持参金
あばた一つが一両の余の持参
さて川柳には、持参嫁と裸嫁というのがある。どういうわけだか、江戸時代の花嫁は持参金つきであった。新井白石《あらいはくせき》がこの慣習を禁止したところ、自分の娘が年ごろになっても、もらい手がなくて弱ったという話があるくらいである。しかし、通り相場をはるかに上回る金額を持参するということになると、その分だけ、どっか、へこんでいるわけだ。
江戸時代は予防医学が未発達であったから、ハシカとホーソウはかかりっぱなしであった。軽くすめばいいが、重症だと、ふた目と見られぬアバタづらになる。そのアバタの一つが一両余にあたるというのだから、この花嫁はすくなくとも四、五百両は持参したろう。しかし、アバタなどはまだいい方だ。
こわいこと美女で一箱持参なり
美女なのに千両箱を持参するということになると、ただごとではない。それを迎える方も覚悟しなくちゃなるまいが、花嫁の方も、
持参金封を切られて安堵《あんど》する
という心境であるのは当然だ。
そこへいくと、是が非でもいただきたい、という裸嫁の方は、持参金のつかぬどころではない。
いもじまでそっちでせいといい娘
「いもじ」は湯もじのなまり、腰巻のことだ。すなわちシミーズからパンティまでそろえてくれなきゃいやよ、というわけだ。おまけに、
美しさ裸で母を持参なり
持参金のかわりにおふくろをつれてこようというのだからすさまじい。裸で、持参金のかわりにおふくろまで持参するというほどの美人は例外として、無給料で一生はたらき詰めというノルマを背負った花嫁が、分相応の持参金を要求されるという習慣は、まことに不都合である。しかし、夫の都合で妻を離縁する場合は、嫁入り道具といっしょに、持参金は返さねばならぬことになっていた。
去りええるものかとおかねにくいこと
持参金に手をつけて、そのうめ合わせができないばっかりに、いやでいやで仕方のない、その名もおかねという金性《かねしよう》の女房を離縁することもできず、
——離縁できるもんなら、してごらん。
と鼻であしらわれる仕儀にもなったわけだ。
ただし、女房の同意のもとに使った場合と、女房の方から離縁を申しでた場合は、返さなくてもよいことになっていた。