後家《ごけ》の恋
はりかたでいますがごとく後家よがり
「後家という後家に霞《かすみ》のかからぬ後家もなし。」と、例によって西鶴がうまいことをいっている。またいわく、
[#この行2字下げ]今時の後家立つるは、その死跡《しにあと》に過分の金銀|家督《かとく》ありて、欲より女の親類意見して、いまだ若盛りの女にむりやりに髪を切らせ、心にもそまぬ仏の道をすすめ、命日をとぶらわせける。かならず浮名立て、家久しき手代を旦那にすること、所どころに見およびける。かくあらんよりは、ほかへの縁組人の笑うことにはあらず。
と粋法師らしい意見をのべている。遺産と道徳にしばられて、心にもなく後家を立てる後家が多かったわけだが、もちろん中には心底から死んだ亭主を忘れかね、思い出に生きる後家もあったわけだ。だが、そういうしおらしい後家さんでも、なま身であるから、ひだるくないというわけにはいかない。まして、三十後家は立たぬ、のたとえもある。そこで主題句が生まれたわけであるが、これは『論語』の「祭ること在《いま》すが如く」(生きてる人に対するように、まごころをこめて)の文句取りであるからおかしいのである。
一体、江戸時代の後家というものは、亭主が死んで独り身になったメリー・ウィドー、というようなのんきなものではない。第一に切下《きりさ》げ髪といって、髪の毛を首のあたりで切ってモトドリでくくり、端をたらしたものである。男の大たぶさと思えばよい。二度と髪は結いません、浮気はいたしません、というポーズである。
ほれられる程《ほど》は残して後家の髪
切るんなら、いっそ尼になったらいいじゃないか。すこし残すところを見ると、なあに、やっぱり未練があるのサ、などと庶民はなにかにつけてうるさい。
髪を切るだけじゃない。逆朱《ぎやくしゆ》といって、死んだ亭主の石塔に自分の戒名《かいみよう》を彫りつけ、まだ生きている証拠にそれを朱で埋めたものである。これは生前にあらかじめ自分のために死後の仏事|供養《くよう》をすることを逆修というので、つまり逆修の朱、略して逆朱といったのてある。生きていながら死んだ|者ぶん《ヽヽヽ》になる。浮気や再婚なんぞはとんでもない、という意思表示である。そこで、
石塔の赤い信女《しんによ》をそそなかし
ということになる。信女は「春色清光信女」などいう戒名である。とかく男というものは、悪性なものだ。そのあげく、
石塔の赤い信女がまた孕《はら》み
と相なるわけである。