姫始め
かかあどの姫はじめだと馬鹿をいい
このところ、お正月ともなると、和服姿がめっきりとふえた。島田《しまだ》や結綿《ゆいわた》のカツラも以前にくらべるとずいぶん軽い。これからいよいよふえるだろう。年に一度ぐらいは仕事着をぬいで、美しくなってもらいたい。ところで、今の着物を小袖《こそで》といったのは、中世まで、礼服の大袖の下にきる下着だったからである。江戸時代にはいってそれが独立し、織り方や染色に工夫をこらし、一六六〇年前後から小袖着物と称するようになって今におよんでいるわけである。あの、世界で一番美しいノーパンの着物が、もとは下着であったのだと思えば、ちょっと味な気持にもなろうというものである。そこで、
松の内うちの女房にちょっとほれ
ということにもなるわけだ。うちの古妻もまんざら捨てたもんじゃない、というこの程度ですめば、風流と申すほどのこともないのだが、「姫始めだ」といい出すから、すてておけないのである。
新年の事始めにも、昔はいろいろとあったが、近松門左衛門《ちかまつもんざえもん》作の|『大経師昔暦』《だいぎようじむかしごよみ》(正徳《しようとく》五年・一七一五年)に、「湯殿始めに身を清め、新枕《にいまくら》せし姫始め」ということになれば、これだけでもおよその見当はつこう。
[#この行2字下げ]天和《てんな》二年の暦、正月一日、吉書よろずによし。二日姫はじめ、神代のむかしよりこの事恋しり鳥のおしえ、男女のいたずらやむことなし。
と、十七世紀末の大阪の町人作家・井原西鶴《いはらさいかく》も『好色五人女』でいっている。事実、むかしの暦を見ると、元日または二日のところに、チャンと「姫始め」と書いてある。学者というものは、今も昔もうるさいもので、この姫始めについて、なんだかんだと考証している。一番ほんとらしいのは、昔はむした強飯《こわめし》に対して、釜でやわらかくたいた御飯を姫飯《ひめいい》といったから、正月にその姫飯を食べはじめる行事だ、という説である。そのほか、女子が裁縫をはじめる日だとか、飛馬《ひめ》始めで馬に乗りはじめる日だなどと、諸説フンプンたるものがあるが、西鶴や近松をはじめ江戸時代の民衆は、男女がはじめて情交する日と、かたく信じていたのだから、やぼな学者がなんといおうと問題ではない。だから、川柳でも、
やかましやするにしておけ姫始め
と、やっつけているのである。いかがなものであろう、いたす、いたさぬは別として、来年のカレンダーから、正月二日の条に「姫始め」と印刷しては。文部省も日教組も、自民党も社会党も、サラリーマンもOLも、この日はカレンダーをめくった瞬間、超党派で一億総ニヤリ、なごやかな新春をむかえることになるであろう。