万《まん》 才《ざい》
才蔵《さいぞう》はつづみで腰をつかうなり
嫁が出ていると万才つけ上がり
正月の街頭風景といえば、戦後はトンと姿を見せなくなった万才が、昔は初春のムードとお笑いを、いやが上にももり上げたものだ。
三河《みかわ》・尾張《おわり》地方(今の中部地方)から出てきた万才の風俗といえば、太夫《たゆう》は、烏帽子《えぼし》に武家の礼服の素袍《すおう》を着て、扇を持ち、脇師《わきし》の才蔵は大黒頭巾《だいこくずきん》をかぶって鼓を打ち、「徳若《とくわか》(常若《とこわか》)に御万才と御代《みよ》も栄えまします……」などと、めでたい歌をうたって門付《かどづけ》したものである。
ところが型どおりの祝言がひとくさりすむと、着かざった奥さんや、お嬢さんやメイドさんたちが出そろったころあいを見はからって、「殿《との》さまもお好き、奥さまもお好き」などとこっけいでワイセツな文句をのべたて、それにあわせて才蔵が鼓を打ちながら腰を使ったり、おかしなしぐさで初春のお笑いをばらまいて歩いた。まことにのどかなお江戸の正月であった。
さて街頭風景の懐古はこのくらいにして、そろそろ家庭へ、屋内へふみこむことにしよう。