中 条《ちゆうじよう》 流《りゆう》
中条へゆくよりほかの事ぞなき
中条流という女医者、つまり産婦人科医は、豊臣秀吉《とよとみひでよし》の臣中条|帯刀《たてわき》にはじまるというから、古いものだ。はじめは文字どおり産婦人科だったのだが、いつのまにかオロシ専門となり、「中条流婦人療治」という看板をかけて、江戸名物となってしまった。
中条でたびたびおろす陰間の子
陰間を買う後家さんでも、なんせ相手は男のことだから、中条のやっかいにならねばならなかったわけだ。
大つぶれだと中条へ芸子いい
たとえば芸者衆だとかバーのホステス衆だとか、せり出したおなかでは商売上どうしても困るという連中などまでひっくるめて、「ゆくよりほかの事ぞなき」の組がおしかけて、繁昌《はんじよう》したのである。
しかし、たびたびやっかいになる常連の後家さんや商売人は、平気で出はいりできたろうが、ことにはじめてのお素人衆《しろとしゆう》は、そうはいかない。
間《ま》のわるさ中条の前二度通り
どうも恥ずかしい、というのが人情であるから、医者の方でも心得たものだ。
静うかなとこで中条はやるなり
中条はそこいら中へ門《かど》をあけ
盛り場のまん中にあったんでは、人目が多くて気の弱い婦人の患者はよりつくまい。それに入口が一つで、すねに傷もつ者同士が顔を合わせるのはまずい、というので、表通りをはなれた静かな所で、出入り口も二、三カ所つけておくというこのやり方は、今でも産婦人科医諸氏の参考になるだろう。
ここへいようと中条へ一人やり
中条の門に立ってるのが相手
痛い恥ずかしい目にあいに行く心細い彼女を、男たるものほっとくわけにはいかない。だが、いくらはいりやすくできているからといって、中までくっついていくわけにはいかんというので、小半町も離れた喫茶店《きつさてん》か汁粉屋《しるこや》で待っていようというのが前句。
まだしかし、彼氏につきそわれて来るのは、めぐまれた方だ。
中条は仏頂面《ぶつちようづら》で母と知り
妊娠したのも知らずにいるあどけないローティーンを引っ立てて来た母親は、今も昔もさぞ渋い顔をしていることであろう。
何さ歴々《れきれき》もおろしにござります
そういう時にいう女医のきまり文句だ。——お名まえははばかりますけどネ、ずいぶん身分のあるお方もお見えになりますよ。
といって、またこういう。
女医者小の虫とはへらず口
小の虫を殺して、大の虫を助けるとは、このことですよ。よく早く決心なさいました。このままでほっといてごらんなさい。一生はめちゃくちゃじゃでございますよ。
これをすこし理屈っぽくした理屈が、今でも通用している。できてしまったことは仕方がないとはいうものの、あいなるべくならば、中条流のやっかいにならないようにしたいもんだ。いくら愛していても、一方的に抜身をふりまわされては危ない。人命に関する戦闘行為については、安保改定ではないが、事前協議などというアイマイなとりきめでなく、拒否権を明確に条文化しておくべきである。