつふたつきかしてほしいことがありますねん。ひとつは処理所の人たちにおたずねしたい。あんさんらはどうしてご自分でストライキをしないでかわいい子どもさんにそれをやらせるのか。もうひとつは瀬古さんという方におたずねしたい。もし、お宅の子どもさんが埋立地から通学せないかんということになったらどないしやはりまっか」
徳治の父が答弁に立った。
「わしらは学問がおまへんよって、うまいことりくつはよういいまへんが、思っとることだけはいうておきます。さっき瀬古さんとかいう方が身内の問題で人にめいわくをかけるなというとられましたが、そらそのとおりだす。そう思っとるから、わしらはストライキをせん。労働者はストライキをする権利をもっております。それでもわたしらはぎりぎりしんぼうしておるのです。自分の子どもを学校にやらなかったら、自分の子どもの勉強がおくれるだけですみます。その考えもひとつありますが、もうひとつの考えは、ふりかかった火の粉は自分ではらえということだす。埋立地にいって苦労するのは子ども自身です。自分のことは自分でたたかえと、わしらは子どもに教えとるんです」
つづいて瀬古という主婦が立った。
「おこたえします。わたしの子どもが埋立地から通学するようなことになったらどうするかというおたずねですが、わたしだったら、それはそれ、これはこれときっぱり区別をつけてたたかいます。大衆運動の中に私情をもちこんで問題の本質をぼやかすようなことはぜったいいたしません」
勝一の父がつづけて発言をもとめた。
「どっちの意見ももっともだんな。けれど、わしが感心したのは処理所の方の意見です。当世はやりの教育ママにきかせてやりたいような話ですワ。ゴミというもんはもともと、ひとりひとりの人間、ひとつひとつの家庭から出てくるもんです。自分のことは自分で始末せないかん。そう思うておっても都会生活はそれを許さんから処理所がある。もともとは自分が出したゴミだということをいつでも頭においとかんと、人間は勝手なことばっかりいうようになりまんな。処理所は移転してもらわんとこまるという考えだけでこりかたまっているから、そのためにめいわくをこうむる人がでてきたということに眼がいかん。自分さえよかったら他人はどうなってもええと考えとる人間はこの会場にひとりもおらんはずや。そやのに、処理所の人たちの不幸に眼がいかん。なんでかというたらわしがはじめにいうたように、ゴミというもんはもともと自分が出したもんやということをわすれてしもとるからや。ことわっとくがそやからいうて、わしが役所をかばっとると思たら大まちがいやで」
勝一の父はしんけんな顔をして声をはりあげた。肉屋のオッサンがんばれというヤジがとんだ。
やっぱりうしろの方で手をあげた人があった。小谷先生が中腰になって見ると、淳一の母だった。
「さきほど一部の人のつごうでたくさんの人が不利益をうけるのはいけない、という考えをこんどの問題にあてはめて、ご意見をのべられた方がありました。二、三カ月前だったら、わたしもその方と同じようなことをいった、と思います。わたしの子どもは一年生なんですが腺《せん》病《びよう》質《しつ》な子で、友だちもすくなくいつもひとりでなにかをしているという感じの子どもでした。その子どもがあるときを境にしてすっかりかわってしまったのですが、その原因がきょうの問題と関係があるように思いますので発言させていただきました。ある日のことです。担任の先生がちえおくれの子どもさんをひとりあずかっていらっしゃいました。たいへん重症な方で、ことばもはっきりしませんし、用便の方も不始末が多いのです。とうぜん、先生の手がかかります。授業もじゅうぶんでございませんし、わたしたちは子どもの学力のおくれを気にしたわけです。つまり、ひとりの子どものために、他の子どもがぎせいになっていいものかどうか疑問に思ったのです。ほかにもそう考えておられる方がたくさんいましたので、その方たちと先生に抗議にまいりました。先生はわたしたちの抗議をうけつけてくださいませんでした。そのときはなんと強情な先生だろうと思いました。日がたつにつれて、わたしは自分の子どもがすこしずつかわっていくのに気がついたのです。ひとのことなど知らん顔をしていた子が、他人のことでなやむようになり、考えるようになったのです。気がつくと、おとなでも手をやくようなたいへんなせわを、なんと一年生の子が、先生のかわりにやりとげていたんです。口でいえばかんたんですが、その間、先生も子どももたいへんな苦労があったと思います。ひとつの試練をのりこえたときに、人間的な成長があった、わたしたち考えさせられましたわ。
一部の子どものためにみんながめいわくをこうむる、わたしたちははじめそう考えていたのです。しかし、それはまちがいでした。よわいもの、力のないものを疎外したら、疎外したものが人間としてダメになる、処理所の方たちの要求はわたしたちの要求として、処理所の子どもたちのたたかいはわたしたちのたたかいとして考えていかなくてはいけないと思います」
そうだ、と大声でどなったものがある。足立先生だ。かなりたくさんの拍手がおこった。
それから総会は一時間あまりつづいた。いろいろな人が立って発言した。さいごに二つの結論が出た。かんたんにのべると、つぎのようなことになる。
㈰S町塵芥処理所の移転は、当住民の危急存亡のねがいであり、移転の実施は遅滞なくすみやかにおこなわれることを要求する。
㈪S町塵芥処理所の移転を強く要求する。またわれわれ住民は、処理所現業員のたたかいを全面的に支持し、移転要求とからめてたたかうことを宣言する。
二つの決議文が出たので採決をとることになった。約三対一の割合で㈪は否決された。
小谷先生は目の前が暗くなるような思いだった。世の中とか人間の複雑さを思いしらされたような気がした。
小谷先生は重い気持で家路についた。
そしてまた、家でも気の重い話がまっていたのであった。いうなら二つめの総会である。
家にかえると、小谷先生の両親と、夫の両親がまっていた。夫はさきにかえっていた。
六人で食事をはじめたが、なんとなく気まずい空気がただよっていた。小谷先生の父がさきに口をひらいた。
「夫婦仲がわるいそうだが、みんな心配しているんだよ」
すみませんおとうさん、夫婦仲がわるいんじゃなくて、生き方がちがうんです、といいたかったが小谷先生はだまっていた。
「わたしがわるかったかもしれない。世間知らずのままではいけないと思って、二、三年世間の風にあたらせるつもりで学校に勤めさせたのがよくなかったかもしれない」
わるいけれどおとうさん、それはまちがいです、社会というものはひとりの人間のそんなべんりのためにあるもんじゃないんです、もちろん小谷先生は心の中でいっただけだった。
「芙美さん、あなた、一雄が事業の準備のためにいろいろな人とおつきあいすることをいやがっておられるときいたんですが……」
「そんなことはないですわ、おかあさん」
そうじゃないんだ、夫がもしそういったとしたらそのことだけで夫はいいかげんな人間だと思う。
夫はこのごろかえりがおそかった。午前二時、三時と酔ってかえってくるのだった。小谷先生はそういうことにこだわらないタチだった。いやだとも不愉快だとも思わない。
夫はいうのだった。きょうはどこそこのえらい奴をキャバレーにつれていって飲ましてやった、これであの仕事はばっちりだ、接待もラクじゃないぜ、世の中きびしいね。
小谷先生はくだらないテレビドラマをみているような気がした。世の中はきびしいっていうのはそんなときにいうことばじゃないでしょうと小谷先生はいった。接待もラクじゃないって、あなたの顔を見ていると、けっこういっしょにたのしんでいるじゃありませんか。おまえはきついことをいうね、身もふたもないことをいうね、おれはそんな女はきらいだね、と夫はいったのだった。
「一雄も家庭のことを考えて、いろいろな人とおつきあいをしているんだから……」
「もちろんですわ。だからわたし、一雄さんのお友だちがみえられたら、どんなにつかれていても笑顔で接待してますわ」
「芙美さん」
夫の母はしんこくな顔をしていった。
「あなた、一雄のどういうところが気に入らないのですか」
「………」
それはいえない、いったってわからない、あなたもあなたの息子さんも傷つくだけです、生き方のちがう人間がひとつ屋根に住んでいる、それはたいへんなことだということをわたしはいま考えているんです、そのことを考えて考えぬいてわたしは生きるだけです、と小谷先生はひそかにいった。
話はだらだらといつまでもつづいた。小谷先生はそのつらい時間をじっとたえた。